ツーオラクルを100回やって1度も出なかったカード6枚、その意味とは?
はじめに
2024年9月23日〜12月31日までの100日間で引いたツーオラクル、計200枚を調べたところ、出現しなかったカードが6枚だけありました。この6枚に何らかの意味はあるのでしょうか。
この100日における出札の特徴を一言で述べるならば、あらゆるカードが満遍なく出ていたと言えるのではないかと思います。それは出なかったカードが6枚だけという結果からも明らかです。
大アルカナ22枚、小アルカナ56枚で構成される標準的なタロットカード全78枚には人生のあらゆる局面が描かれていると私たちは考えます。
個人史における重要な転換点だったり、ささやかな日常的な出来事、また視野を広く取れば、世相や時代を反映する表象として読むことも出来ます。
それらがある一定期間に出揃うというのは、ある意味、とても濃密な時期を我々は過ごしたのではないか。そうとも取れるはずです。
喜怒哀楽、全部出た!
にも関わらず、出なかったカードがある。そこに果たしてどんな意味があるのか。私自身の個人的な体験に照らして振り返ってみたいと思います。
出札一覧
出なかったカード❶
正位置では「解放」を意味し、逆位置では「無謀」を意味する大アルカナ0番:愚者のカード。その根底に流れるのは「自由な精神」であり「精神の自由」です。
リセットボタンを押した時のような、一瞬の空白、何かが終わり、何かが始まる、切り替わるその瞬間。
どちらに向かおうと、どこをどう歩こうと、誰にもどんな規則にも縛られない。とても晴れやかな気分です。少なくとも本人は。
出なかったカード❷
正位置では「深い精神性」を表し、逆位置では「情緒不安定」を表す、大アルカナ2番:女教皇のカード。
知性と直感の人であるが故に感情を抑圧する傾向にあり、だからこそ、それらのバランスが崩れたとき、問題は常に「感情の露呈」として顕在化します。
私がこの逆位置を、しばしば「好きバレ」と読むのもそうした理由によります。
出なかったカード❸
正位置では冒険や未知の世界への憧れを読みますが、もうひとつ、よく知られているように、このカードには別の意味があります。
「良い知らせが来る」あるいは単に「伝達」と読む場合もありますが、いずれにせよ「肯定的かつ意外な情報」を報知するメッセンジャーとしての役割を担っているのです。
情報を扱うのは主としてソードの管轄ですので、そういう意味ではかなり異色な存在、異色なカードと言えるのではないでしょうか。
逆位置は単純に、それらが「滞る」と読みます。
出なかったカード❹
小アルカナの8番は「予兆」を示します。7番の「矛盾」や「葛藤」が9番の「到達」へと向かう、それらを繋ぐ《変化の予兆》です。
ソードの8を見てみましょう。カードは「抑制」「自縄自縛」を表しています。では「予兆」はどこに隠されているのか。
不正や悪徳をも厭わぬほどの勝利への執念が、結果的には良心の呵責と、眠れぬ夜に至る。
つまり、自ら深い闇に堕ちていく、その最初のステップがこうして描かれている。「抑制」「自縄自縛」こそが「予兆」そのものなのです。
出なかったカード❺
小アルカナ10番は「過剰」を意味します。9番で「達成」したものが、その「到達点」を超えて、さらに突出した状態へと至る、その後の世界が描かれています。
そしてこれはバッドエンドです。
蝕まれた精神が限界を超えたこの世界では、人は象徴的な意味での「死」を迎えます。もうこれ以下はない、落ちるところまで落ちた。
「だからもう、ここから先は上がるしかないよね」というのがつまり、逆位置の読みになります。
出なかったカード❻
タロット占術では、男性のカードからは「男性性」を、女性のカードからは「女性性」を読み取ります。
必ずそうしなければならない、という決まりがある訳ではないのですが、少なくとも女性のカードから「男性性」を読み取ることはありませんという、その程度の必然性はあるのかなと思います。
ただし「女性性」を象徴するカードが出たからと言って、それがすぐさま女性の当事者を意味するとは限りません。繰り返しになりますが、女性のカードからは「女性」ではなく「女性性」を読み取るのです。
ペンタクルのクイーンは女性的な寛容さを象徴するカードです。
女性的な寛容さはとは何か。男性的な寛容さと何が違うのでしょう。議論が分かれるところかとは思いますが、とりあえず——ここでは女性的な寛容さを「共感ベース」、男性的な寛容さを「納得ベース」とでもしておきましょう。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?