東日本大震災を忘れない(22)-宮城県石巻市雄勝町へ。(2)
こんばんは。
最初に、大震災で亡くなられた19,729名の方々に対し、心より哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りします。
そして、とうとう行方がわからないままにしてしまった5,229名の方々に、心からお詫び申し上げます。
(数字は、いずれも以下の今年3月10日現在の緊急災害対策本部の最新情報です。)
昨日の投稿の続きです。
誠に恐縮ですが、今日は夜まで出かけていたため、写真を昔使ってたサイトから拾ってきて切り貼りする時間がありません。後日、続きをアップさせて頂きます。
この日2011年8月20日の朝、雄勝町でのぞえ達を出迎えてくれた人は、作業に取り掛かる直前、こうおっしゃってました。
「何年か経ったら、また見に来てください」
それまでに、必ず復興してみせるという強い決意と理解しました。
作業が終わって、見回りをしていたら、同じ人が車で通りかかりました。
「どうかされましたか?」
のぞえ「いえ、忘れ物がないよう、見回ってます」
道具とか水筒とか、とかく忘れがちなんですよね。
作業に熱中すると、なおさらです。
東京に忘れ物を送ったりしてもらうのは、手間だしお金もかかるし恐縮なので、慎重にチェックします。
その人が、朝とはちょっと違う事を言いました。
「でも、まだまだかかりそうです」
それも正直な本音なのでしょう。
「また来ます」と答えました。
私自身が来れるかどうかは別として、必ず、仲間の誰かが。
実は民主党のボランティアグループなんです、ということは、結局この方にも伝えませんでしたが。
例によって、女子はバスの車内に戻り、カーテンを閉めてお着替えです。
男子は、見る人もないので、浜辺に並んで着替えます(笑)。
目の前に、牡蠣の養殖で有名な雄勝湾が広がっています。
しかし、800年に一度とは言え、大勢の命をさらっていった津波が来たとはとても思えない程の、穏やかな波です。
ゆさっちの遠い親戚の方も、この雄勝町で被害に遭われました。
写真を撮りながら思ったことは、
もう、この先、どんなに綺麗な海を見ても、
この海に消えて行った、今も見つからない人達の事は、決して脳裏からは消えないだろう、
という事です。
一生、死ぬまで。
それは決して幸福な事ではないけど、ちゃんと向き合うことから始めなければいけないと思うんです。
子供達や孫達に、同じ目に遭わせないようにするため、そして同じ思いをさせないようにするためには、どうすればよいか。
二度と、同じ過ちを繰り返さない事です。
二度と、同じ過ちを繰り返さないためには、どうすればよいか。
一つには、語り継ぐことです。
「今度、これまで見たこともない大きな波が来たら、あそこまで全力で駆け上がれ!」
「ここまで津波が来ることなんてない、と言われたら、それを疑え」
もう一つには、防災対策を進めることです。
それが、死んでいった人達への供養にもなります。
今日はここまで作業してきて、あいにく時間一杯となってしまいました。
続きは、また今度。