INTELLIGENCE episode Ⅱ
1998年7月14日。長い梅雨がやっと明け、盆地特有の暑さが真夏に近づきつつあることを告げているJR京都駅前のバスロータリーを一人の男が歩いている。
男は歩く。歩く。歩く。
己の信念に基づき、己の使命を果たす為に。
男は趙嫩黄(チョ・ドンウォン)といって、京都の山科区に住む在日朝鮮人であり、朝鮮民主主義人民共和国の朝鮮人民軍偵察総局(北朝鮮のintelligence機関)が長い歳月をかけてリクルート及び教育した工作員であった。
趙嫩黄の幼き日の記憶の中で最も鮮烈なものが、突然見知らぬ男達三~四人が趙嫩黄の住む二階建ての古びたアパートに現れて、父と母に暴行を加えた後、二人を連れ去っていった記憶である。
男達は洋服箪笥や父と母の寝室にある小さな家具の引き出しを片っ端から開け放ち、時折父と母が眺めたり、自分の誕生日などになぜか飾られていたりした体格の良さそうなふくよかな顔をした男の写真を見つけるとそれをビニール袋に入れて持ち去ったのである。
男達は土足でアパートの部屋に上がってきたが、手には白い手袋を嵌めていた。
父は何発も殴られたり蹴られたりしながら、直ぐにアパートの外に連れ去られたが、母は男達のうちの一人に身体を羽交い締めにされ、別の男に服の上から身体を触られていた。
母は趙嫩黄が全く聞いたこともない言葉を大きな声で男達に対して浴びせかけていた。
言葉の意味は解らないが、何か悲鳴のような怒っているような、優しい母からは趙嫩黄が普段聞いたことがない言葉と大きな声が発せられていて、大好きな母が嫌がっていることだけは、幼い趙嫩黄にも直ぐに理解することが出来た。
その後の記憶は幼い趙嫩黄にとってはひどく曖昧なものであったが、ずっとニコニコしている太った女と、少し感じが良さそうな男が直ぐに迎えに来て、幼い趙嫩黄はどこかへ連れていかれた。
連れていかれた先には同じような年齢の子供達が居て、一緒に遊んだり、父と母と暮らしていたアパートで時折見たあのふくよかな男の人の写真にむかって"将軍様万歳!"と大きな声で皆と一緒に言ったりもした。
母に会いたい気持ちはずっとあったが、何年も過ぎ、母のことも次第に忘れかけていた頃、趙嫩黄のもとに母が会いに来た。
趙嫩黄は十四歳になっていて、母はやはり美しかったが、昔のようには笑わなくなっていた。
母からは父がどのように亡くなったかを聞いた。
父は警察に捕まったが、釈放されて暫く滋賀県大津市の膳所という駅の目の前にあったアパートで暮らしていたそうだが、とある日の仕事帰りに交通事故で亡くなったらしい。
趙嫩黄は知る由も無いが、その時父の両耳はちぎれかけていて、右手の指も左手の指も 反対に反り返って折れていたとのことであった。
母が会いに来たのはそれきりで、本当か嘘かは解らないが、母は二年後に自殺したとのことである。
勤めていたキャバクラの入ってる雑居ビルの屋上から飛び降りたらしい。
趙嫩黄は母のことが大好きであった。
父のことはそれほどでもないが、というのも、どこかで本当の父親でないのではないかと疑っていた。
本当の父親は違う誰かなのではないかと。
そして、母が亡くなった頃、両親は自分が教え込まれた"祖国"の工作員であったと確信を持ったのである。
施設では、今の自分は将軍様の使命によって敵国である日本に潜伏しており、最前線の革命戦士として日本と米帝を倒すのだと徹底的に教え込まれた。
先ず祖国の未来と将軍様の命があって、自分はその助けとなる一部分でしかないと。
趙嫩黄には日本語は勿論のこと、朝鮮語、英語、ロシア語など数ヵ国の言語及びその国の文化などが教育された。
表向きには英才教育を施された日本人として育てられたのである。
そして、革命戦士としての体術や銃火器の扱いは日本で訓練するのが困難な為、定期的に万景峰号に乗り込み"祖国"で訓練を受けた。
"祖国"とは、共和国すなわち朝鮮民主主義人民共和国のことであるが、北朝鮮の国民は自分の国を北朝鮮とは呼ばない。
"共和国"と呼ぶ。
革命戦士としての訓練は、工作員個々の能力や適性に応じて多岐にわたるがそのほとんどが熾烈を極めた。
基本的に共和国の工作員は単独で行動することを求められる為、軍隊の訓練とは異なり其々個別に指導される。
一度に三人を相手にする薄暗い部屋の中での模擬ナイフを使用した接近戦。
フランス製、ドイツ製、ロシア製、中国製等様々な銃火器類の組み立て方や使用法。
プラスチック爆弾のセットの仕方や解除方法等々。
趙嫩黄は爆薬の発光時の色でその爆弾の種類や特性を見抜くことが出来たという。
工作員を育成する訓練は特殊であり、通常の軍隊の訓練に相当する厳しいものから凡そ軍隊などでは必要とされない実生活を想定したうえでの訓練まで様々な項目がある。
例えば、女性と性交途中での殺害方法や毒物の飲ませ方とそのタイミング等、訓練では自分も全裸になり、全裸の女性工作員と実際に性交しながら指導される。
又、その逆に実際に性交しながらいかにして女性工作員からの攻撃を回避するかも訓練するのである。
模擬ナイフでの接近戦訓練では、全裸女性工作員三人と格闘しながら僅かな動揺も見せず、模擬ナイフを寸止めで三人の頸にあて訓練を終了した。
その他にも各国の食事のマナーやビジネス用語の修得や電話での応対、各国インフラの理解、PCや携帯電話に関する事など様々な分野での能力向上が求められたのである。
元々日本で生まれ育った趙嫩黄は、社会生活全般に於いて完璧な日本人と言える程の青年に育っていた。
京都市南区上鳥羽勧進橋町にある京都朝鮮第一初級学校にも、京都市左京区北白川外山町にある京都朝鮮中高級学校にも通っていない。
普通の日本人と同じように日本の小中学校、高等学校に通い、卒業した。
趙嫩黄二十四歳、母親への異常なまでに強い愛情を抱えたまま解き放つ術を知らない、共和国の完璧な革命戦士の誕生である。
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