日本のDXが進まない理由
日本のDXは2018年から開始されましたがまだまだ出口が見えません。なぜ進まないのか。もしかしたら。と思った事を今回は書きます。
高度経済成長のモノ至上主義
日本が豊かになった最初とも思えるのは、「高度経済成長」です。
戦後、貧しい状態が続いた中、様々な産業がこぞって新しいモノを作り出し提供しました。家庭においても生活を豊かにする存在として「冷蔵庫」「洗濯機」「エアコン」など、今までなかった家電品を入手し便利な暮らしを実現しました。また、「車」「住宅」など、生活の質を向上する様々なモノが庶民にも手に入れられる時代となりました。
人々は、モノを手に入れることで満たされる。そんな時代がまさにこの高度経済成長期に実現されました。
その後、バブルが崩壊するまでの間にも、消費は続き、人々は色々なモノを手に入れました。
モノがあれば全てが満たされる?
ただ、高度経済成長期から50年の時代が流れ少し今までと方向性が変わってきました。
ただ単にモノを買う時代から変化が生まれました。
たとえばビデオや音楽はパッケージを買う、つまりはモノを所有する時代からサブスクや配信で観る、聴く時代に変わりました。パッケージ所有から気軽に聞ける環境を手に入れたため、モノが足枷になったのです。
また、車などもジワリとサブスクでの所有やカーシェアの利用が進んできています。
今までは車というモノを所有することが一種のステータスだったのですが、今や移動手段の一つ程度になってきています。
(当然趣味な方々がいまだに所有されていますし、自分も所有していますが(笑))
今まではモノを持つことで満たされる時代だったのが、段々モノを持つこと自体で満たされない時代に変わってきました。
モノだけでは満たされない多様化時代
現在、高度経済成長期に比べ大きく変わったのが情報化が進んだことで登場した「多様化」です。人々は溢れかえる情報の中で自分の好みに合ったものを欲するようになりました。今まで一律でモノを手に入れれば満たされた欲求が自分に合う何かを手に入れたい。そう考える人が増えました。
モノについても、大量生産で一律に作られたモノからソフトウェアやデータなどでカスタマイズができることが普通となり、「自分に合った」状態を実現することができるようになりました。
つまり、ここのモノそのもので満たされる時代が終わり、その上で何ができるか、という「コト」を求める時代になってきているのです。
コトを求める若者、モノにこだわる年配者
今やモノそのものを求める時代から、どんな「コト」ができるのか。を求める時代に変わってきています。
デジタルの世界であれば、IT導入の先、それで何ができるのか、自分のしたいコトが実現できるのか?にこだわりを持つ時代になってきています。
今までは良いインフラを入れれば満たされる。と思っていた流れから「その上でどんなコトができるのか?」が当たり前になりつつあるのです。
モノだけ持てば満たされた世代の方々はモノのスペックに拘ります。
しかし今やモノのスペックではなく、何か自分のしたい「コト」ができるならモノのスペックはどうでも良い時代なのです。
モノ自体にこだわるのではなく、コトにこだわる時代とも言えます。
DXはまさに「コト」を実現すること
ITはどちらかというとモノでした。
処理スペックを機にしてどのくらいの情報を管理できるか。を考え導入する。
アナログなモノをデジタルに置き換える、ではなく、
コトを実現するためのデジタルを導入する。
まさにDXを進めるためには「今の若者の感覚」が必要不可欠です。
DXが進まない理由の一つとしてこの感覚があるのではないでしょうか?