書き抜き 『ボーン・クロックス』
デイヴィッド・ミッチェル自身の呟きともとれる"ことのは"を書き抜いてみました。哲学書もいいけど、どうでしょう、透けて見える作者の価値観。ストーリーの中のフィクシャスアイデアと捨て置けるでしょうか?
P14上段左 ジャッコ
「お姉ちゃんが迷路を進むと、〈薄暮〉が追いかけてくる。それがお姉ちゃんに触れたら、お姉ちゃんは存在しなくなるから、一回でも道をまちがって袋小路に入ったら、おしまいなんだ。だから、迷路をそらで覚えておかなくちゃダメだよ」
*ネタバレ注意、これ重要ポイント。
P22下段左端 ホリー
あたしの覚醒夢はその夏に始まった。頭のなかで声が聞こえるのだった。狂ってるとか、すごく楽しいとかじゃないし、とくに怖いわけでもなかった、最初のうち・・・。あたしは彼らをラジオ人間と読んでいて、なぜなら隣の部屋のラジオがついてえいるんだと、初めは思ってたから。
*ラジオ人間、ってもう。どっちもそうなんですが。
P42下段左端からP43上段右 ホリー
もしも天国が本当に存在するけど、時々現れるだけなんだとしたら?
もしも天国がずっとそこに掛かってる絵みたいなあものではなくて、もっと・・・例えばこれまでに作られたなかで最高の曲なんだけど、生きてるあいだは途切れ途切れにしか聴けないような
*うん、これ受け入れやすい。仕事の合間の一服とか、山登りの後の眺望とか、つまり私たちは天国と共に暮らしているんだねぇ。
P45上段中央 ホリー
あたしは訊ねてみる。「それだけたくさんの国で、なにするの?」
「見てまわる。歩く。安い宿を探す。地元の人が食べてるものを食べる。安いビールを見つける。身ぐるみ剥がされないよう気をつける。おしゃべりする。地元の言葉をいくつか覚える。ただ、そこのいれば、それでいいんだ。ときどき」と言って、ブルーベックは林檎をガブっと噛む。
「ときどき、同時にあらゆる場所にいたいって思って、たまらなくなって、いまにも・・・・」ブルーベックは自分の胸郭が爆弾で破裂するところを真似てみせる。
*そうそう、本来の旅の喜びってこれだよね。新天地を求めて新大陸に渡った気質はまだ生きてる?やっぱり血の中に染み込んでんだよねー。それも手堅い祖国があっての自由を求める気質なのか。
P45下段左端 ブルーベック
「うん、心理学者によれば、第二のへその緒があるらしい、目には見えない、感情の上でのへその緒で、子供のころはっずっとそれで親に繋がってるんだって。ところが、ある日、女の子なら母親と、男なら父親と口論をして、そのせいで第二のへその緒が切れる。そのとき、つまり、そのときになってはじめて、準備がで絵切るんだ。広い世界に入って、独立した大人になるための。通過儀礼みたいなもんだよ」
*フロイト以降、こういう説を普段の会話に含み入れるのはインテリの証だよね。
P77下段中央 ホリー
世の中のヴィニー・コステロどもにとって、愛はセックスするために相手の耳に囁く戯言だ。女の子にとってー少なくともあたしにとってはーセックスっていうのは、本に喩えれば、後で描かれることになる愛に行きつくために最初の頁でやるものだから。
*女子が呟くせっくす論って説得力あるー!でも、これも男子ミッチェルの言葉よね、すると男子の理想ってことかしら。結構メルヘン。
P97上段中央 ホリー
スーパーマーケットのトラックが今日のイチゴを積んで、ガタゴトと出ていく。
グウィンはいま迷っているんだろう、なにも言わないべきか、ちょっとだけ話すのか、それともいろいろ打ち明けるのか・・・
「あたしはバンゴーの近くのリウラスって村の上手にある谷で生まれたの。・・・」
※言うの?言わないの?この逡巡すらトピックになるのがイギリスらしいと個人的に思う。でもこの一文で、この本全体が各章の主人公のモノローグで構成されているけど、いかに多くの外に出さない思考が彼らの脳みその中で行われているかがわかる。
家出したホリーが教会に泊まるのを手助けしたり、ファームのいちご摘みで金を稼ぐのを提案したり気をかけてくれるエド・ブルーベックはのちイーファの父親になる。
ヒューゴ・ラムはもホリーとはスイスのスキー場で出会い深く関わる一人。ケンブリッジの学部生で、ペテンまがいの術でのしあがろうとしていた。他人のアストンマーチンを売り払おうとコンタクトしたディーラーはホリーが10代の時の失恋相手だった。
デイヴィッド・ミッチェルはイメージやキャラクターの肉がついた登場人物を各所に起用する。手法の一方、因縁の相手を登用して『因果応報』を表現してる?
いずれにせよ作者の頭脳の中の住人は生きてるし、勝手だな。スピンオフがいくらでも生まれるくらいイキがいい。
P170下段右端 ヒューゴ
自分が魅かれる相手というのは選べないもんだなと、おれは考える。結局後から振り返って、いろいろ驚くことになるんだ。自分としては、人種のちがいに催淫効果があることには常々気づいていたがあ、階級の相違は言ってみれば性のベルリンの壁みたいなものだ。おれと同じ税率区分の女の子のようにホリーの心を読めないことはたしかだが、どうなるか、まだわからんぞ。
P176下段中央から右寄り ヒューゴ
あれまあ。絶望ってやつは、口唇ヘルペスみたいに厄介だ。
*ほんと!口唇ヘルペスほど厄介なものはないのよねぇ。寝込んだりするほどひどくならないけど、ざらざらと気持ち悪くてワセリンも役に立たない。下手すると脳の中にまで上がってゆくし、あとはじっと免疫力が上がるのを待っているしかないんっだから。
178上段中央 ヒューゴ
男子トイレの個室はル・クロックのトイレとは大ちがいの空間で、どうやら吸入を想定して設計されているようだ。
186下段左端 ヒューゴ
金持ちが貧乏人より生まれつきバカだってことは考えにくいが、きっと裕福な環境で育つとバカさが増幅されるいっぽうで、貧しい子供時代を過ごすとバカが薄まるのだろう。ダーウィン的な理屈だけを考えてもそうなる。だからこそ、エリート層はくだらん公立学校によって、優秀な労働者階級の子供の成長を妨げ、特権階級が囲いこんだ領地から締め出す必要があるんだ。
*はっきり言いますねぇ。選民思想や『上から目線』はもうヨーロッパは地動説みたいに当然。
188上段左 ヒューゴ
「金だよ。資金、財産だ。お前の分と、ルーファスの分と、お前の友だちの分だ。もしなければ、どうやったら借金を返せ得るか、水平思考(問題解決にあたって、既成の枠にとらわれずさまざまな角度から自由に思考をめぐらす方法)をすることになるぞ」
*水平思考・・・勉強になります、あーざす
193上段中央 ヒューゴ
これは性欲とはちがう。性欲はただ欲して、当然するべきことをしたら、そっと森へ帰っていく。愛はもっと貪欲だ。愛は二十四時間無休のケアを求める。お互いを護りあうこと、指輪、近い、共同の銀行口座。誕生日のアロマつきのキャンドル。生命保険。赤ん坊。愛は独裁者だ。
199下段中央から左 ヒューゴ
愛とは、太陽の中心での核分裂。愛とは代名詞の境界がぼやけること。愛とは主体であり、客体でもある。それがあるのとないのとでは、生きているか死んでいるかくらい違ってくる。実験的に、声は出さず、海のように息をするホリーに向かって、おれは愛してるという。今度はヴァイオリンくらいの音で囁いてみる。ー「愛してる」誰も聴いていないし、誰も見ていない。だがそれでもやはり、森のなかで木は倒れるんだ。(十七世紀の経験主義哲学者ジョージ・バークリーが「誰もいない森で木が倒れたら、それは音を立てるか」という問いを立てた)。
198下段右端 ヒューゴ
「・・・10代の反抗をしたとき、七歳児がどんな反応をするかを予測できなかったからって、自分を痛めつけるのはよせよ。ル・クソ・クロックに自分を生き埋めにするのはもうやめろ。きみの罪滅ぼしの苦行は、ジャッコの役にはたってないよ。
中略
こんな物言いをして、きみの信頼を裏切ったと思われるかもしれないけど。だけどおれは一つも聞いてないよ、きみが意味のある、そして、満足のいく人生を送る権利を、諦めざるをえないようなことは」
*落ち込んでる時優しく耳を傾けてくれる人は多いけど、不機嫌な顔しながらも本当の意見をいってくれる存在って希少。それによるインパクトも引き受けるだけの甲斐性があるってことよね。それに愛してる。
334下段左端 クリスピン
「しかし、いや、やはり同意できませんね。詩人が世界の非公認の立法者だって意見には」とリチャード・チーズマンが語っている。
337下段右より
エド・ブルーベッグ 戦争ジャーナリスト
おれに向かって、魂の存在を信じるか、もしそうなら、魂とはいかなるものなのだろうか、と訊ねた。おれは気の利いた返答をする。魂とはカルマの報告カードであり、肉体というハードドライヴを求める精神のメモリー・スティックであり、死すべき運命についての不安を解消するために人間が作り出した偽薬(プラシーボ)である、と。アフラ・ブースは、おれがー「周知のとおり」ー典型的な責任回避人間なので、そうやって問題をはぐらかすんだと応じた。
350上段左寄り クリスピン・ハーシー 才能が枯渇した小説家
「書くってことは病の一種なんだ」おれはそう答える。
389上段 クリスピン
もしあなたが散文で世界の美しさや真実や苦痛を描こうとするのなら、もしあなたが会話や行動をとおして人物描写を深めていこうとするのなら、もしあなたが小説の中で個人と過去と政治を融合しようとするのなら、あなたはこの国の、七百、八百、九百年前のアイスランドの作者たちと、まさに同じことを目指しているのです。はっきりこう言ってしまいましょう。「ニャールのサガ』の作者は、のちにだんげやチョーサー、シェイクスピアやモリエール、ヴィクトル・ユゴーやディケンズ、ハルドル・ラクスネスやヴァージニア・ウルフ、アリス・マンローやユーアン・ライスが用いたあのとまったく同じ語りの技法を使用しています。どんな技法なのか?
複雑な心理描写、人物の成長、場面の最後を締めくくる決めの一行、多少の美徳を兼ね備えた悪漢、悪の要素も併せ持つ英雄、フォアシャドーイングとフラアッシュバック、わざと読者を惑わせる記述。古代の作家がこうおした技巧をしらなかああったと言っているのではありません。しかし」おれはここで、オーデンと自分の評価を危うくしかねないことをあえて言う。「アイスランドのサガにおいて、西洋の文化でははじめて、小説の原稿と呼ばれるものが誕生しました。小説という用語ができる五百年も前に、サガは世界初の小説として生まれたのです」
*朗読会なるものを昔々からやっている文化は引用を普通にするよね。
390上段中央 クリスピン
「作家は虚空のなかで書くわけではありません。じっさいにある空間、部屋、理想的にはラクスネスのグルーフラシュタインのような家で、執筆をしつつ、同時に想像における空間にも身をおいています。我々はがらくたや宝物のいっぱい詰まった箱や、ケースや、棚や、引き出しに囲まれています。わらべ唄、神話、歴史ートールキンはそれを「腐葉土の山」と呼びましたーこういった文化的なものだけでなく、そこには個人的なものも含まれます。子供時代のテレビ番組、家族特有の世界観、両親から聞いた話、のちには子供から聞いた話、そして、これが重要なのですが、地図も。心の地図です。どこかで終わっている地図。オーデンにとって、そして我々の大多数にとって、地図の終わる場所こそが、大きな魅力を持つのです・・・」
398上段 クリスピン
副詞は散文の血管に溜まったコレステロールだ。副詞を半分に減らせば、文章の血流は倍ほど良くなる・・・
あと「ようだ」っていう表現に気をつけたまえ。話していて口ごもるのと同様に、文章がもたつくから。それから直喩や隠喩に一つ星から五つ星までの成績をつけて、三つ星以下のものは削ってみるといい。削るときはつらいけど、あとですごくすっきりするから。
*まじ勉強になる。
399上段左端 クリスピン
「そのとおりだ、アーシリア。作家ってものは、統合失調症と戯れ、共感覚を育み、強迫神経症を抱えているんだよ。きみの芸術は、きみや、きみの魂や、そうだな、ある程度までは君の正気ですらを糧にして生まれる。読む価値のある小説を書くことは、きみの精神を損ない、君の人間関係を危険に陥れ、君の人生を誇張させることだろう。心しておきたまえ」
*書く人本人の信念かぁ。覚えておきます
433上段右端 マリナス
エスターは不適切と思った質問は、黙殺して答えない。
453 上段中央
クレティウス 『物の本質について』
455 下段左端
良心なんて、骨時計(ボーン・クロックス)のためのもんだ、マリナス、きみは打ち負かされた女だ。
*題のボーン・クロックスはそのまま骨時計。有機的な入れ物を持たないラアンコライトは死にそうな人間の魂と入れ替わって中に入り、生き続ける。それを繰り返し永遠に生き続ける。マリナスはアンコライトの所業を知って食い止めようとするホロロジスト(時計学者)。上記は、転生してなおホロロジストであり続けるアイリスに過去の名前で話しかけ、「良心なんて有機的入れ物のおもちゃにすぎない」と言っているのだ。
そうかぁ、アンコライトから見たら良心は生存それ自体には関与しない副次的なものなんだね。
Kindleの811
ごく稀にだが、図書館が一つの精神のようになるときがある。
*この一文がなかなか見つけられなかった。Kindleにダウンロードしてやっと見つけた。
『図書館』の検索でいくつか上がった。この方法でコンテンツを論文のように見てゆくのもおもしろい。