
脳みその中の神様
今日はちょっと脳みその話です。
オチはありません。ただ、皆さんにはこんなことはありませんか、って共有したい話であります。
まちがえやすいことはわかっているんだけど、気がつくとやってしまうミスありませんか。それから身辺についてまわるブラックホール。大事なものを知らぬ間に呑み込んで、思いもしない場所に出現させる。私の場合こんなことが起きます。
①6と9を間違える。
英語で喋っていても間違えます。6と言いながら9と書いているし、人から聞いている時も反対を書いてしまいます。これが必ず起こるのなら、自分メモを常に反対だと考えればいいのですけど、雨垂れ式に起こるので困ります。
②濁点が抜ける。
キーボード入力で濁点が抜けてしまうことがあります。不思議です。日本語はローマ字入力しているので例えば『し』はshi、『じ』はjiと使うキーが全然違うのにしばしば起こります。も一人の自分がいて、わざと濁点抜きで打たせているのかと背筋が寒くなります。
③ものがなくなる。
この癖は血筋です。懸命にしまい場所やこの後の使い方など考えているとそのものが神隠しにあったみたいになくなります。母のそんな癖は何度も見ているので鷹揚に構えて気にしないようにしています。可能なら予備に数点か用意したり、気を落ち着けてものの方からひょっこり出てきてくれるのを待ちます。そして案外、短い間に、思いも掛けない場所から出てきます。一見大変困り事に思いますが、これまで大ごとになったことはありません。本当にキツネが摘んでいったのかもしれませんね。
④パンがなくなる。
今から一月ぐらい前、家でパンを焼きました。うちのHBはもう十年近く使っているので耐用年数切れが近づいているのか、近ごろ上手に焼けません。その時も焼き上がりがポソポソで、やあこれはもう生地作りにしか使えないなと思っていたのです。それでも勿体無いのでホットサンド用にスライスして冷凍庫に保存しておいたのですが。それが消えました。三切れ使ったところまでは覚えているのですが、その後探しても見つかりません。
華子さんが食べたのだと思いました。
季節が変わってカーペットをしまう頃、ソファや食堂テーブルの下から保存袋が出てくるんじゃないか。そんなことを考えていました。美味しくないのに華子が食べてしまったのが、嬉しかったんです。
ところが、今日、冷凍庫に保存したはずの食パンが再び消えました。残念ですが、これは近頃できた美味しいパン屋のもので一週間前のことなので華子さんとは関わりありません。
寄る年波のせいなのだと考えますが、いつもパンなのが怖いです。
そういえば、華子さんに痙攣が来た日の朝、眼鏡を無くしました。庭仕事の途中、気づいたらかけていなかったのです。以前にも同じ場所で落としたことがあったので、出てくると思っているのですがいまだに現れてくれません。不思議です。
皆さんには自分では理由が見つからず、直せない癖はありますか?
若い頃はこういう失敗は突っ込まれやすくかなり気を使って注意していました。でも近頃は、ま、いいやって思います。
そう考えると、気が楽です。ぼんやりって、すごくいいんじゃないですかね。小さい赤ちゃんがいて注意が必要みたいなことはもうないですし、失せ物の後始末はきっと誰かがつけてくれます。そのための家族です。
それから、ぼんやりを許すと、心に神仏・フェアリーの居場所を作りますよ。そうでも、そうでなくても、あの方たちは見えませんから、失せ物を持ってきてくれた時、自分を責めなくてすみます。感謝もできます、探しいだしてくれて、ありがとうって。
LEDライトと人工知能の発達で、もののけの隠れる場所が減ってきましたけど私は潔く、もののけのせいにしたいと思います。そのほうが先の見えない未来に期待できそうな気がするので。
脳って常に謎と驚きを隠し持った器官だと思いませんか?「自分」の他に、「自分の脳」の作為についても、考慮に入れなくちゃいけない。ずうっと前に見つけた脳神経学者のスピーチを下に添付します。 脳卒中になった時の経験を語っています。自分の中で、意思決定している『自分』という存在は絶対的な一つの存在じゃなくて、いろんな自分の都合を総合的に比較して決めている複合的な存在なのかもしれないと思いましたよ。とても興味深かったです。神様は自分かもと、思うかもしれませんよ。