それは何かの禊に似て
デトックス歌手だと誰かが言ってた。
世田谷の三軒茶屋のライブハウスに行った。
ここのライブハウスは20周年を迎えるらしい。2019年からのパンデミックはこうしたライブハウスを窮地に落とした。ここはクラウドファンディングで生き残った組。立地もよくひっきりなしにライブが開かれている。住宅地の音楽の穴倉はあまりにも当たり前に存在していて、世田谷区民が羨ましい。こうやってリベラルな人たちを守ってきたんだろうなぁ。
穴倉に入ると、そこは思想の海。
揺蕩う黄金色の時間に体をひたす。作務衣の仏師、ニットキャップのナチュラリスト、グレーの背広の企業戦士、オフィススーツの女性、パッチワークシャツのリアルヒッピー。お客の発する色のバラエティにちょっと驚く。
それもそのはず、今日の主役は引田香織さん。先日千葉の長南ハウスで幸福セッションを施してくださった方。
私はこのかたとひょんなことから知ることになったのだけど、初っ端で思い切りグイと引き寄せられたのは『カタカナムウタヒ』だった。耳に優しく気高く懐かしい。YouTubeに流れる朽ちた百羅漢と無音の時の音が吸われる感じ神々しかった。ぜひCDにして売って欲しいと、FBで見つけてダイレクトメッセージをお送りした。なんのことか不思議に思われてたでしょうに、送ってしまったから仕方なく、遅ればせながら引田香織さんを勉強させていただくことにした。
香織さんはかつてはアニメソングの主題歌などを歌い、ライブ活動とボーカルトレーニングを提供していらした。インターナショナルなカラオケアプリには当時のテーマソングがアップされていて、外国の方が歌を添えている。その後コロナがライブを活動の中心にしていたアーチストに試練を与えていたのは事実で、彼女もその波を被った。今は、移住した千葉の新天地で仲間にも伴侶にも恵まれ、新フェーズを進んでいる。
私がこれまで知らなかっただけですごい才能の、有名なシンガーだと思ったら、彼女は実に謙虚で破天荒。自分のSNSに日々の全てを晒しているのだ。そのおかげでFacebookで彼女を初めて知るファン、サポーターがとても多い。FBには、彼女を中心点とした円のような縁の広がりが見える。怒ったり、困ったり、嘆いたり、喜んだり、そのたびに誰かが応える。あたかも人生劇場を見ているよう。散々ネットサーチして見つけた彼女の別サイトでやっとCDを入手した。なぜこれがAmazonじゃないの?、そもそもどうしてFBにこのアクセスを載せないの、もう親心になっている。
とそんな具合に、今彼女を支えているのは自分で見つけた人らしい。グレープフルーツムーンの入り口で待っている間、同じように待っている人に声をかけてみる。どこで知ったのかという問いにFacebookという答えは結構多かった。
そのCDはもう何度も聴いた。ここ一曲ごとに風景が変わる。ストーリーが生まれる。耳に残る言葉が醸成されて、心を癒す。気がつくと一日の終わりに彼女の歌が欲しくなるのだ。カタカナムウタヒも同じだ。カタカナムは日本の古代文献。漢字伝来より前に使われていたとされる文字で、読むだけで病を癒すと言われている。能書はどうでもいいのだが、彼女がつけた音は能書を裏付けするに相応しくて優しい。一日中耳にしていたい、空気が浄化される気がするのだ。
でも、やっぱりここ、Grapefruite Moonでのライブは別格だった。
アップライトの前に座り、夫君との愛ある喧嘩話を一節披露して座り直した。そこまでが普段着の彼女。そして天を仰ぎ目を瞑り、大きく肩を右に倒したかと思ったらピアノが静かに音を発した。まるで祈りの儀式のよう。思いを込めるように鍵盤に指を沈める。そのたび彼女の上体は大きく揺れる横顔は何か呟いている。彼女を照らす丸いスポットライトは彼女自身が発する光にも見えて、気が付くとこの空間は彼女の色に染まっていた。 そのうちに観客たちが意識を全部彼女の背中一点に注ぐのだった。軽く揺れたりして、見るとシンクロして目元を拭う人もいて。誰ぎデトックス歌手と呼んでいたっけ。
ピアノは彼女を喜ばすために、望んだ音を出す。私の脳裏にいろんな過去が思いが浮かんだ。それはほかのひとの脳裏にもおき、いろんな映像を映し出したんだろう。その凄さに彼女はまだ気づいていない。いつものイベントの端で歌う彼女の姿とは全く違っていた。祈りなのだと思った。憑依か、あるいはいつもは普段を纏っているのだけなのか。とにかく、この閉鎖された空間に、ほんの束の間繋ぎ止めていた心の何かを解放してやる時間、そんなふうに見えた。
バラエティに富んだ人たち。引田さんにたどり着いたこの人たちともまたご縁があるような気がして、なぜか嬉しくなった。
大きな箱もいいけれど、
たまにはまた、こんな小さな地下の箱で、祈りと懺悔と背中の荷物を下ろすこんな時間を作ってくださいな。濃度の高い時間をありがとう。
すっかり暮れた住宅街を、魚のようにスイスイ。ライブの後の心と体は軽い軽い。禊を終えたあとみたい。
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