誰が分離の法則を間違えたか?(その2)
Kさんや私が習った教科書には、今のものとは違う記述がされていたのだろうか?
ここまで来て、かつての教科書の分離の法則に関する記述が今とは違うのかを確認しないと終われない感じになりました。古い教科書を手に入れようと、まずは小学校以降一度も引越しをしていないカミさんの実家に聞いてみましたがさすがにもうなく、次に学科卒業生の高校教員Tさんに聞いてみましたが、90年代後半に生物準備室の引越しがあった際に古い教科書は処分されてしまったし、そもそもうちの高校ができたの80年代ですよ、との返事。
東京江東区にある、公益財団法人が運営の教科書図書館にはあるはずだと、代休が半日分あった月曜日、用事のついでに立ち寄り、戦後の高校生物の教科書にある記述を調査(平日の午後でもなかなかの盛況で感心)。1時間ほどでざっと調べた結果ですので完全には網羅できていませんが、面白い発見がありました。
(〜は分離の法則の略、表中の(1)、(2)は分離の法則としての記述タイプを示しています)
まとめるとこんな感じ。
かつて分離の法則が、今とは違うタイプ(1)「雑種第1代の自家交配の子孫では、優性形質と劣性形質が3:1の割合で分離する」ことを示すものとして教えられていたことが確認できました。どの会社の教科書も昭和40年以降に(1)から(2)「1対の対立遺伝子は配偶子(花粉や卵)に1つずつ別々に分離して入る」への書き換えが行われていましたが、そのタイミングは会社によりまちまちで、教科書執筆者の間でも認識が分かれていた時期があったことが想像できます。数研出版の教科書が、一度(2)だけの記述にして、のちに一度揺り戻しがあって両論併記的になったのも興味深いところです。
1960年の岩波生物学辞典における記載が間違いの始まりだったというKさんの仮説は、S30 (1955年)の三省堂の教科書に(1)があることで否定されます。また、東京書籍、大日本図書の書き直しのタイミングであるS42 (1967年)は、生物学辞典の第2版が出た1977年よりも早く、辞典の記述が改訂されたのは、世の中の趨勢に合わせてのものだと考えられます。最後に、Kさんや私は1960年代生まれで、S51年以降の高校教科書で学んだはずで、学校で(1)として分離の法則を学んだというのは、記憶違いなのかもしれません(先生が依然として古い方で教えていた可能性は否定はできませんが)。
(その3に続く)
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