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【小説】水族館オリジン 5

chapter V: 君しかいない

崇くんは東の生まれです。がっしりした体躯にやわらかい声、きちんとした言葉をしゃべります。話をすると育ちがいいのがすぐバレてしまいます。そんな彼のトレードマークはポロシャツと作業ズボンと長靴です。一年中それ一択です。七五三の魚釣りみたいでかわいいやらおかしいやら、おもわず笑っちゃいます。子供っぽくみえるのは彼の育ちのせいなのを改めて確認する出来事がありました。

先日、崇くんの大学の親友がたくさんきてくれました。
友達が多いのはいいことです。でも聞いていた人数はとても多くて、とてもじゃないけれど私たちの小さなアパートの部屋には入りきりません。
そこで、浜につづく庭までリビングルームを広げることにしました。いつものように掃き出し窓を開け放ってテーブルをだします。小さなキッチンのコンロだけではたりないので、庭と砂浜の境に穴を掘って炉を作りました。これは崇くんの仕事。そこに流木や砂の中にちょろちょろ生えている乾いた草をちぎって火種にしました。
私は一週間前から料理の準備をしました。図書館の帰り、地元のお肉屋さんに寄って地豚を買いました。パンチェッタをつくるんです。隣村の、海岸続きの干潟でそだてられた豚は特別おいしいんです。塩分を含んだ牧草で育った豚さんは肉は味が濃いそうです。おいしいと崇くんが言ってくれたので作ることにしました。
お魚は崇くんが。いいえ、もちろん水族館のお魚じゃぁありません。が、いろんな魚介類を持ち帰ってきました。お酒もずいぶん前から買いそろえて、崇くんは本当に楽しみしているようでした。

お昼をまわって海の上のお日さまの、黄色い色が濃くなったころ、崖の上の村道が騒がしい。海岸ぞいの路地にいくつも車が停まる気配がしました。
エンジンがとまった後もさわがしいのでキッチンの窓から覗くと
白いコンパーチブルの小さな車が止まっていました。
折りたたまれた幌の向こうに動く頭がいくつも見えます。おおさわぎです。
その手前にはミニクーペが停まっていて、漁村には不似合いの男の子たちが降りてきました。パステル色の明るい風がふきました。

私は、今日のためにって水族館のパートのおばちゃんたちが崇くんに託した
自家農園の野菜たちをあらっていました。山からの水はつめたく手がかじかみます。
バーニャカウダにするまえの野菜はパリッとしている方が絶対においしいので、仕方ありません。美味しいって言ってもらいたいし。
野菜たちに生きかえってもらうために、冷たい水にひたしてやらなければ。
前の日にピカピカに磨いておいたステンレスシンクにたっぷりと水を張り、
そこに野菜たちを放ちました。
水の中の野菜たちは金魚鉢の中のお魚のように思い思いに呼吸しているみたいに見えました。そろそろざるに上げる頃かしら。

あら?

見かけない車が二台。
めったに入ってこない路地に入り込んでくるのを見て手がとまりました。
キッチンに一緒に立ってパンチェッタを冷蔵室から出し水分を拭い、出来具合を崇くんが確認していました。

「お、きたな」

市場の前掛けで手を拭きながら崇くんが窓から外に出て行きます。
本当の魚屋さんか炉端焼き店の主人みたいです。庭を横切って砂浜をまっすぐ突っ切り、公営海水浴場の石段の下から車を見上げています。
なんと全部で六人も出てくるじゃありませんか。みな手に何かを持っていて、とてもにぎやかです。わたしはだんだん緊張してきて、もう見ていられません。なんども冷蔵庫を開けたり閉めたりしてしまいました。

みなさんが小さなアパートに集まりました。どうしましょう。
こんなとき、どんな顔をしていたらいいのでしょう。どなたかご存知ですか?

「これ、うちの」

小さな玄関がお友達でいっぱいになると、崇くんはすぐに私を紹介しました。
はずかしくて下を向きました。
『うちの』って、普通は結婚したひとが奥さんを紹介するのに使う言葉、のはずです。崇くんは何も言わないけれどそう思っていたのかしら。
それとも単純に私の事を指す指示語として行ったのかしら。
ぐるぐる頭の中を回ります。
うちの、うちの、うちの・・・。

頭の中で繰り返しているとき、わたしは自分の靴下の爪先に穴があいているのを見つけてしまいました。ぜんぜん別の恥ずかしさで、心が追いつきません。
穴をみているのに、無意識に耳は崇くんとご学友の会話を拾うのです。

「引っ越しと移転祝いにきてみたら! 聞いてないぞ」
「引っ越したのは五年まえだけどね」
「由紀子とはどうなんてるんだ?」

相手は本当に驚いているようで、わたしの知らない人の名前を口にするときも声をひそめるのを忘れています。

知らない人が私の知らない人の話を、私の大事な崇くんとしている。
不可解なことに理解が追いつきません。
ああ、靴下の穴のことだけ、そのことだけ心配していられればよかったのに。
思考が渋滞したまま、もつれた毛糸をほどくように、次々とお友達が私にご挨拶してくださってせまい玄関は空っぽになりました。 
次々と手渡された贈り物で、気がつくと私はクリスマスツリーのようになってしまいました。しかたないので、色とりどりのデパートの袋から贈り物を出し片づけてゆきます。

茶色の箱にリボンのかかったチョコレート、シャンパン、ワイン、密封ガラスの瓶に入ったパテ、ピクルス、サラダ、大きな生ハムのスライス、アイスボックスに入ったケーキの箱とアイスクリーム。この季節にいちごを3パックも。外国製の台形の形をした缶詰。

見たことのない横文字のロゴが印刷されています。
私はほどいた包み紙やリボンにかこまれてしまいました。

キッチンの大きいほうのシンクには、
綺麗なパッケージなんかに入ったことのないお野菜たち。
小さいほうのシンクには、今朝釣られたばかりのお魚たち。
冷蔵庫の上の段には昨日作った塩豚、下の段にはピザ生地。
パンチェッタは刻まれてピザ生地の上に飾られるのを待っているのに、
どれも新鮮で美しいくらいにさっきまでキラキラ輝いていたのに、
私は我が家の食べ物たちが、急に田舎者のぼんやりになった気がしました。

「どしたの? だいじょうぶ?」

飲物をとりに来た崇くんが困った顔で云いました。
無力感で動けなくなっているわたしが面倒くさく思ったのかもしれません。
気がきく奥さんだったらすぐに人数分のグラスを持って行ったでしょう。
うちはこんな漁師の村で、おしゃれな物は何一つありません。

 ごめんね、こんな私で

そう言おうと思ったのに。
振り返ったら、崇くんはもうこっちを見ていなくって、
手伝ってと言いました。
いよいよ、庭と砂浜のさかい目につくったピザ窯にピザを入れる、のだそうです。

「冷蔵庫から生地と、ソースとそれからもろもろ、ピザの材料もってきて。
チーズも忘れないでよ」

過不足なく、勢いよく、必要なことをポンポンと、言葉のボールを投げてくる崇くんはいつもと、ぜんぜん、違います。

寂しい気持ちになったけれど、
張り切ってところに水をさしてはいけません。

トレ―に載るだけ食材をのっけました。
出ようとすると、外はすこーし暗くなりかけていて、冷たい空気がふわっと首筋をとおりぬけていきました。
目の中に夕日の光が差し込んで前が見えません。
爪先の感覚だけでサンダルを探ります。すると、
だれかが、どうぞと声をかけて足元に置いてくれました。

一歩外にでると焼けた魚のにおいに混じって、いろんな人のにおいが鼻をくすぐります。知らない町の知らない人のにおい、快活で嫌な感じがしない匂い。
私は少し臆病になっていたのかもしれません。

お魚どうですか?おいしいでしょ?崇さんがつってきたんですよ。

わたしは、崇さんと、格好をつけ、それからちょっと嘘をつきました。そういうのが奥さんのすることでしょ、見栄を張るっていうか。

すると耳聡く崇くんがどこからか寄ってきて言いました。

「またまた、見栄張っちゃだめだよ。
これはね職場のおばちゃんにもらったの。
うまいだろ。だんなさん、みんな漁師だからね、ホントに新鮮なの。感謝せいよ」

うほ~い

大きな男の子たちが間抜けな返事をしました。
面白いなと思いました。五年ぶりだというのに、会わなかった間を埋めるような深い話をするわけでもなく、みんな勝手にお酒を飲んだり、網焼きのお魚をたべたり。ピザなんかは、自分たちで勝手に生地をのばして作っています。
ただ一緒の場所にいて同じ時間をすごしているというだけで、だれかが音頭をとって何かをするという感じじゃない。それでも誰かが立ったり、動いたりすれば自然とみんながそっちの方を見ている。潮の流れに海藻がゆらゆら揺れるみたいに自由なのにどこへもいかずそこに在ることを楽しんでいる。
大きな男の子たちはこういう時間の共有が楽しい様子でした。

テーブルは小さすぎて、おとな七人の食卓には狭すぎるよ、という声がして、
そろって砂のうえに腰をおろしました。

すっかり夜でした。

火を焚いている炉から柔らかい光が立ち昇り、
上空1メートルの天を照らし、
砂地の上の柔らかい起伏は陰影を濃くする。

大きな少年たちは炉の周りに車座になり、足を垂らしてはなしを始めました。
すこし酔いがまわり年月の垣根が取れてきた感じです。

「ねえ、ケーキとかあったでしょ、あれもってきて」

お友達が私にいいました。

「他のもぜ~んぶもってきてよ。あれうちの親が持って行けって渡したの。うまいかどうか分からんけど、食べちゃおうぜ」

そっと崇くんが追いかけてきて、手伝ってくれました。二人で贈り物をはこびました。

「奥さんもつかれたでしょ。ご苦労様でした。たくさん食べてね。こんなにたくさんもてなしてくれてありがとう」

そう言って、ほんのちんまりとした小さな隙間を私のためにあけてくれました。
優しくしてくれた感じがうれしくて、
奥さんじゃありませんと自分からいうのも面倒くさくて、
黙って仲間にいれてもらいました。

「はい、どうぞ」

まずは、持ってきてと私に言った人が、最初にケーキの箱を差し出しました。
わたしに、デス。

「みんな 食べていいんだよ」

「こっちもね、みんな食べて」

キラキラ光るアルミのお皿が回ってきました。サラミやテリーヌ、パテでした。聞いたことはあっても、食べたことがない素敵な響きの食べ物でした。

「さぁ呑んで! 今晩は呑まないとこごえちゃうよ」

崇くんがキックのゴーサインを出す審判のように厳かな顔をして言いました。
甘く弾ける黄金色のシャンパンはどんな時でも心も体も温めてくれますね。
楽しく飲んでいるうちに私は眠ってしまいました。

「・・・おまえはいいな、こんないいところでのんびり暮らしてさ」

すっかり静かになっていました。他のお友達が眠っているのかどうか分かりませんが、到着したときの落ち着きのなさは嘘みたいでした。ほんとうに話したかった事をやっと話せるって感じの声でした。
のんびりは別として、ここはとてもよいところなので、嬉しくなりました。崇くんもおなじようにいい所だと思ってくれていればいいなと思います。

「おう」

「おまえが置いてきたものはかなり大物だったが、
こっちで手に入れたのもかなりの大物だな」

「ありがとう。
由紀子に会うことあるか?」

「ない。でも伝言があるなら、つたえるぞ」

私は寝たふりを続けました。耳が勝手に動くので、気づかれないかと心配です。

「ああ、いい相手見つけろ、って伝えてくれ」

そこへアパートの方から砂の上を歩いてくる音が聞こえてきました。
トイレから戻ったみたいです。

「・・・もうひと呑みしよう、久しぶりなんだからさあ」

翌日、お友達たちは村の海中温泉に行きました。休みをとっていた崇くんは一緒に岬のはしへ行き一緒にお風呂に入ったそうです。あったまって、それからみんなを見送って、小さな砂浜のアパートに帰ってきました。
お祝いといいながら、お友達のほうがずっと楽しんだみたい。よかったです。

由紀子さんって、どなたです、か?

「イイナズケ。
 おれにはね、生まれたときからのイイナズケがいたの。
古いなぁこの言葉。でもねもうやめたんだ。
それに由紀子は誰とも結婚しない」

それは少しおかしな話ですね。由紀子さんが崇くんをオッケーだったら結婚したの? 崇くんの気持ちが見えないですよ。

「おれの気持ちね。
そうねぇ、結婚ってだれのためなんだろう」

それは当人同士のため、当人がもう一方を必要としているなら結婚すべきでしょう。

「必要ってどういうの? 
つがいになって社会でいきてゆくため?
社会的保障のため? 家族のため?
・・・何だかわからなくなっちゃったよ。
どうでもいいんだよ。
けど、あなたがきくから、禅問答みたいになっちゃうじゃないか」

わたしはだんだん腹が立ってきました。わたしは崇くんが好きです。
それに好きというより必要です。きっと崇くんがいなくなったら、私は困ります。困るのは、私の話を聞いてくれる人がいなくなるから、信じてくれる人がいなくなるから。


由紀子さんが誰も必要としなくても、崇くんは由紀子さんが必要じゃないでしょうか。

その質問に答えず、崇くんは後片付けの手を止めずに言います。

「自分が相手を必要かどうかというのはさ、
実際に何かしてもらうために必要というばかりじゃないかもしれないよ。

たとえば誰かが僕に何かしてほしいって求めることで、
僕は自分の価値を感じられる場合もある。
誰かによりかかられることで、自分も寄りかかれるっていう関係。
そういうのもある
寄りかかって初めて知る体温って感じかな」

私はそういう関係は美しい、と思いました。学校でも社会でも自分のことは自分でしなさい、他人を頼りにしてはいけませんと教わります。でもそうやって生きていると、みんな一人で生きられてしまいます。自分以外に必要なくなります。
それはさみしいです。人はいろんなことを考えますし、一人の考えでは解決できないことがたくさんあります。だから、学校や社会ではむしろ、人に甘えて人を助ける方法を教えてくれるほうが役に立つんじゃないでしょうか。

「あなたは僕がいないと困るでしょ。だから僕はここにいるんです。
必要とされている人のそばにいることを幸せじゃないって思う人っているのかなぁ?」

答えは出たみたいです。

でも、わたしじゃなくってもさぁ、

と言いかけると、

「あなたじゃなくちゃだめなんですよ。
あなた以外にだれが見えない人や聞こえない声の話をしてくれて、
心配ないことを心配して僕を頼りにしてくれるの?

もうそろそろやめましょうよ、照れるから」

どうも私は崇くんを照れさせる天才のようです。


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