Do-shite馬にのらないの?!
もう何年前になるだろうか。
美浦村の中心には大きな公園がある。入ってすぐに大きな草地があり、霞ヶ浦に向かって開けている。そこで馬のイベントが開かれた。
説明のいらない美浦は中央競馬会のトレーニングセンターがある。中央競馬会の肝いりのそのイベントは日本の馬の行事をそこへ持ってきて一斉に披露したのだった。
日本は昔から馬を農耕につかってきた。農耕機がなかった時代、馬は大事な労働力で同時にパルであった。季節ごとの神事にも使われている。
昔々でいえば、鎧兜の甲冑を点けていた時代も、馬がいた。あの時代に甲冑を身に着けて馬に乗ることができたのは、土着の馬が小さく乗るのが容易かったからだという。
スエーデンのダーナラホースやトロイの木馬のように日本各地にも馬にまつわる物語がのこっている。三春駒もその一つ。トロイの木馬はいまでこそ初期のコンピュータウィルスの名前になってしまったが、三春駒も仏像をつくった残りの木片で作った木の馬が坂上田村麻呂をたすけたという言い伝えになっている。いずれもたくさんの馬が援軍になった話だ。
神事に馬をつかうのは日本中に昔からある習慣で、流鏑馬は今もしっかり引きつがれている。これに至っては、流鏑馬好きの人が各地で開催される神事に流れで参加する、そのためにバイトをしながら旅ぐらしをしている話をきいたことがある。羨ましい話。その女性は自前の軽自動車に流鏑馬のための着物から弓道の道具などすべてを詰め込み、仕事以外をすべて馬と流鏑馬にそそいで生活していた。日本人というと農耕民族というイメージがあるけれど、狭い日本を一つの目的で移動し続ける生活をしつづける彼女はハンターみたい。日本にもノマドはありうると思わせる。土地に根付かない生き方も、むしろ狭い日本だから、大きな差異のない文化を共有士ているがゆえにできることなのかも知れない。
馬本体から見た時、木曽馬や道産子には側対歩がみられることがある。側対歩とは、前足後ろ足が左右ごとに運ぶこと。つまり右前足と右後足が同時に動き、次に左の前後足がペアで動く。入学式でちいさな子どもが手足が同時に動かすのと動きとしては同じ。どうしてそうなるか、というと「農耕馬が起源の馬は、畑の畝を壊さず直線ですすむようしつけられているから」と訊いたことがある。同じような目的で側対歩なのは犬がいる。犬にも元来の繁殖目的があって、そのひとつ害獣駆除。畑にすむモグラを土の中をハントするために作られた犬は側対歩が多い。側対歩は筋肉の消費エネルギーが少なく済ませることができるエコノミカルな走法だという見解もあるけれど、犬は心理的状況で歩き方が変わるというから、馬もその可能性はある。いずれにせよ遠い昔の記憶が遺伝子にのこった影響で、その仕事にむいているということ。
農耕という意味では、昔から日本にも馬はいた。ただ欧州のように広い土地を耕すために家族ごとに飼っていたというのではなく、馬を持てたのは多くなかったのではないか。大事にされていた馬は、母屋の中の厩に飼われていた。福島県猪苗代の野口英世の家でもそれが見られるし、埼玉県長瀞で保存されている古い民家でも見られる。冬の寒さからまもり家族同様に大切にされていたのがうかがえる。実際、裸馬にまたがると人より体温が高く、大きな体から立ち上る温度は同じ屋根の下にあったら室内の温度をいくらか上げる効果があるかも知れない。
これは私の根拠ない推測だけど、筑波山の名物に『がまの油』というのがあるけれど、あれは元は『我馬の油』だったのではないかと考えている。福島、埼玉の土地で同じ家屋内で馬を飼っていたいたくらい大事にしていたのであれば、大事な家族が死んだ時その亡骸までも無駄にしまいと加熱して作ったのではないか。馬油というのがあるので、馬の油は体によいのは既知の事実。もとは愛着のある生き物からの恩恵を無駄なく受けるためだったのでは。それに霊験あらたかな、神社の恩恵をいただき蝦蟇と名付けたと、考えたら馬への憧憬も深まるというもの。馬糞も燃料になる。肥料にもなる。梅には特に馬の落とし物が効果的だそうだ。
さらに今は大河ドラマといえば馬にのった武将がつきものだが、甲冑を身に着けてもなお馬に乗ることができたのは、当時の馬はもちろんサラブレッドではなく、木曽馬のように体高の低い馬だったためだそうだ。
掘ればまだまだ、馬が生活に根ざしていたいろんなものが見えてくる。
そうそう、最初の馬のイベントだけど、最後に馬追がおこなわれた。数え切れない頭数の馬が駆け回り、あの大きな草地が狭く見えた瞬間だった。竹ひごにやさしい色合いの紙吹雪をはりつけた縁起物が、馬の鞍からハラハラと落ち、それに子どもたちが群がった。当時、幼稚園児だった息子たちはそれをひろうと得意げに振り回しながら家に帰ったものだ。
その縁起物は数年、社宅の天井を飾っていた。
馬はごくごく生活に溶け込んだ動物だった。
あの大きくてあたたかい体に身を委ねる。それもごく自然なこと。
Do-shite馬にのらないの?!
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