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変わらぬ体型のまま魅力を進化 女優イザベル・ユペールの場合

“動的平衡”私は今この言葉に夢中である。簡単に言うと「ミクロでは変化しているけれど、マクロでは変化していない」ということらしい。ひと月前の身体と今日では細胞レベルでは別のものなのだそう。生命を維持するのに必要な方法だと。福岡伸一先生の講義で知った言葉である。

「ミクロでは変化しているのに、マクロでは変化していない」のは、「変化」か「無変化」か。「上手い変化」とみるのか、「長く続く安定」とするのか。いったい、何の話だ。そう、今回の女優 イザベル・ユペールの話。

女優として素晴らしい作品を残している女性はたくさんいる。大女優とは、いったいどういう女優を指すのだろう。作品ごとに全く違う人物になりきってしまう(例えばメリル・ストリープのような)女優。体当たりの演技で圧倒させる(例えばアン・ハサウェイのような)女優。肌の美しさからして存在自体が別格の美人(例えばニコール・キッドマンのような)女優。

どの女性も役者として紛れもなく一流で、映画鑑賞の醍醐味を最大にしてくれる大人物だ。仏女優イザベル・ユペールも大女優のひとりだと思う。が私にとって、映画の中だけにとどまらない女性としての憧れ感が別格な存在。なぜか。自然体なだけでなく、凛としているだけでなく、リアル感があるだけでなく、知性がにじみ出ているだけでもない。ああ、全く上手い言葉がみつからない。30代の姿と60代の姿が変わらないし、当然のように魅力は増している。かなり難解な意欲作、監督色の強い問題作に主演しては、普通ではない状況を描いた物語の中に現実味を持ち込み、作品に意味の深さと真実味を加えるのに成功している。あえて言葉でいうのなら、ユペールの魅力とは、“すべてを含んだ境界線のない曖昧な魅力”。

生物学者である福岡先生の芸術論がわかりやすいのも、アナーキーな設定のユペール映画と自分の生活が同一線上に思えるのも、“曖昧”な中にも信じた核の進化と変遷があるから。自分を脱ぎ捨てながら尚、自分らしさを確立し、悩みながら今日も進むのだ。

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鈴木 郁子(Ikuko Suzuki)
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