【徒然日記2020 01】グローバル化への道
日本人は論理的思考とか改善的思考は得意だけど、クリティカルシンキングとか客観なファクトに基づく建設的議論はつくづく苦手だよなと思う。
『クリティカルシンキング』って、本来なら安易に思考停止せず、考え続けろ、イシューを押さえ続け、問いや前提、前提の前提が適切か否か問い続けろって意味だと思うけど、
日本語だと、批判的思考法と訳されるからか、否定的思考とごっちゃになって、とにかく出した解(結果)に対して、代案なくディスってばかりだったり、ホントその結果は正しいのか?とか、十分検討しつくしたのか?とか、単に漠然とした不安を解消するための議論が絶えない。だいたい解に対して議論の焦点があてられる。
おそらく自分や上司の望む結果が欲しい(結果ありきの希望的論理や忖度)という空気蔓延っているから、こういう感じになっちゃうのかもだけど、そもそも”解”自身は導かれたものだから、そこに焦点を当てて議論しても仕方なくて、①問いの設定、②ロジックの確認、③前提条件、さらにそもそもの問いの目的や前提の前提などを何度も何度も繰り返し思考停止することなく問い続け(適切かどうか疑い続ける)ることだと思うけどなぁ。
日本の会議にでると、この人(幹部)の望んでるイメージはこうだとか、それだとこういう指摘が入るとか、最終的な落とし所がどうだとか、いろんな調整をするための議論にほとんどの時間が使われていて、なんだか気持ち悪い。冷静に考えば、そもそも議論する必要のない議論も多いのに、『その議論、そもそも意味なくないっすか?』とかいうと露骨に嫌な顔されるし。。。
もちろん理想論だけでは物事動かないリアルもあるので、調整は必要だとは思うけど、それ以前にまずは何が正しいかをきっちりファクトベースで客観的に議論した上で、それを実行するためにどう調整するか考えないと意味ないと思うけどなぁ。
先ずは、戦略は論理で、そして実行には情理も踏まえて推進すると形かなと思うけど、どうしても情理のための論理を構築してるように見える。
うちの会社のグローバル化の道のりは遠し…