程暁農★今一度「鄧小平南巡」から見る中国の未来図 2022年02月14日
「鄧小平南巡」(1992年1〜2月に鄧小平が中国南部の諸都市をめぐって、外資導入による経済建設を大胆に推進した。保守派を押え込む人事を実現するための重要な布石だったと言われる)は中共改革の「スタート地点」とされている。政府の宣伝では中国経済はこのときから猛烈な急成長を始めたとされる。
こうした宣伝は中国中のネットやマスコミ出版物に溢れかえっており、今や人々の固定観念となっている。
しかし、この「スタート地点」が本当は何を意味したものなのかについて、実は大いに疑わしい。
私はこれまで3度この問題を取り上げた。1988年に「鄧小平のトラブルと失脚」、1989年から1991年にかけて「鄧小平は六・四以降、いかに苦しんだのか」、1992年に「鄧小平の南巡と江沢民の指揮権の交替」を書いた。(いずれも未訳)
この3編はいずれもこの文章の前段となるものだ。鄧小平の南巡は、陳雲と江沢民によって余儀なくされたものだった、という中共によって隠蔽された真相を紹介した。
ここでは南巡後に生まれた結果と、それが今日の中国の政治と経済情勢にどう悪い結果をもたらしたかを分析してみよう。
★習近平による鄧小平路線の否定
最近、北京の対外宣伝メディア「多維ネットニュース」が「鄧小平南巡30年」と題する連載を開始した。
江沢民が鄧小平の改革路線を否定・批判したことを全面的に暴露し、当時の鄧小平の窮状まで明らかにし、「江沢民の誤り」を批判している。
これは事実上、江沢民が今や中共の上層部で力を失ったことを示すものだ。
「多維ネットニュース」は江沢民の懐刀だった曽慶紅の勢力圏の国家安全部をバックにしていた。それが江沢民を批判したということは、中共上層部の風向きが、そうしたメディアまで江沢民批判をせざるをえない状況になったということを示している。
1月20日、中共の党中央委員会機関誌「求実」の論説委員が書いた「党の包括的な厳格統治を執拗に深追いする」(坚持不懈把全面从严治党向纵深推进)には、習近平が党内の四つの分野で批判を加えたと報じた。
記事は習近平が党中央委員会総書記に就任後(「2012年11月)に反腐敗のスローガンの下で鄧小平ー江沢民路線を四つの面で清算したとしている。ここでその四つを引用するが、その隠れた意味はわかりにくいので、注釈をつけて紹介する。
一つは、「長年チェックされていなかった邪気に終止符を打つ」だ。
これは中共の上から下までの全党的な腐敗のことで、上は江沢民、曽慶紅の家族から下は底辺層の役人たちが腐敗仕切っており、各級の中共の役人たちが毎日のように酒を飲んで売春婦を連れていたことだ。
二つ目は「多くの長年の解決困難の極みだった問題を解決した」だ。
これはつまり、腐敗した役人が金を稼いだ後に資産を海外に移し、外国のパスポートやグリーンカードを買い、家族を移住させ、いつでも「高飛び」できた問題を指す。
第三に、「党、国家、軍隊内の隠れた重大な危険を取り除いた」は、中高層幹部が互いを守るためのグループを保持しており、現在、これらのグループのほとんどが取り締まられていることに言及したものである。
第四に、「党の統治の甘さ、弱さが根本的に逆転した」は、かつては中下層幹部が上からの傘に守られて好き勝手に、地方で独自の体制を形成し、損害を与えていたが、今は習近平が下層幹部に「怠慢、怠慢」にならないようにしているということだ。効果は限定的だが、すくなくとも下層の役人たちがちょっとは以前よりおとなしくなったと言えよう。
こうした諸現象はまさに鄧小平ー江沢民のいわゆる「改革路線」の一部であった。こうした結果は、「改革の総設計士」と言われた鄧小平があらかじめ予期していたとは言えない。しかし、それは中共の改革路線のもたらす必然的なものだった。
つまり、中共の経済改革は、表面的には大変素晴らしい成果をあげていたが、こうしたダメダメな結果も同様にあったわけだ。
しかし、中共の独裁体制の下では、「民が論じることは許されず、ただ官だけが調査権を持つ。官が調べる気がなければ、どうすることもできない」。
中共の権力闘争の単純な論理を見れば、誰が正しくて誰が間違っているかという「正邪論」にはまってしまう。路線が違うならば必ずどっちかが正しくてどっちかがまちがっていると思いがちだ。
しかし、鄧小平の南巡以来30年の歴史を見ると、実は、いわゆる派閥闘争論や政治路線闘争論の背後には、中共の致命的な失敗の軌跡が徐々に示されており、それは実は「正否」とはあまり関係がなく、中共の宿命的な失敗の歩みの軌跡なのだ。
それは中共の政治経済政策が本質的に持っている遺伝子のがん細胞のようなものなのである。
★鄧小平、江沢民路線の中国市場経済とはなんだったか?
1988年からこれまで、中共の最高権力者は鄧小平を含め、陳雲、江沢民、習近平らが主役だった。江沢民はまず陳雲の下についたので、鄧小平の南巡時期には「敵」だった。南巡後に鄧小平に睨まれて降参して以後は、大体において鄧小平の政策を踏襲してきた。
35年前には、鄧小平の改革政策は、陳雲によって否定された。しかし、陳雲はその経済路線が南巡で否定されて以後力をなくした。そして、今、その鄧小平ー江沢民路線が習近平によって否定された。
私は過去の三つの文章で、鄧小平が失脚から復活し、陳雲が力を失ったことへの理解の鍵は、鄧小平も陳雲も自分たちの決定が意図しない重大な結果をもたらすことを予想していなかったことにあることを指摘した。
政策決定者の「英明さ」なるものはとかく大げさに言われるもので、予想外の結果をもたらしてしまう。時には政策者の意図とは全く反対の結果をもたらしてしまうのだ。
そんな結果、望んでなかったにもかかわらず、まぬがれることができないのだ。これは中共の経済改革において何度も繰り返されたことで、鄧小平の市場化改革でもそうだった。
鄧小平は市場経済を全く理解しておらず、いわゆる「総設計士」という肩書きは、実は最大の皮肉であった。
鄧小平は市場経済を理解していなかったので、その路線で「共産主義資本主義」のような怪物的なシステムを発展させたことが、まさに共産党の全面的腐敗の温床となった。
そればかりか「共産主義資本主義」はまさに全面的腐敗によって「実現」したとさえ言える。(これについては昨年11月19日の拙文「中共的历史决议就是大翻盘」、2016年6月22日の中国人権双周刊の「中国模式:共产党资本主义」を参照されたい)
共産主義経済体制は、もともと国営企業が独占していたわけだが、では、国営企業は市場経済の中で快適に運営できるのか? あきらかにそうではない。
市場経済の魂は適者生存であり、ビジネスは失敗するのが正常な状況だ。経営者はその責任を負わねばならない。
だが国営企業の管理者は上から任命されてその資産は公有であり、市場経済の民間会社のようなやりかたで国営企業は経営できはしない。ビクビクしながら自分たちの地位を守ろうというのが主要な「任務」なのだ。
だから、共産党の官僚に市場経済を推進させようというなら、二つの方法しかない。
一つは国営企業を連中の私的財産にしてしまう。
もう一つは、連中に手っ取り早く違法の財産をもたせて、金融資本として市場に投入させるかだ。江沢民が1990年代後半から行ってきたことは、まさにこの2点だった。
「改革」によって何十万もの国有企業を工場長や秘書が私物化し、汚職によってあらゆるレベルの役人がすぐに多額の投資金を得られるようにしたのだ。
1997年に朱鎔基が全国の国有企業を民営化して以来、ほとんどの国有企業で、共産党の工場長や管理者が所有する私企業となり、数千万人の国有労働者が社会のお荷物として捨てられてしまった。(このころ朱鎔基はものすごく日本のマスコミでも持ち上げられておりましたなあ。中国の救世主のようだったー訳者)
その結果、中国経済は公有制ではなくなり、計画経済の指令機構は公有制の国有企業が担うことになり、計画経済は機能しなくなった。
その後共産党は計画経済を担当していた国家計画委員会をあっさり廃止してしまった。
こうして、共産党の経済体制は、西側諸国の経済体制に近づき始め、市場経済が主となっていった。
しかし、西側の専門家の大半は、この改革によって生まれた経済体制が正常な市場経済ではまったくなく、共産党資本主義だということを、いまだに理解していないのだ。
★全面腐敗が鄧小平の予想もしなかった結果だった
中国の改革以降の制度的なレベルを見ると、鄧小平も陳雲も経済の発展に関心を寄せていた。
では、なぜ陳雲は失敗したのだろうか?それは陳雲が計画経済こそが経済を正しく発展させる唯一の方法だと頑なに信じていたからだ。しかし、計画経済は失敗の運命にあるシステムであった。
それに対して、鄧小平は経済発展のためには市場経済しかないと考えており、陳雲よりいくらかマシだった。
鄧小平の誤りは、共産党が堅持したかった市場経済が、共産党支配を別の方向、つまり完全な腐敗に向かわせてしまったことだった。
そして、全面的な腐敗の必然的な結果は、資産の大量国外逃避であり、これも鄧小平が唱えた市場主義改革の意図せざる帰結であった。
つまり、全面的な腐敗は実は中共の改革の「成果」の前提であり、「不断の改革」の必然的な結果なのである。
中共の市場経済は当局によってコントロールされており、経済活動に干渉できる役人は誰でも汚職のチャンスを見出せたのだった。
だから全国的な全党ぐるみの大腐敗はまさに江沢民時代、胡錦濤時代の最大の特徴だった。
欧米諸国は共産化された歴史がないので、誰か個人が他人の財産を奪って金持ちになるなどできない。西側の起業家の財産はファミリーが長い時間をかけてきずきあげたものだ。
中国では1977年以前には役人も民衆も大した財産などもっていなかった。それがわずか20年の間に、欧米諸国の富裕層が何十年、何百年もかけて蓄積した富のレベルに達するほどの富を得た人たちが出てきたのだ。
この強盗のような富の蓄積のヒミツは簡単極まるもので、共産党幹部の富の源泉は、泥棒か強盗の結果なのである。
中国の役人は当然、共産党の統治が続くことを願っているが、一代、また一代とつづく役人たちは腐敗の中で、「前者が倒れたら、後者が穴埋め」して、中共の基盤を食い荒らす墓掘り人部隊となる。同時に彼らは中共統治装置の担い手でありネジなのだ。
いわばワインの大樽のようなもので、役人たちは樽の板だ。板には無数の穴があいており、樽のなかのお酒はどんどん国外に漏れていく。
泥棒や強盗によって得た富は中国ではいつ犯罪として摘発されるかわからないから、海外にもっていかないと安心できないというわけだ。
★改革の「成果」:資産の大放出だった
今年の1月19日、新唐人テレビの「方菲インタビュー」で中共の外貨の不安について話をした。
1990年代から現在に至るまで、中共は3兆米ドル以上の外資を吸収し、対外貿易黒字によって1兆米ドル以上の外貨を蓄積し、2兆米ドル以上の対外債務を借り、合計6兆米ドル以上を調達してきた。
中国が大規模な外貨逃避をしていなければ、現在6兆米ドルの外貨準備高があるはずだ
しかし外貨準備高は3兆米ドル強で、前述の6兆米ドルの外貨吸収額より3兆米ドル以上少ない。外債を返却すれば外資に返却するお金が残らない。
この外貨はどこに行ったのだろう? 足りない3兆ドルは、汚職官僚が海外に送金した金である。
習近平政権誕生後、2014年から2015年が汚職官僚の資産流出のピークで、最大で1カ月に数千億円が流出し、以後、次第にストップさせられた。
もし鄧小平-江沢民の経済路線が続いていたら、おそらく腐敗した役人が中共の外貨準備を空にしてしまい、経済はどうにもならず、国民は今よりずっとひどいインフレに遭遇したことだろう。
多くの人々がかつての中国経済は大いに繁栄して結構なものだった、鄧小平、江沢民の路線は良かったと思っているが、それはただ皮相な見方だ。
鄧小平、江沢民の路線は1990年初期の陳雲の路線と同じで、最終的には中国経済を全面的な腐敗と汚職役人によって中国の富を海外に逃避させ基盤を破壊するものだった。
腐敗役人から見れば、鄧小平路線は自分たちが豊かになれたわけで、確かに成功だった。
しかし、民衆から見れば腐敗した役人が中国を空っぽにし、腐敗した役人が不動産バブルに誘導して経済は下降し、人々の幻想の豊かさはいつの間にか溶けてしまったのだ。民衆が一時期みせられた幻の富は消えてしまのだ。
習近平が政権をとって以来、トップの権力闘争の目的は腐敗撲滅、腐敗撲滅から経済統制の強化まで、鄧小平ー江湖路線によって不安定な状態に陥った共産党支配を救うことだった。
冒頭の第1節で分析したのは、この試みの具体化である。 トップの権力闘争の中で、多くの高官が深刻な腐敗状態にあり、自分の政敵であることを知った習近平は、王岐山を鉄砲玉として、反腐敗の名の下にトップと中層の大粛清を行い、自分の絶対的な立場を固めた。
しかし、習近平もまた同様に意図しない結果に遭遇する。腐敗は抑えられ、官僚界も制圧した。大規模な資産の外国逃避もおさえこんだ…のだが、経済も崩壊しはじめてしまったのだ。
★習近平は窮地を救えるか?
江沢民が鄧小平に服従して以来、江沢民の路線は基本的に鄧小平の路線だった。今、習近平が江沢民路線を清算しようとしているのは、江沢民路線が深刻な結果をまねいたからだ。
しかし、中共の政治的必要性からすれば、習近平は鄧小平を責めるわけにはいかない。そんなことをすれば中共の思想的基盤を揺るがすことになる。だから習近平は全部江沢民のせいにするしかない。
江沢民に罪がないというのではない。彼の路線の下で、全面的な腐敗と大規模な資産の海外逃避がおこったのはまぎれもない事実だし、江沢民一族が築いた巨額の遺産も、今回、香港からシンガポールへの資産移転も、すべて国民の目の触れるところでおきた。
江沢民路線の恩恵は大量の中共の役人たちに恩恵をもたらしたから、こうした連中はみな習近平を目の敵にしている。江沢民路線こそ彼らに巨大な金儲けのチャンスを提供し、自分たちの既得利益に合致するからだ。
習近平路線の下では彼らはやってられない。だから、習近平の没落を心待ちにしている。もし習近平が権力の座から降りれば、こうした役人たちの期待に応えるために、後継者は別の歴史的決議を起草することだろう。
中共幹部を信頼して、役人たちの積極性を引き出し、鄧小平時代に毛沢東によってひどい目にあわされた老幹部たちの名誉を回復したように。
そうすれば、中共の役人たちは大喜びで習近平のしたでかがめっぱなしだった腰を伸ばして大喜びだろう。これが中共内部で習近平に恨み骨髄の勢力が日夜待ち望んでいる光景である。
しかし、おそらくその夢はかなうまい。なぜなら習近平は退陣などしないのだから。
鄧小平時代から江・胡時代にかけて、中共の狙いは江沢民の言うように「黙ってしっかり金儲け」だった。腐敗を見逃して、政治的安定を維持するのだ。そして、共産党員は改革を通じて金儲けになる、というのが中国の経済活動だった。
表面上はどんなににぎやかですごいようでも、実際の被害はきわめて深いのだ。中共が不動産バブルで苦境にあるのは土木工事プロジェクトこそ中共の役人たちがお金持ちになる重要なルートだからだ。
習近平が鄧小平や江沢民を批判することによって、中共の支配を救えるだろうか?
実際、昨年の不動産バブル崩壊以降、習近平政権下の中国経済は右肩下がりになり始めていることが、今、私たちの目にも明らかになってきた。
習近平ができることは、中共政権をしばらく延命させることだが、中共の病は膏肓に入っており、いまさら治療することはできない。今年以降、中国経済が少しずつ、あらゆる面で崩壊していくのが徐々に見えてくるだろう。
もちろん、中国は大国であり、大国の崩壊プロセスは小国よりも遅い。広大な大国ではかなりの時間が必要で、東北地区のような経済的に遅れた地域から、相当、長期間かけてゆっくりと進だろう。
習近平の予想外のもう一つの結果は、陳雲好みの「初心」に回帰し、様々な役人たちの原動力から「腐敗」をとり除けば、経済を推進できるだろうと思ったことだ。しかし、実際の結果は役人たちはおしなべて働かなくなってしまった。
習近平は、中国のモーレツな経済的「台頭」が絶対できると信じて、それによって軍事的・政治的台頭できると思い込み、米中冷戦に火をつけた。
しかし、いまや中共経済自体が持つ「遺伝子」にくわえて、外部環境が厳しさを増している。中共は冷戦状態で進むも退くもできなくなってしまい、かえって「中国崛起」の夢実現の足をひっぱってしまった。
多くの人々が習近平の夢が破れるとはおもっていない。その根拠は、改革は逆転することはなく、経済発展は必然的に進むというものだ。こうした願望が多くの人々の心理的な支えとなっている。
でも、私が言いたいのは、中共の改革路線がどうして生まれたかを深く理解し、多方面の結果をみるべきだということだ。
中共は改革をしなければ、とっくにやっていけなかった。
そして、中共を改革すれば腐敗した役人たちを止めることができるかもしれない。
しかし、もし本当に腐敗をとめたら、中国経済は「死ぬに死ねず生きるに生きられない状態」でにっちもさっちもいかなくなる。
そして中共が冷戦軌道上で軍備拡大を続けるならば、それも経済をダメにする別の要素になってしまう。これがソ連共産党の宿命であり、また中共の宿命なのである。(終わり)
程晓农:重新审视邓小平南巡的“功”与过
——邓小平南巡背景之四
【大纪元2022年02月14日讯】邓小平南巡一直被中共视为改革的里程碑,官方宣称,中国的经济从此高歌猛进。这样的宣传充斥中国的网络和出版物,也影响到人们的既定思维。但是,这个“里程碑”究竟意味着什么,其实是大可质疑的。我写了三篇关于邓小平南巡背景的文章,其一是《1988:邓小平闯祸又失势》,其二是《1989-1991:“六四”后邓小平如何受气》,其三是《1992:邓小平南巡与江泽民转舵》。这三篇文章都是为本文作铺垫,通过介绍邓小平南巡前后被中共掩盖的真相,说明邓的南巡是被陈云、江泽民逼出来的。下面分析邓小平南巡之后产生了什么样的后果,这种后果的发生与今天中国的政治局势以及经济的每况愈下又为何息息相关。
一、习近平否定邓小平路线
最近《多维新闻》这家总部设在北京的外宣媒体推出了“邓小平南巡30年”系列,把江泽民当年否定、批判邓小平改革路线的行动完全曝光;为了批判江泽民当年的错误立场,甚至公开了邓小平那时的困境。这实际上表明,江泽民已经在中共高层失势。《多维新闻》有中共国家安全部的背景,而国家安全部长期以来都是江泽民亲信曾庆红的势力范围,现在《多维新闻》出面批判江泽民,说明中共高层的风向已经迫使这种背景的官媒必须做出背叛江泽民的举动了。
1月20日中共理论喉舌《求实》杂志评论员的文章《坚持不懈把全面从严治党向纵深推进》提到,习近平在中共内部从四个方面实施了打击。此文提到的习近平上任后在反腐败的旗号下清算邓–江路线的四个方面,就是下文引号里的四句话,其含义十分隐晦。笔者在此稍加注释:
第一,“刹住了一些多年未刹住的歪风邪气”,主要是指中共上下全党腐败,上到江泽民、曾庆红家族,下到底层官员,几乎无官不贪,中共各级官员们终日在酒宴里喝得昏昏沉沉,时常在卖身女的床上打滚;第二,“解决了许多长期没有解决的顽瘴痼疾”,就是贪官捞钱以后把财产转移国外,买外国护照绿卡,办亲属移民,准备随时“跳船”,屡禁不止,数万亿美金的资产陆续流入外国,官员们把中国当作捞钱的“聚宝盆”,把外国作为贪污以后的永久藏身地;第三,“清除了党、国家、军队内部存在的严重隐患”,指的是中高层官员们抱团互保,现在大部分这样的团伙遭到了打击;第四,“管党治党宽松软状况得到根本扭转”,这是说,过去中低层官员有上面保护伞的保护而为所欲为,在地方上自成体系,为害地方,现在习近平逼着下级官员不得“怠政懒政”,虽然收效有限,但至少基层官员不得不有所收敛。
这些现象正是邓—江所谓的改革路线的组成部分。虽然不能说,这样的结果是邓小平这个改革的“总设计师”事先设计好的,但不可否认的是,这些后果是中共改革路线的必然产物。可以说,中共的经济改革虽然有表面上轰轰烈烈的“成果”,但同样也有上述极其恶劣的后果。在中共的专制之下,民不可论之,唯官可究之,官若不究,民徒奈何。
如果单纯从中共权力斗争的简单逻辑去看,很容易落入“对错论”,即谁对谁错,其隐含的假定是,不同路线之间必有一对一错。但如果从邓小平南巡后30年的历史来看,实际上,在所谓的派系斗争论、政治路线斗争论背后,有一条中共的失败宿命逐步展示的轨迹,其实这轨迹与路线“对错”关系并不大,而是中共的政治经济方针本身就存在着自我毁损的“基因”或“致癌细胞”。
二、邓、江路线的中国式市场经济究竟是什么制度?
自从1988年至今,中共高层先后掌控局势的人包括邓小平、陈云、江泽民、习近平等主要角色。江泽民先投靠陈云,所以江属于邓小平南巡时准备打击的“敌人”;邓南巡后,江在邓的枪口下被迫投靠邓小平,大体上沿着邓的政策方向走了下去。
过去35年中,邓小平的改革决策被陈云否定过;陈云因经济路线被邓小平的南巡否定而一蹶不振;而邓—江路线最近也被习近平部分否定了。我在关于邓小平南巡背景的前三篇文章谈到,邓小平失势又得势,陈云得势又失势,其中的关键在于,邓小平和陈云都没有料到自己的决策将有意想不到的严重后果。
决策者的“英明”从来是被吹出来的,他们逃脱不了意想不到的后果(unintended consequences)。这是指决策者的行动会出现与其意图相反的不利后果;这样的后果并非决策者行动之前希望发生的,但意想不到的后果却不可避免地让决策者陷入被动。中共的经济改革过程中屡屡发生这样的情形,邓小平的市场化改革也是如此。
邓小平根本不懂市场经济,他那所谓的“总设计师”称呼,其实是对他的最大讽刺。正因为邓小平不懂市场经济,他根本无法理解,中共沿着他的路线发展出共产党资本主义这种怪胎式制度,不仅是中共全面腐败的温床;甚至可以说,共产党资本主义恰恰是靠全面腐败才“成就”出来的(我去年11月19日在《大纪元》的文章《中共的历史决议就是大翻盘》,说明了共产党资本主义的形成和特征;如果要了解其中的具体细节,可以参考我2016年6月22日在《中国人权双周刊》发表的文章《中国模式:共产党资本主义》)。
共产党经济制度本来是由国营企业垄断的,那么,国营企业能在市场经济中运行自如吗?显然不可能。市场经济的灵魂是优胜劣汰,经营失败是正常情况,经营者必须后果自负。由于国营企业的主管是上级任命的,其资产是公有的,他们不会像市场经济下私营业主那样管理国有企业,一切都以小心翼翼、保住官位为要务。而要让共产党的官员能够推动市场经济,只有两条路,一是把国营企业变成他们的私产,二是让他们能快速积累大量非法财产,作为金融资本投入市场运营。江泽民从90年代后期开始所做的无非就是这两条,通过“改制”把几十万国营企业转变成厂长书记的私产,允许腐败让各级官员迅速捞到了大笔钱财去投资。
自从朱镕基1997年操盘推行全国的国企私有化之后,大部分国营企业变成了共产党的厂长经理们私有的私营企业,几千万国企职工被当作社会包袱甩掉了。于是中国经济不再是公有制为主了,计划经济也行不通了,因为计划经济的指挥机器要靠公有制之下的国有企业来执行,中共后来干脆把主管计划经济的国家计委也取消了。这样,中共的经济制度就和西方国家开始接近,也以市场经济为主了。但西方大部分专家至今不懂,中共的改革所形成的经济制度根本不是正常的市场经济,而是共产党资本主义。
三、全面腐败:邓小平南巡意想不到的后果
如果从中国改革以来的制度层面来看,邓小平和陈云都关心发展经济,那为什么陈云失败了?因为他顽固地相信,计划经济下才能正常地发展经济;然而,计划经济乃是必然失败的制度。邓小平则认为,市场经济才能推动经济发展,这比陈云的看法高明一些;邓小平的错误在于,他想坚持的共产党统治下的市场经济,会从另一个方向动摇中共的统治,那就是全面腐败。而全面腐败的必然后果之一就是大规模资产外逃,这应该也是邓小平鼓吹市场化改革时意想不到的后果。
所以,全面腐败实际上是中共改革“成就”的前提,又是其“改革不断推进”的必然产物。中共的市场经济由当局操控,凡是能插手经济活动的官员都能从中找到腐败的机会。所以,全国大腐败,全党大腐败,就是江泽民时代和胡锦涛时代的最大特点。
西方国家从来没有被共产过,一个人无法抢夺他人财产来致富,西方企业家的财产是家族多年逐渐积累起来的。中国在1997年以前官员和民众都没有什么家庭财富,然后短短20年里,就有一群人暴富得达到西方国家富人几十年、上百年积累财富的程度。这样的财富积累像强盗发横财一样,其中的奥秘很简单,中共官员们的财富来源非偷即抢。
中共官员当然希望共产党的统治继续下去,但一批又一批、一代又一代的官员在腐败中前仆后继,就组成了一支中共的掘墓大军,而他们同时又是中共统治机器的螺丝钉和撑杆。我曾经用一个装酒的大木桶来形容中共反腐前的经济状况,官员们就是酒桶的一块块木板,但每块木板都自己生出来无数的洞,让桶里的酒不停地往外流,都流到国外去了。其中的原因十分明了,非偷即抢弄来的财富,留在国内是刑事犯罪的铁证,转移到国外去才心里踏实。
四、改革的“成果”:大规模资产外逃
我在今年1月19日《新唐人电视台》的“方菲访谈”中讲过中共外汇的“一女二嫁”问题。中共从90年代到现在,吸收了3万多亿美元的外商投资,通过外贸顺差积累了1万多亿美元的外汇,还借了2万多亿美元的外债,合计6万多亿美元,但现在中共的外汇储备只有3万多亿,还了外债就没外汇给撤资的外商。中国如果没有大规模外汇外逃,现在应该有6万亿美元的外汇储备;而现在中共的3万多亿外汇储备与上述6万亿美元外汇吸收相比,少了3万多亿美元,
这些外汇哪里去了?这少了的3万亿美元就是贪官转移到境外的钱财。习近平上台后,2014年到2015年是贪官财产外逃的高峰,最多的时候一个月会跑掉几千亿美金,以后就逐渐被卡住了。如果邓小平–江泽民的经济路线延续到此刻,那贪官们可能已经把中共的外汇储备掏空了,中共的经济也就混不下去了,老百姓遇到的通货膨胀将比现在严重得多。
很多人只看到中国经济曾经的繁荣兴旺,灯红酒绿,觉得邓小平、江泽民的路线好,那只看到了表面;邓小平、江泽民的路线会和1990年代初期保守派陈云的路线一样,最终导致中国经济因为全面腐败和贪官资产大规模外逃而垮下来。从贪官的角度来看,邓小平路线当然是成功的,因为他们发财了;但从国民的角度来看,中国改革路线表面的成功里隐含着失败,因为贪官掏空了中国,经济发展被贪官引导到房地产泡沫的歧途上去,然后经济走向一蹶不振,而民众一段时间里虚幻的财富感便随之消融。
习近平上台后,从高层权力斗争到反腐败,从反腐败到严控经济,目的都是一个,挽救被邓小平–江胡路线导入岌岌可危状态的中共统治。本文开头第一节所分析的内容,就是这种企图的具体化。习近平在高层权力斗争中发现,大批高官都严重腐败,又是他的政敌,于是他就用王岐山当枪,用反腐败的名义,实行了高层和中层的大清洗,他由此巩固了自己说一不二的地位。但习近平同样遇到了意想不到的后果:腐败被遏制了,官场被管控了,大规模资产外逃被堵住了,经济也垮下来了。
五、习近平能力挽狂澜?
自从江泽民归顺邓小平以后,江泽民的路线基本上就是邓小平路线了。现在习近平清算江泽民路线,是因为江泽民路线造成了严重后果。但从中共的政治需要来考量,习近平不能把帐算到邓小平头上,那会动摇中共意识形态的根基,所以就必须把帐算在江泽民头上。江泽民并不冤枉,他的路线之下,全面腐败和大规模资产外逃都是事实,江泽民家族积聚的巨额资产以及目前从香港往新加坡转移资产,都是在众目睽睽之下发生的。
由于江泽民路线惠及一大批中共官员,这些人都敌视习近平,因为只有江泽民路线才能给他们发大财的机会,才能照应到他们的既得利益;而在习近平路线之下,他们生活得很难受,所以无时无刻不在盼着习近平完蛋。如果习近平下台,为了迎合官场上多数人的需要,接替者会另起草一份历史决议,主要讲相信干部相信党,调动官员们的积极性,就像邓小平上台以后为被老毛整惨了的老干部平反那样。那各级中共官员肯定额手相庆,他们终于在习近平的压力下哈着腰熬出头了。这是中共内部恨习近平的势力日思夜想所盼望的局面,不过,他们恐怕没指望了,因为习近平从此不下台了。
从邓小平时代到江、胡时代,中共的宗旨就是江泽民的一句话“闷声发大财”。其本质是用允许腐败来维持政局表面稳定;同时,让共产党官员通过改革发财,这样中国的经济活动就围绕着官员们发财的途径来运转,表面上轰轰烈烈,实际上祸害深远。中共之所以会陷入房地产泡沫的困境,就是因为土木工程是中共官员们发财的重要途径。
习近平批判了邓小平、江泽民的经济路线,就能挽救中共的统治吗?其实现在我们已经看到,自从去年房地产泡沫破灭以后,习近平治下的中国经济开始不断下滑。习近平所能做的,只不过是给中共政权暂时续命,但中共的病入膏肓是宿疾,治不了的。从今年开始,我们可能会逐渐看到,中国经济在一点一点地、方方面面地崩塌。当然,中国是大国,大国的崩塌过程比小国会慢一些,因为大国地方大,这样的崩塌从经济最差的东北地区慢慢扩展,这个过程会相当长。
习近平遇到的另一个意想不到的后果是,他以为,回到陈云派喜欢的“初心”,不用腐败作为各级官员的行为动力,也照样可以推动经济,但习近平看到的结果却是官场普遍的懒政、怠政。而习近平以中国经济必然突飞猛进为假设,以为经济“崛起”之后就有资格幻想军事崛起和政治崛起,于是点燃了中美冷战。如今中共经济自身的衰退“基因”加上外部环境的紧绷,逼得中共在冷战的轨道上欲进不能,欲退不可,反过来又遏制了“崛起”之梦。
很多人不相信习近平的梦会破灭,他们的依据是改革不可逆转,经济发展必然步步高,这样的愿望是不少人的心理支撑。笔者想说明的是,必须看到中共改革路线形成的深层背景和多方面后果。中共不改革,早就活不下去了;改革了的中共,会被腐败的官员们整垮;如果真遏制了腐败,中国经济就陷入了不死不活的困局;而中共在冷战轨道上不得不进行的扩军备战,则是拖垮经济的另一要素,这是苏共的宿命,也是中共的宿命。