銀座東洋物語。10(ドッペルゲンガー)の①
「鍵を換えるしかないんですよ」
そういう声がして振り返ると、バックヤードにたった一つしかないエレベーターの列の後ろにハウスキーピングマスター、邦康さんがいた。彼はバレーボールのプロになるかホテルマンになるか迷った経験を持つ人である。ソフトなハンサムだが、タッパがある姿は威圧感がある。しなやかな筋肉を包んだグレーのスーツのユニフォームの腕がピンと張り詰めているから、いざとなったら泥棒や強盗に向かって行ってくれそうで頼りになりそうである。
何の話?
私が振り返り半身で彼を見上げながら尋ねると、
「あ、こちらGM秘書のFukumaruさん」
と隣の紳士に私を紹介した。
「清雅様ですよ、去年から803に連泊中の」
ああ
GM室での話や毎週のマネージャー会議で知っているはずなのに、外の業者の前で説明を受けなければならないとは。ちょっとがっかりしながら、業者を見たが、想像していたよりずっと洗練された感じの人だった。どうやら鍵のシリンダーを変えるだけではなく、本格的なセキュリティにしようとしているらしい。
清雅というゲストはすでに一年半に滞在している。住んでいる、と言った方がいいかもしれない。最初は関西の老舗百貨店一家の紹介で一週間の予約だった。地元は東京だというのに少し奇妙に感じたが、ホテル東洋は紹介でしか予約を取らないから引き受けるしかなかった。
紹介制というのは、裏を返せば紹介する人が相手の信用を担保するということだから、経済的にもステータスも担保する人間の信用に値する相手だということになる。老舗百貨店一家はそもそもホテルの顧客ではなかったけれど、ネームバリューもあり一通り一見さんの予約ルーチンをパスしたので予約を受けることになった。こんな時のために予約課の小さなブースには会社四季報も常備してある。
その清雅氏は予約の翌日、到着した。しかし夫婦連れとはこちらでは聞いておらず、挙句、部屋が狭いとクレームがあって2ランク上の部屋に変更した。この時は約2倍に室料が上がるのを気持ちよく了承していただいた。しかし2週間目に入ると、さらに様子がかわった。
まず、長期滞在するつもりだからと、同じ室料のままスウィートルームを要求してきた。それもホテルに一室だけの、フランス人デザイナーの名前を冠した部屋を指定した。その部屋は、そのデザイナーのパリの居室を模した作りで、ベッドルームはショートケーキの形をした建物の最上階のきっさきにあり銀座通りのストレートラインを見渡せた。ベッドは天蓋付きで、うさぎの毛皮をつないだベッドカバーがかかっている。調度品の布地も客室のファブリックも全てブランドの特注品。デイユースは品位を欠く利用に繋がるから極力受けないのがホテルのモットーだが、この特別なスウィートルームを気に入るとまるまる一泊料金を支払い、様々な目的に使う客もいた。
もう何十年も前の話だから時効だろう。私はこの部屋をめぐって同級生に遭遇した。普段はしないのだが、人手がない時ショールームを私が対応したことがあった。ゲストは訳ありな感じの50代男性と煌びやかな装いの若い女性。女性の方に見覚えがあった。型通りシングルの部屋から始めて、一通りコネクティングタイプ、化粧室付きのジュニアスウィート、スウィートルームを数種と、小一時間かけて見せたところで女性の方が例のデザイナールームを見せて欲しいとリクエストしてきた。銀座通りに遊びに来たついでに泊まりはしないが部屋を見てみたい、見せて欲しいというリクエストは結構あった。そしてこのようにあの部屋を看板にしていたため、特別なことがない限りこの部屋は売らない。空室だから見せることができた。格段に洗練されていて豪華な作りに女性は一目でが気に入り、デイユースでパーティをしたいと言った。ショールームだけのゲストと思っていただけに、この時点で正直びっくりした。しかしホテルのポリシーは前述のとおりである。いったん引き下がった後、電話で連絡があり一泊料金で予約を受けた。当時で約40万円だった。電話をもらうまで数日考え続け思い出したのは同級生の名前だった。予約表を見て驚いた。同級生その人だったからである。一緒にいた男性は誰だったのか、いろんな想像が頭の中をかけめぐった。結局、その予約は取り消しになり、私がホテルに勤めている間に彼女が来ることはなかった。一度だけ言葉を交わしたことがあった。それはあのブランドルームで何をするかの話題の時だった。パーティーをするという彼女の言葉に、全身あのブランドで固めないとね・・・と冗談をいうと、
「当たり前でしょ」
一笑に伏された。同級生とは、『人生のごく短い時間を一つの空間で過ごしただけの存在であり、それ以上の関係ではない』というテロップが彼女のスンとした横顔の下に流れた気がした。それ以来、彼女は別の世界の人の人で、現世の巷で出会うことはなかった。同じ窓から並木道を見ていた彼女は、40年以上たった今では、本当に存在していたかと疑うくらい遠い存在になった。
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