フリーマーケット報告(Feb.,'25)
前回12月の時よりも確実に寒いのに、今日の人出嘘みたいでした。午前8時からの受付におそるおそる顔を出したら、70%の区画でもう準備ができていて、開始のアナウンス前にうちは準備した半分は売れていたかな。
総括:ほぼ思惑どおり
思惑というのは2ヶ月前、初参戦した牛久市のごっ多市で見つけた知見みたいののこと。
とにかくごっ多市は、家庭不用品のアウトレットの色が濃いマーケットで一番の売れ筋は衣料品。寒い日の出店に膝掛けを持っていったらそれにも値段がついたというくらいファブリックは売れる。興味のある方はこちらも。
何を売ったか
今回は前回の反省に基づき、新しい雑貨などは仕入れなかった。むしろ家の中の不用品を持参することにした。前回の帰り、あれを持ってくればよかったこれを持ってくれば良かったと頭に浮かんでいたものたち、それをビートルのトランクに積んだらすぐにいっぱいになった。
それに加えて、家の本棚に並んだ本の中から、里子に出したい子達を選抜した。これには言いたいことが山ほどある。それをグッと堪えて、まずは売れたものをご紹介します。
①のり! 頂き物の海苔は腐らないものの、重なって多すぎるので一缶百円で。のり高騰の折、まずはこれがすぐに売れた。
②犬のおやつ。我が家の愛犬太郎のお口にあわなかった、グルテンフリーのお菓子。
③犬のマナーウエア。サイズが合わずに使えなかったものを10枚程度小分けにしたけれど、すぐに完売。
④緑のポスト
⑤製菓用めんぼう
⑥ふくらはぎ ストレッチ器
⑦ペット用 室内階段 買ったはいいけど大きすぎて使えないためやむなく販売
全部百円という惜別の思いを込めたさよなら価格が良かったのか、上記のものはすぐに売れました。①から③ぐらいまでで1500円という出店料はペイできましたので後はお小遣い。
さて、本のこととなると・・・
昨年来、本好きとはなんたるか、なんて自問自答を繰り返してきたけれど、自分は本好きだと自負せざるおえないのは本棚に嫌いな本を置きたくない件である。映画化されても手に取った時の感動を忘れられなくて手放せず30年以上持ち続ける本もあれば、セカンドストアに持ち込むのも面倒でむしろフリマで百円の値をつけようってリベンジしたくなる本もある。今日はそういう本を含め15冊を持っていった。そのうち10冊が売れた。1冊百円だから本屋大賞受賞作品にはリベンジになったし、買った人もあれを古本屋へ持ち込めばそれ以上に買い取ってもらえるのでお得でしょう。また名言集的な本も百円買取は難しいのでこれも上々だった。
不用品はすぐに売れたところで、のこったのは自作の本と、本棚にあったいらない本。今回は地面に敷いたラグの上にこれを並べた。意外なのは、これが結構目を引いたこと。古い本もあったけれどこれは年配の男性の興味を引いたらしく、何人も手に取ってくれた。結局、論語と偉人の言葉の本は一人の御仁が買ってくれた。
この時私は、自分で箱に入れながら迷っていた本があって、それを売るかどうか考えていた。小春日和の日差しの中である、赤いラグの上に座り込んで本を読んでいる私は、異次元の人間に見えたに違いない。数人が足を止めてくれた。
その一人が手を伸ばした先には、恨みも何もないけれど愛着も消えた渋い漫画本が。未だ迷いはあったものの、それを直接伝えた。ふーん、面白そうだね、といったきり、それを手放す。あらら、とこちらは思ったものの、相手も膝をついて10冊程度の本を手に取っている状態。まるでお点前しているかのようなのどかな感じに、目の前の『三体』を薦めてみる。読了できなかったことは悔しいけれど、映像で見た以上それで十分という感じ。作者が自国の政治体制を糾弾する苦々しさと、文化大革命の歴史上の禍根、無理くり、残忍さ、全てを次世代に引き継ぐ役割を果たした作品としてものすごく意味のある作品。そんなことを、気づけばとうとうと話していた。
「自分はリアルタイムでは見ていないけど、うん。あるねそういうの。政治は宗教だね」と深い言葉が返ってきた。
「よく本は読んだんだけど、最近は読めなくて。読めないのを置いておくのも嫌なんだよね。」
そう言いながらまだ手には三体を持ったまま。
本って一人の世界だけど、もしかしたら誰かと繋がる世界なのかもしれない。言葉があるって幸せだなって思った。だって、私が言いたい三体のあそこのことは、もしかしたらこの人には違うふうに伝わるかもしれないけれど、きっと今この昔は本を読んでいたこの人がまた手に取ってみようかなというきっかけは、言葉でしか伝えられないからね。
そして本って、漫画って、そういう人がそっと手に取ってっくれるのを待っていてくれる。
本のことを人とお話しするのって楽しいなぁと本当に思いました。昔から読書感想文なんか意味わからないし、現国の授業の意味がわかないし、読み方も感想も自由でいいじゃん、共有する必要ないし、と思っていたのに全部一新する楽しさ。
これっておそらく、目の前の人を相手にしているから。その人にひっかかる話題を探して試行錯誤して話しているから、きっと。
これに味をしめて、いろんな方と話をしました。何十年も前に古本屋で買った『哲学十三講』を手に取った吾人は外大出の元スペイン語通訳で、能動態と受動態の中間にある”中動態”について教えてくれた。
中動態というのはAIによると
AI による概要
詳細
中動態とは、文法上の動詞の「態」のひとつで、「する(能動)」と「される(受動)」の間に位置する現象を捉える概念です。
スペイン語において使役動詞として使われているesをつけると、現在状態から次の状態への経過をすっ飛ばして出来上がった状態を指すのだという。その状態にするためにesをつける心理を自分は研究している、というお話。
この3行の要約までに、私が知っているバチカンで使われ、ほぼ読み書きだけの言語として認識していたラテン語が、現在のように確立する前に俗という冠名をもらった別流の流れがあること、それがフランス語やスペイン語の源流となっていることを知るわけです。
そしてこれがすごいことなんだけど、このesは他の言語にも使われ使役的意味合いを持つこと。その根元が、言語は音であるから、意味合いを持つことに哲学的な心理現象や概念が存在するであろうという点です。
外大って外国語を習得するばかりじゃないんですね。いやそういう場所かもしれませんが、言語の興味が習得にとどまらないのがつくづくすごくて感動でした。
自作の本は一冊も売れませんでしたが、
でも自分が本について話すがこれほど好きだと知れたのは良い点でした。そして結構みんな話がしたい。水を向ければそれはそれは面白い話はいくらでも出てくる気がします。
本は売れなかったけど、文学フリマでどんな売り方をしたらいいかヒントをもらった気がします。
また今度は4月かな。それまでにまた本を作って、ゴッ多市に参戦しますぅ!