競わない先の成熟の在り方 キャサリン・ヘプバーンに学ぶ
ニュースには、もう良いニュースの枠は無くなってしまったのではないかと思いたくなる日々が続いているが、私にはひとつ希望に感じていることがある。かなり歳の離れた世代に感じる『競わない成長』感覚だ。私が子供の頃は、悔しさの後に成長があったものだし、下の世代で順位をつけない運動会が始まったときには大いに疑問を持ったりした。しかし今、大きな声で目標を掲げなくとも、競争心をあおらなくとも、柔和な斬新さで革新していく若者たちの存在があると思っている。競うとはどこかに線を引くという事だが