怖いのは世間ではない、正直さを欠いた自分だ・山口百恵の場合
日本に向けた褒め言葉として海外から「COOL」と言われるかなり前に、元祖クールな女性がいた。それが今回の女優・山口百恵。そう、昭和の歌姫だ。日本のお茶の間の中心にテレビがあり、そこに登場するスターには、プライベートなど無かった時代。古い時代が全ていいとは思わない。私はいつでも「革新」が好きだ。けれど、この時代の芸能界にいて“自分の中の正直で誠実な価値観”で判断し、発言し、行動し、貫いている女性は、そうそういない。ふわふわとフランス女性に憧れてなんぞいる私の“本当の原点なのだ”と今日は書きたい。もちろん、主演映画14本のれっきとした女優であった。
女性の生き方が社会で注目されるようになったのは、近代になってからのことだろうか。我が日本では、いまさら政治がらみで女性の活躍が語られているが、生きているひとりひとりの女性そのものが、自分の感性と判断に自信を持たなくてはいけないと、そのために学ばなくてはいけないと、私は思っている。学ぶというと、何か生活力や経済力とかけ離れているかのように思う方もいるかもしれないが、そうではない。人を愛すること、信頼すること、思いやること。なにより「自然界からの学びを受け取ること」についての女性の能力は、初回のこのコラム(吉永小百合)に書いた通りだ。 「傷つけられても、傷つけたくない。愛されるより、愛していたい。歌手の前に、人間でありたい。あなたの前で、女でいたい。」と、トップスターの座から引退した彼女。人生は決して、短時間の勝負ごとではない。そして、命は繋がっている。毎日身の回りに起こることに対して素直に誠実に受け止め、日々理解の幅を深めていくことが学びなのだ。
「女性の自立とは、生きていく中で何が大切なのかを知っていること。」これも彼女の言葉。いま自叙伝「蒼い時」を読み返してみても、これが21歳のものかと驚く。プロデュースが多々あってのことだとは思うが、『正直さ』は商品ではなく、自身のものだと思う。
信念ある正直さは時代を超える。もう一度ナマ身の女性として、山口百恵を近くに感じていたい。