東日本大震災を忘れない(31)-岩手県遠野市から大槌町へ。<その3>
こんばんは。今日もお疲れ様です。
最初に、大震災で亡くなられた19,729名の方々に対し、心より哀悼の意を
表するとともに、ご冥福をお祈りします。
そして、とうとう行方がわからないままにしてしまった5,229名の方々に、
心からお詫び申し上げます。
(数字は、いずれも以下の今年3月10日現在の緊急災害対策本部の最新情報
です。)
http://www.bousai.go.jp/2011daishinsai/pdf/torimatome20200310.pdf
昨日の日記の続きになります。
長々とお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m。
図らずも、これが2011年に10数回、東北の被災地各地でボランティア作業をした、最後の記録です。
最後まで、お付き合い頂けると嬉しいです。
2011年10月29日(土)、午後の作業の続きです。
参加者のうち、年配者の方達は、午後に入ると目に見えて作業効率が落ちてきましたので、今度はのぞえが側溝の中に入って、自分で泥を掻き出し
ます。
年配の方達には、交通整理に入ってもらったり、詰まっているゴミを丁寧に除去する作業に回ってもらいました。
すっごく丁寧にお願いしたので、皆さん嫌な顔せず、むしろほっとした
表情で次の作業に付いてくれました。
それはそれとして、「ここまでやろう」と決めた箇所を、後日、別の人達に再度作業してもらう訳にはいきません。
まぁ、自分の勝手な思いではありましたが、東京から毎回一緒に来ていた
民主党ボランティア隊のメンバーは皆同じ思いだったと思います。
午前中は、メンバーのグループ分けをしたり、作業手順を説明したり、交通整理をしたりしていて力は出してなかったので、かなり、頑張って汚泥を
掻き出し、詰まっていた一番長い溝を無事貫通させました。
汚泥の中には、津波の時に流れ込んだ窓ガラスや屋根瓦が大量に詰まって
おり、それは分別して処分するので、手作業で取り除きます。
ガラス片を持ち上げた瞬間、横で作業していた女性が同じカケラをつかみ、のぞえのゴム手袋がビリビリと裂けました。
・・・別に痛くはなかったのですが、「私が反対側を掴んでます、引っ張らないでください」と言う余裕はなかったものですから。
実は、ぐるなびトラベル日記には
「幸い、ゴム手袋が裂けただけで、指自体は傷つきませんでした。」
と書いたのですが、実際は軽く切ってたのです。
出血はありませんでしたからね。
なお、出血してなくても破傷風菌などの危険な細菌が入り込む可能性はありますので、予断はなりません。
破傷風発症する人の、4人に1人は外傷歴不明だそうです。
のぞえは幼少のみぎりに3種混合を任意接種し、成人してからも破傷風だけはさらに単価ワクチンを米国留学時に接種してますから、あまり心配してはいませんですけどね。
「作業するときは、お互い声かけあって作業しましょう」と、ボランティアセンターの人達は何度も何度も言ってましたが、それは現場で都度注意しなければ、特に初めて参加した人は体験しないと判らないことなのです。
これでもう、このうっかり引っ張った女性は、二度と同じことはしないで
しょう。
ポンプ式の洗浄車が巡回してたのですが、のぞえらの作業ぶりを見て、ここは機械で洗浄せずとも片付けてくれると判断したのでしょう、機械洗浄は
せず、別の地域を回ってもらいました。
残り時間を見て、片付け作業にとりかかります。
側溝の蓋を全部、元に戻します。
今回は、無事、誰も指詰めせずに済みました。
作業の間、のぞえらが居る場所に、駐車している車がありました。
こちらが邪魔をしないように配慮していたので、彼らが何をしてたのか、
それは特に気にしませんでした。
大学の建物に戻り、水を借りて工具やスコップを洗浄します。
その間、女子にはバスの中で先に着替えを済ませてもらいました。
作業が済んで、終礼です。
他の地域では、言われる必要もない事を、ここではいちいち耳にしないと
いけないのか、という残念な印象しか残りませんでした。
ここでまた、事件が起こりました。
さっき、作業場に駐車していた車の持ち主から、車体に傷をつけられたとのクレームが入ったとのことでした。
リーダーがボランティアリーダーの人と協議する間、バスは出発できずに
待機です。
結局、何時ついた傷かは判りませんでしたが、うっかり傷をつけた人は、
思い当たる節があれば名乗り出て欲しいと、現地ボランティアリーダーから要請がありました。
誰も、思い当たる節はありませんでしたけど。
遠野のボランティアセンターに連絡してきた所有者も、作業場所に置いた
ときに付いた傷なのかは、はっきりとは判らないと言ってきたそうなので、後はボランティアセンターに任せました。
帰りのバスの車内から、釜石市の状況を撮影しました。
遠野ボランティアセンターに戻り、6時間ぶりにトイレを使いました。w
結局この日も思いっきり労働し、想定外の出来事も多々あって、かなり疲れました。
予定通り、今回も一関の温泉に立ち寄ることにします。
バスが遠野ボランティアセンターを出発した時、ちょうど日没でした。
間に休憩時間はあるのでしょうが、ここのボランティアセンターの人達
だけ、他の地域と違い、朝は6:30頃から、毎回土日に10時間以上勤務しないといけない体制だったのです。
そこは、頭が下がりました。
車内からだとうまく撮影できませんでしたが、岩手で見る新月は綺麗
でした。
温泉行く前に、東和の道の駅で、地元に帰る人を一人おろします。
幸い、売店で銀河高原ビールを売ってたので、急いで購入、喉を潤しました。
いつもながら、労働の後の一杯は、最高です~~。
お土産の萩の月は...、あ、こちらは遠野に来る前に買ってありましたね。
2011年10月、のぞえらのグループは、結局1回しか被災地派遣を企画
できませんでしたが、翌11月はとうとう一回も企画できませんでした。
そして、積雪の時期となり、さすがに雪駄とか用意して作業する訳にもいかず、雪解けを待って作業再開するつもりで皆居たのに、党から予算をあっさり斬られてしまいました。
遠野を選んでしまったからではないと、思いたいですが。
リーダーや、他の幹部級のメンバーも、これは想定してなかったのですが、
毎回被災地を訪れる際、支援物資を東京で購入していって現地に供給して
いましたので、毎回の費用は結構かさんでいたのですが、そうとなっては
先見の明というか、リーダー達の野生の勘というか、突然予算を切られても
被災地に最善のことを尽くす対応には、正直感嘆しました。
そういう思いで皆神輿を担いでいたのに、担がれていた民主党幹部の
面々は、皆指導者失格でしたね。
自民党に政権を奪還されて、当然です。
帰りがけに、遠野ボランティアセンターの人が、ツイッターで絡んで
くれました。
ボランティアセンターの人「ありがとうございます。お疲れさまでした!」
のぞえ「×××室にリクエスト頂ければ、また伺えると思います。 」
ボランティアセンターの人「リクエスト出さなくてもぜひまたお越し
ください。よろしくお願いします!」
おいおい、それは違うよ。
のぞえ「個人の気持ちとしては賛同致しますが、大勢で参加した方が効率が全然違います。その点ご理解ください。よろしくお願いします。」
ボランティアセンターの人「ありがとうございます。よろしくお願い
します!」
でもボランティアセンターからは、その後、リクエストは来ませんでした。
のぞえらの手なんか二度と要らない、ということではなく、遠野では、そうした作業に全く人手が割けなかったのだろう、と理解しています。
でも、そこに人手をかけない限り、そこに居るメンバーだけで作業を完遂
しないといけなかった筈です。
そして、メディアも誰も報道しませんから、各地の状況は、遂に東京では
もう誰も把握できなくなってしまいました。
30人~50人前後のチャーターバスを東北往復させるのは、結構なコストが
かかるのですが、そうした事情とか分からない学生さんが、そのTwitter
アカウントでの発言、やってくれてたのかも知れませんね。
バスは東北道を南下、東京方面に向かいます。
9月にもボランティアの帰りに立ち寄った、一関インター近くの桃の湯に
立ち寄りました。
2011年9月に初利用したときは、まだ陽が沈んだ直後位に到着できたのですが、この日は夜もとっぷり暗くなってからでした。
まぁ、明日の朝までに東京に帰り着けばいいので、ゆっくりできます。
;
ここで、作業で汚れた髪と体を洗い、体を温めて東京に戻れます。
一度にたくさん湯客が来たので、先に食事しますた。
前回同様、バイキング大人1,200円のレストランに入ります。
岩手の清酒七福神750円を頂きます。
特別本醸造300ml~。
ブュッフェは、この日は何故かキムチ尽くし。(笑)
道中も長いので、念のため刺激のあるものは避けて食べます。
なんだかんだ、食べ過ぎました。
だって、どれもこれも美味しかったんですw
日中、頑張ってくれた男子学生ボランティア君達に、一杯ずつビールを
ご馳走。
アサヒの生が500円でした。
女子学生さん達は、違うテーブルだったのでご馳走できませんでした。(笑)
まぁ、おっさんから「驕るよ」と言われてもお互い遠慮するでしょうしね。
地元の野菜や食材で作られた料理が食べ放題です。
のぞえは、地酒の燗も頂きます。
関山ですな~。
その後、時間ぎりぎりまでお風呂を堪能しました。
桃の湯を出たのが確か午後10時頃で、バスは夜通し走り続け、午前2時には那須高原SA、午前4時には羽生PAで休憩、翌朝日曜日の午前6時前に東京に
到着、解散しました。
インドネシア人のAxx君と帰りの方向が一緒でした。
次ボランティア団を組成するときにはメールするね、と約束しました。
次が、ありますように...。
来月、時間ができたら一人ででも行くかっ
少なくとも、その時は、そう思っておりました。
--------------------
ホワイトオニオン さん
11/30/2011 13:49:57
作業中に怪我は絶対避けたい事態ですね。
他の地域では、言われる必要もない事を、いちいち耳にし、
やっと出発という時に
「作業場に駐車していた車の持ち主から、車体に傷をつけられた」との
クレーム・・・
のぞえさん、さら~~~っと書いてありますが、
本当に後味悪い事件ですね。
結構な時間取ったでしょう・・・
最後にちょっと思ったことですが、
ボランティアセンターの人、
ボランティア団を一緒くたんにするのを改めた方がいいですね。。。
-------------------------
のぞえ 返信
11/30/2011 14:07:45
◆ホワイトオニオンさん^^
大丈夫、岩手の清酒が全部消毒してくれました~(^-^。(笑)
燗酒も頂いてきたので、完璧ですv(^o^。
-------------------------
ちゃびまま さん
11/30/2011 15:05:36
本当に毎回、頭が下がります。
もうすぐ今年も終わり・・・
そしてあの日から、あと4ヶ月で一年も経つとは・・・
-------------------------
山手隠れ家ダイニング KIKUCHI オーナーの奥さん ふじこ さん
11/30/2011 21:05:32
最初は多くの方が行かれて混雑したんでしょうね、
今も、行かれてご苦労様です。
寒さ増すこれからは、人手も減って大変ですね。
いつも頑張ってるのぞえさんに、感謝です!
-------------------------
中国飯店 代官山 花壇 ホールスタッフ ゆう さん
11/30/2011 21:21:59
今回もお疲れ様です!
前回から読んでますが、最後まで、、、な感じでしたね(^^;;
--------------------
今振り返ると、当時の日記についたコメントのうち、ちゃびままさんと
ふじこさんとゆうさんには、コメント返ししてませんでした m(_ _)m。
遠野ボランティアセンターは、NPO法人遠野まごころネット、という団体が活動を引き継ぎ、今日に至っています。
この団体が、2011年12月に、「サンタが100人やってきた」という
プロジェクトを立ち上げ、この大槌町、遠野市と、陸前高田市、大船渡市の4自治体に居る子供達に、クリスマスプレゼントを配りました。
とあるサンタが、とある子供に聞きました。
「クリスマスに、なにがほしい?」
その子が、言いました。
「おうちと、ママ」
・・・このことを知ったのは、ずいぶん後のことになりますが、この記事を読み返す度、自分にはもっと出来たことが、あったのではないかと、自問
します。
このイベントは、ずっと継続され、今年は規模を大幅に縮小せざるを得ない状況ですが、それでも実施されます。
イベントの、成功を祈っています。