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フタシカな“待ち”の構造

寂しいとか、切ないとか、これは、人生において最上級の感情だと思う。ひとりでは完結できない欠けた部分を認めて、誰かを求めているけれど「だれでもいいわけではない」感じ。だれでもよくないからこそ、強がって待つ、感じ。

自分の責任において、待っているのだから、誰かのせいには絶対にしない。もちろんそれは、反対方向の自分にもあてはまる。

それぞれ自立している(風)だけれど、弱さも認め合って、普段は気づかないふりしておいて、最期には手を差しのべる。こんな「待ち」の感覚が、ふたり以上で生きる愉しみ。『人魚姫』の世界。

この夏の恋愛談義で、『このひとと幸せになりたい、と思っているときよりも、このひととなら不幸になってもいいって、思えた時が一番幸せだよね』とは、ホントそうだと思う。

どんな成し遂げたいことにも(それがたとえ恋でも!)自分以外の手を、待ってはいけないのだ。

待つのは自分責任の『時』と『勇気』。

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鈴木 郁子(Ikuko Suzuki)
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