ほっとするローカルなフードコートでのひととき 第3章の6

 日差しが強まる初夏の昼前、食料品などの買い物に出ようと、家族と高野のカナートに足を運んだ。京都のスーパーのカナートでの買い物は久しぶりである。
 休日での買い物の場所として、特定のスーパーなどに固定しない傾向が我が家にある。休日に買い物に出かける際は、その時に必要な食料品などの購入に限っているわけではない。ぶらぶらと散策することも楽しみにも入れている。そうした感覚で歩いていると、特定の場所の買い物ばかりでは直ぐに飽きが来てしまう。
 散策していると、普段目にしない意外なものが目に入ると、「おーこれは」と財布に手が行ってしまうことがある。自宅に帰り、冷静に判断してみると、「うーん、これはいらなかったかも」と反省である。新しいものに気づき、一過性に取得欲が高まった必然結果である。しかし、散策目的で来ていることを思うと、これくらいの投資は仕方がないと割り切っている。一昔前の現金購入の頃は、万札1枚までという自制がしっかり働いていたが、カード購入となるとガードが甘くなる。月末にカード会社からの請求を見て、「あれ、やってしまった」と、反省である。
 大規模の郊外型のスーパーでは、多くの店があり、置かれている品数も多い。しかし、「おーこれは」と頷けるものはほとんど見つけ出せない。これは何故だろうか。ここでは、衝動買いが減るので、出費抑制にはいいかもしれないが、散策目的には頼りない気がする。
 京都市内の散策では、小売店を中心に、意外なものを目にすることが度々ある。個人店の特性が反映されているからで、個人の好みから全く興味ない店もあれば気を引く店までととても幅が広い。北区のビブレやカナート、京都駅のイオン、cocon、BALなどの京都市内の小・中規模のビルには、こうした店の特性が生かされていることで、意外なものがあったりする。しかし、この意外性も、先程触れたように、たまに行くから感じるので、しょっちゅう顔を出していると飽きてくるのは当然である。
 郊外にある大規模スーパーでは、出店されている店のパターンがどこも同じである。全国どこに行っても同じかもしれない。それは出店されている店が、全国チェーンを持つため、同じになっても仕方がない。さらに、その店での商品展示が同じ様式でされていると全く同じと言っても過言ではない。そして、その中核にあるスーパーの売り場では、取り扱う商品の種類が大幅に削減されている。売れ筋の少ない無駄な商品を割愛し、経営効率を高めるといった論理からこうした状況になっている。そのため確かに、一品の商品価格はかなり下げられるので、少しでも安く買いたいという消費者にとっては有利とも言える。
 この視点は、消費者が生活の中での必需品の取得目的で店に来るという見方である。取得したい商品の価格が安ければ安いだけメリットは大きい。しかし、散策目的といった来店者には効果がない。商品の種類が多いほど興味が湧く。さらに、その商品にこの地域にしか売られていないなどの地域性や限定性が付加されると関心は高まる。例えば、プロバンス地方で売られるチーズ展などがそれに当てはまる。最近の店にはこうした特性を活かした出品が出てきている。大型スーパーにはまだこうした経営戦略がなされていない。これからといったところであろうか。
 郊外の大型ショッピングエリアとして、アウトレットがある。ブランド品などが格安価格で販売されている。そうしたブランド商品は、当初の販売戦略の時期を過ぎたという企業側の判断から、格安価格(セール)で放出される。アウトレットでは、消費者はこうした格安商品を取得できることに喜びを感じる。
先月までは1万円だった商品が、6000円まで下がっていると、6割の投資で同レベルの物品取得が可能になったことへの満足感が得られるからである。デパートなどでのさまざまな時期のセールも同じである。

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