九州旅行5 広島通過編
広島での不思議な体験
山に湯気のようなものが立ち込めている幻想的な風景。東京からの距離を感じる。新横浜から3時間半。駅に差し掛かる。この季節の広島だから原爆ドーム方向へ向かって合掌。カープの本拠地広島マツダ球場、SAPIX等が見える。
数年前、広島には一人旅で訪れている。広島港からフェリーに乗り大和ミュージアム・江田島の旧海軍兵学校を訪れた。そこから帰る際、JR呉線が故障で長時間運転を見合わせ、振替輸送のバスも大混雑でいつ乗れるかという状態になっていた。翌日の仕事を鬱陶しく感じたがあいにくのサラリーマンなのでもどかしくも、とにかく広島駅から東京へ帰る方法を模索した、ということがあった。
依然として呉線も復旧の目処立たず、バスも長蛇の列。色々考えた挙句、来た時に乗ったフェリーで呉港から広島港へ戻りそこからタクシーで広島駅に戻る事にした。新幹線の終電までギリギリか。すでに夕方に差し掛かっていた。
フェリーの乗客は自分を含め4.5人。上記図の青いラインで広島港まで行けばなんとかなるだろう。明日仕事でなければ美しい景色にうっとりするところだなんだが。
今回予定には無かったが何かに引き寄せられるように訪れた江田島の旧海軍兵学校。そこで見たものには心を打たれた。見応えのあった戦艦大和ミュージアムにも後ろ髪を引かれる想いだった。そんな中、広島港へ向かうフェリーからの光景は…どうしても何か得たいの知れない存在を感じずにはいられない瞬間が続いた。その存在は戦時中のお爺さんなのか。
夕暮れも終わる頃、広島港に着いた。人はほとんどいない。タクシーを探す。見つかるのか?なかなか現れない。焦る。ここに来て万事休すか。
そこに一台、スーッとタクシーが現れた。’とにかく東京行きの新幹線(最終)に乗りたい’と事情を話し広島駅まで飛ばしてくださいと無理を伝えた。すぐに理解してくれた運転手さんの独特の広島弁のイントネーションは、広島港の対岸エリア愛媛県新居浜市出身の父や会ったことの無いお爺さんのそれになんとなく被るものがあると、車内で勝手に想像していた。
最終便の新幹線まであと数分。明日は東京で仕事なのだ。…当時の自分は既にワーカホリック気味だったかもしれない。
今度こそ万事休すか…タクシーの運転手の見事な運転に助けられて広島駅に到着。無理を言って応えてくれたことに対する御礼と同時に慌ただしく会計を済ました車を降りた。そこからホームへ一目散に走る。慌てて新幹線のチケットを買い高い位置にある新幹線乗り場へエスカレーターを2段抜かしで駆け上がる。最終便発のアナウンスがけたたましく鳴り響く。
先程のゆったり走るフェリーの先頭から見た瀬戸内海の雲と夕日に染まる空の色が頭をよぎる。様々な夕日を見てきたが、あの夕陽に染まる空と静かな海は何となく別次元にいる感覚があった。そしてなんとも美しかった。これはどう表現すれば良いのか、自分の中にはあり続けているが周りの人間には未だに伝え切れていない。
瀬戸内海では、自分が生まれる前に亡くなっているお爺さんが戦艦で手旗信号士をやっていたと、父から聞いたことがある。何か関係があるのか。それとも海軍兵学校の特攻隊の先祖達が何かを伝えたかったのか。まだ帰るな、と言われている気がした。瀬戸内海には何らかの意思のようなものを感じた。
最終の新幹線に飛び乗ったと同時に扉が閉まった。汗が吹き出す。息が切れそうだ。数秒遅かったら乗れていなかった。いい社会人が何をやってるんだ、と言われるかもしれない。
しかしあの時見た瀬戸内海の夕暮れに染まる空の色と雲、そして静かに進むフェリー、最後のタクシー運転手との時間。呉線が故障で長時間止まりバスも大混雑で乗車が不可能になった事で強制的にフェリーに乗ることになったこと。そしてギリギリ新幹線に間に合うという事…
これが広島、瀬戸内海エリアの思い出だ。あの時、間違いなく [瀬戸内海からまだ帰るな、この景色を見ておけ、そしてゆっくりしていけ]と何者かに言われている気がした。