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【子育て案1】おかたづけはどう?

 片付けることが良いこととされているけど、自宅でしかもスペースが潤沢にあるなら自由采配という選択肢はどうでしょう。
 
 子供に自由なスペースを与え任せるのです。すると、そこに街を作り、動物園を作り、線路をひき、外で摘んだ花がさく。
 子供の背丈ほどの本棚の裏にレジャーシートを敷き、その日作り上げた物をそのまま置いておくスペースをあげる。片付けてしまうと、その続きをやりたいとき最初から始めなければなりません。それに目につくところに広げておけば、インスピレーションがわき次のアイデアとかやりたいことが出てきます。絵を描くのが好きな子なら、もっと手を入れたいと思うかもしれません。積み木が好きな子なら新しい建物のアイデアが生まれるかもしれません。反対に全部壊して初めからやり直したいと思うかもしれません。壊してまっさらにする爽快感はなかなかなものです。執着を捨て心機一転、スクラップアンドビルドの小さな試みをする場をあげる。

 わたし自身もそのスペースを持っていました。私は動物園を作りました。積み木は正方形に1センチほどの厚みのついたひらがな積み木。それで柵を作りました。おでかけに行くと買ってもらっていたのはミニチュアの動物。それを柵に入れ兄の部屋からミニカーを拝借。サファリパークみたいにして遊びました。ストーリーも生まれましたっけ。
 息子たちにもそうしました。二人の机は座ったときに背中あわせになるように配置しました。すると子供達は二つの机の間にプラレールを敷きました。大仏のフィギュアにヨットを並べ、旅先で買った貝殻を飾ったりしました。日々風景が変わってゆくのを見るのは面白かった。

 片付ける習慣はとても大事です。幼稚園・保育園、小中高とどこでも整理が正義みたいになっていることには違和感を感じます。混沌の中にも美や創造の種があります。何もないから作る。規則性のないものを作る難しさ、そんなことを考えたことがあるでしょうか。そういう感覚は、誰にでも生まれた時から持っているものです。親でも理解できない子供の美的感覚、こだわり。単に性質的な捉え方もありますが、何にどうして惹かれるのか、共有し理解しようとすると、案外崇高で私たちが忘れてしまったもの、社会で必要とされないものであることがよくあります。使わなくても、自分にもそういう美意識があることを知っているのとそうでないのとは違います。

 時間が来たら片付ける、は学校だけでいいでしょう?仕事場だけでいいでしょう?自分の家でしかできないこと、自分が尊重されるスペースでしかやれないことをさせる。大事なことだと思います。大人になれば否応なしに時間に支配されてしまいます。ミニマムと効率の良さを実践する前に、余裕や無制限、一人きりの感覚を存分に知っておいてもいいと思います。

 シーンと静まった部屋で自分の世界を作り上げる。ちょっと物陰になったそこは、普段ならダメと叱られそうな思考を試す場になります。車の正面衝突、ビル群を足で蹴壊す、犬が猫を食い殺す。そしてそれが導く破滅的な結末を自分の道具を通じて観察するのです。立ち上がれば家事仕事をしている親と目があいます。気まずい気持ちになれば、ああやっぱり違うな、などと自分がどういう人間か子供ながらに自己を認知します。子供って意外といろいろ考えています。それも継続的に断続的に。自分がそうだったこと忘れてしまいましたか?子供ほど周りとの調和を取ろうとする生き物です。そうしないと生きていけませんから。

 はからずも面倒な話になってしまいました。
 片付けなくてもいい小さなスペースを、作ってあげて欲しいというお話です。子供の中でいろんなものが育ってゆく。それだけでそんな場所になるのです。

 

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