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会いたい人に、会いたい時に、会いに行く(後編)

9年前に母を亡くした時、なんか色々嫌になって、ほとんど連絡先を捨ててしまった。その前後に仕事も変えて、全てリスタートしたかった。それぐらい自分には大きな出来事だったのだけれど、50歳過ぎてから、人生の残りの時間を考えるようになり、なんとか連絡先を見つけては、少しずつ会いたい人に会いに行くことにしている。

一路九州へ

9/13、東京に戻ったのもつかの間、九州にむかう。国内線の警備が今日から強化。結構ビビりながら行ったんだけど、呼び止められることなく、嬉しいような、ネタが出来ず残念なような…

そう、#ADDress年会員の特典としてANAの往復航空券がついてるんだけど、9月末までに使わねばならず。でも、飛行機使って行くところは九州くらい(北海道は行ったばかり) 。だったら、会いたい人に会いに行こうと。まずは八女にむかう。#ADDress社員第1号、ミスター神対応のメオさんに会おうと思って予定を入れたものの、なんと、今週から関東に戻ってきているらしく…。メオー!

でも、会いたいのに会えないと燃えるよね(さらに、変態度が増してる!)。八女ヤメようかとも思ったけど、せっかくなので、行ってみる。

福岡の友人にも振られる

博多で少し時間があったので、しばらく会えていない元同僚に連絡。でも、忙しくて時間が取れず。ま、そうだよね。仕事してる人に平日昼間にいきなり連絡して、おれ4時までなら博多にいるけど?とか言われてもね?

メオ(もはや、呼び捨て。だって、いないんだもん)にも友人にも会えず、果たして、会いたい人には会いに行く旅は、誰にも会えない残念な旅になるのか⁇

川べりの家

八女市の奥、星野村にもほど近い川べりに、その、長屋は、あった。松崎ナオの「川べりの家」がリフレーンする。

大人になってゆくほど 涙がよく出てしまうのは

1人で生きて行けるからだと信じて止まない

それでも淋しいのも知ってるから

あたたかい場所へ行こうよ

川のせせらぎが聞こえる家を借りて耳をすまし

その静けさや激しさを覚えてゆく

歌は水に溶けてゆき そこだけ水色

幸せを守るのではなく 分けてあげる

2LDKのメゾネットが8つ連なる、懐かしさを感じさせる長屋で、ボンヤリと朝を迎えた。1人もいいけど、大事な人とゆっくり時を過ごしたい 場所だった。

熊本は特別なところ

人生で1番長い時を過ごしたのは熊本。25歳から38歳までの13年間。離れてからも、ちょうど13年。ここで、子供達はコドモ時代を過ごし、自分は貧乏に苦しみながら必死で生きていた。日給6,000円の期間工から始まった熊本時代。途中独立したもののうまくいかず、毎日庭のゴーヤばかりという2年間もあった。生活費を稼ぐため、副業で学習塾の講師も8年間やっていた。そんな1番苦しい時に支えてくださった塾長さんに会いに行った。

自分にとっては、辛い時期を支えてくれた大恩人なんだけど、彼女にとっても、私が心の支えだったと。当時彼女のご主人の会社が倒産したため、無理してでも塾の売上を上げなければならず、私の家も開放して、可能な限り生徒を受け入れていた。また、ご長男が就職後すぐに会社を辞めてしまった時に進路のアドバイスをしたり、塾経営に悩んでいたのを相談に乗ったりしていたのは確か。それが、彼女にとっては心強かったらしい。自分としては、当たり前の恩返しだったんだけどね。お互いそんな話をして、「よく乗り越えてきたよね!」と涙ながらに語り合いました。13年の時を経ても、その思いは変わらず、一瞬に時間を飛び越えることができる、それがほんとに「繋がっている」ってことなんだと思った。

20年以上前、産業カウンセラーの勉強をしていた頃、よくつるんでいたコンサルの旧友にも連絡をしてみた。この連休は静岡で研修の仕事があるらしくて会うことは叶わなかったけれど、こうやってまた連絡を取れて、会おうと言ってくれるのが嬉しい。

ほんとに、来てよかった。

10年ぶりに来た鹿児島

9/15、もう辞めたの10年前なんだけど、当時のメンバーたちが集まってくれて、それだけで泣ける。みんな、それぞれ10年歳をとり、家庭や子供を持ち、転職をした者もいる。でも、集まれば、当時のまま。いい上司だったかは自信がないけど、義理でも集まってくれたことに感謝しよう。

当時の思い出やくだらないよもやま話で盛り上がり、最近では珍しく午前様。カラオケもどれぐらいぶりかわからない。とにかくよく喋り、良く笑って、楽しかったなあ。ありがたい。なんだか、女の子たちから(あ〜、もう彼女らも40前後だった…)手土産までもらい(^^)、感謝しかない。

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