過去に読んだ書籍を振りかえる。
過去に読んだ本で、印象的だった事を書いてみたいと思う。
今回は
「合気道入門1の力で10の敵を倒す法 植芝吉祥丸著」についてだ。
この書籍、昭和47年8月30日が初版発行の様だ。
私が買ったのが昭和51年9月5日の第11版だ。
合気道は現代ではかなり有名になった近代武道だ。
合気道は戦前は「皇武館」または「皇武会」と呼ばれ、地獄道場の異名があったそうだ。
始祖は著者の実父で植芝盛平という人が創設した。
剣術、柔術、槍術などの武術に長けた人だったようだ。
植芝流柔術たる合気道の特徴は、柔道や空手のような試合、大会を行わない事だ。
つまり、興業化を行わない武術、武道の精神を貴ぶ傾向のある団体なのだろう。
合気道は柔道や空手、剣道などと比べ宗教観の臭いが強い。
その理由は始祖の植芝盛平が大本教に心酔していた事が大きいかも知れない。
大本教と言うよりも、井手口王仁三郎(いでぐちおにさぶろう)という教祖に心酔していたのかも知れない。
大正七年に父親の危篤を平癒して貰いたくて、盛平は大本教に接触したそうだ。
井手口王仁三郎は「世の建て直し」の大本教の教義に従い、大正十三年に満州に渡って東亜連盟の工作活動に赴いたそうだ。
しかし、活動は失敗して銃殺の危機に遭ったが、九死に一生を得て帰国した。
この経験で「気力、霊力という異常な力が人の体内に潜んでいることを、身を以て知らされた」と述懐したそうだ。
大正十四年、太刀筋の前に白い光が先に飛んでくるのがみえるという極意の境地に達し、やがて黄金体に化身して「武道開眼」したそうだ。
当時の軍隊、特に海軍は大本教に信奉する者が多く、井手口王仁三郎の影響で後の海軍大臣の山本の前で槍術を披露する機を得る。
その後は、今で言う上級国民達が稽古に励んでいたそうだ。
当時は合気道はお留め流的な武術であったようだ。
敗戦後の昭和二十三年、「皇武会」は「合気会」と名を改めた。
その後は学生への指導に門戸を広げ、現在に至って居るようだ。
新興の武術・武道は皆、大きな力を借りて組織化する様だ。
合気道は人間の生理現象を熟知し、利用する技法の様に思われる。
言葉で理屈を教えるのでは無く、稽古という修練でそれを伝授されるのだろう。
特に面白いと感じたのは、その精神面で大本教という言霊を尊ぶ宗教が関与していたことだ。
武道・武術の最終形態は宗教だと言われる人も居る。
なるほど納得の行く成り立ちだ。