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程暁農★”習近平主席親衛隊”隊長はなぜ代えられたか 2021年07月18日


 中南海の”親衛隊”である中央弁公庁警衛局(中国版シークレット・サービス) が、外部からきたトップに交代したと中共の宣伝メディアが大々的に報道した。これは外部からは、一体どんな意味なのかという憶測を大いに刺激する。中共官製メディアは極めて重要だということを示すとともに、外部が余計な詮索をしないようにとあれこれ説明している。推測は当然だが、どう解読するかには中共トップの警備防衛システムの動きから説明しなければなるまい。

 ★習近平は中南海の警備に野戦部隊の軍人を起用した

 7月15日、中央弁公庁警衛局長が交代した。内部からの昇進ではなく、これまでの慣例を破って「外様」を起用したのだ。

 官製メディアの「多維ネットニュース」によると、その背景は、すなわち第20回共産党大会前の政局を平穏にしておくためだという。中央弁公庁警衛局長は党中央委員会中央書記局の直轄機関で、中央の党や政府機関警備を行う。その中核が中央警衛団で、中共トップリーダーの身辺警護、最高指導者個人の安否は全てここにかかっている。

 「多維ネットニュース」はさらに、2012年に党中央委員会中央書記局長だった令計劃が息子の交通事故(訳注:フェラーリに裸の女性を乗せて事故った言われる。父親も失脚)を隠蔽するために中央警衛団を不正に異動させたことにも触れている。

 中央委員会のトップの権力バランスに影響を与えかねない偶発的な事件に中央警衛団が介入したことで、機関の合理性が問われることになった。
 
 歴史的に見ても、中央警衛団は四人組の逮捕に重要な役割を果たしており、前の中央警衛団局長の王少軍の前任者だった曹清自身も個人的に参加していた。

 王少軍は長年、中央弁公庁警衛局に所属し、2009年には副局長に昇格した。2015年には曹清前局長が退任し、王少軍が局長に就任した。

 2018年に、福建省漳州市を拠点とする陸軍第31集団軍第91師団の政治委員である陳登鑢が、中央安全局副局長兼中央安全連隊政治委員に急遽異動した。

 その後、王少軍は2019年に局長職から引退し、以後、2020年と2021年の前期は、局長不在で、副局長が局長を兼務した。

 そして1年半の空白を経て、最近、北方戦区の陸軍副参謀長である周洪許が中央弁公庁警衛局のトップに任命されたのだった。

 このような”中南海親衛隊長”の不在は、中共成立以来、2019年まで一度もなかったことだった。

 そして、習近平が中央弁公庁警衛局という比較的閉鎖的で特殊なシステムの中から局長を登用せず、現場部隊から異動させてその地位に就かせることはさらに珍しい出来事である。

 中央弁公庁警衛局は非常に特殊な極秘業務であり、保衛業務に精通した人が内部から昇進してこの重要なポストに就くのが一般的である。

 しかし、習近平はこの2年間、中央弁公庁警衛局長という重要なポストを1年半も空席にしており、ついには内部候補者ではなく、現場部隊から直接引き抜いてその責任を負わせることにしたのである。

 これはその職がもう重要ではなくなったからか? この仕事の特殊性を理解するには、中共トップ指導者の警備システムを理解していないといけない。

 ★中共最高指導者の真実の権力の源

 中南海の警備システムの働きとは、一般的に理解されているハイレベルの警備機能だけではない。実際には中共トップの権力統制を確実なものにする方法でもある。それには二つの意味がある。

 一つは、中共は集団指導制といっても、その最高指導者は常にたった一人である。そして、本当に他のハイレベル高官たちの命運を握る最高指導者の個人の権力とは、中共内の最高指導者の職務についているかどうかなどではない。

 つまり、誰が本当の中共の最高指導者であるか知るためには、彼が他のハイレベルのメンバーを現実にコントロールする力を持っているかどうかを見なければならない。

 第二には、 最高指導者の本当の力は、他のハイレベル高官たちの日々の監視、制御能力に現れる。 この能力は、中央弁公庁警衛局、情報機関、中央保健局(訳注:共産党トップ級幹部の健康を担当する部署。国家衛生委員会ではない)を直接使いこなすことにかかっている。

 この3つの部門が最高指導者の手中にあることで、他の幹部社員の身辺警護も完全に最高指導者の手中に納めることができるのだ。

 毛沢東の時代、党中央書記局は3つの大きな業務を担当していた。第1部は秘書局、機密通信局、機密輸送局、公文書局などの秘書・機密業務で、事務処理、機密事務、公文書管理、会議の開催、通信・訪問の着信など、多くのスタッフと大量の業務を抱えていた。

第2部はトップリーダーの生活サービス、第3部はトップリーダーの警備員である。第3部はトップリーダーの警備である。

  中央書記局の秘書・記録業務は、仕事量も多く、スタッフも多いが、トップの実権を握るという意味ではそれほど重要ではなく、トップの個人的な権力を如実に反映するのは、警衛局、情報機関、中央保健局である。

 秘密文書の送信は秘密通信部が担当し、トップの2つの電話システムは秘密通信部が担当した。 一つは、主に大臣以上の執務室に設置され、4桁の電話番号が個別に設定された赤ケースの電話機を使用したことから「赤電話」とも呼ばれた秘密電話制度だ。

 もう1つの電話システムは、1980年代まで「39」局と呼ばれ、7桁の電話番号の最初の2桁が39で、主に中南海、人民大会堂、釣魚台ホテル、玉泉山迎賓館などに設置されていた。 すべての赤電話と39局体制の電話を監視傍受している通信局は、最高レベルの少数の人間が担当していた。

 中央保健局は、健康診断、毎日の投薬、病気になったときの治療計画など、少数の人たちの健康管理を最高レベルで担当する。中央保健局は、トップリーダー個人に直接責任があり、多くの情報はトップリーダー自身しか知り得ない。

 例えば、現在明らかになっているところでは、周恩来は晩年、自分のがんを知ることは許されなかったが、彼の病状は毛沢東に報告され、毛沢東も手術の必要性を判断しなければならなかったという。しかし周恩来の初期ガンが発見された後、治療のための手術は毛沢東によって延期され、進行したガンに転移するまで、そして手術が再び承認されるまでには、手遅れになっていた。

 警備局は、まずトップリーダーの身辺警護と安全に責任を負っていたが、他のトップメンバーにも個人的な護衛、つまり警備秘書を配置していた。また、毛沢東時代の中央警備局は、トップの主な活動場所である中南海、人民大会堂、釣魚台ホテル、玉泉山迎賓館に護衛を配置したり、トップの車に同行する護衛を配置したりしていた。

 最高指導者は、中央保安局、シークレットサービス、中央保健局を直接管理することで、他の幹部を監視し、個人的な権力を維持していたのだ。このような監視システムの下では、一挙手一投足が管理されている他のトップは、隠れて新しいことはできない。

 これは、スターリン後のソ連の状況とは異なり、中共トップリーダーの個人的な権力をコントロールする毛沢東的な手法である。

 ★中央書記処の虚実

 多くの人は、この3つの部門は常に中央委員会党中央書記処の管理下にあり、共産党総書記が誰であろうとこれらの部門をコントロールできると考えている。

 しかし、実際はそうではない。 胡耀邦と趙紫陽が総書記の時、この三部門は彼ではなく、鄧小平の支配下にあった。

 毛沢東は、忠実な配下の汪東興を中央委員会中央書記局のトップにして、中央書記局の保安局、秘書局、中央保健局という共産党トップの権力掌握の核心部分を担当させた。

 そして、鄧小平が大権力を握った後の1981年頃、それまで中央委員会弁公庁に属していた保安局、重要事務局、中央保健局を、自らが支配する中央軍事委員会に再配置した。

 中央保健局には周恩来の側近で、鄧小平が信頼する中央保安局の元局長の一人であり、中央委員会弁公庁の副局長も務めていた楊徳中に兼任させ、中央委員会書記局を監視させた。

 これにより、陳雲、胡耀邦、趙紫陽、李先念などのトップの身辺警護は、すべて鄧小平の手に委ねられたのである。 そのため、鄧小平に挑戦しようとする幹部はいなかった。

 このような最高指導者の情報集約の権力支配のもとでは、ハイレベルの他のメンバーは誰かと密かに面会することはできない。彼らの警備秘書がいつも活動を見張っているし、互いの電話だって監視されている体。携帯電話ができてからもハイレベルのメンバーは携帯使用が許されていなかった。

 こうした警備体制は最高指導者の権力掌握の一部分であり、警部部門も自分たちが警備する人間ではなく、上級の中央警備局の命令に従う。つまり警備要員といっても実際は監視要員に他ならない。

 鄧小平の死後、軍事委員会の主席と総書記が一人で兼任になったため、江沢民は上述の三部門を中央総局の管理に戻し、それ以来、一度も変更されていない。

 これでわかることは、この三部門を誰が握るっているかが、中共の最高権力が実際は誰の手にあるかということを表すだけではなく、中央委員会中央弁公室が実際に権力を持っているかお飾りなのかを反映している。

 中央弁公庁がお飾りなら、総書記も最高指導者の地位にはないのだ。この三つが中央弁公庁に戻ったと言うことは、中央弁公庁がまた実権を握るようになったということだ。

 ★中央警備局長官の交代について

 中共の歴史のほとんどにおいて、中央安全局は中央弁公室の下部組織であったが、十数年間(=鄧小平時代)は中央書記局から分離されたこともあった。それぞれの最高指導者にとって警備局の局長を選ぶことは、他のトップ仲間をいかにコントロールできるかということに直結していた。

 現任の警備局長は「元の主人」の腹心の部下であり、「元の主人」の代わりに多くの極めて高度な秘密情報を握っており、また普通は「元の主人」と深い関係にある。だから「新しい主人」は完全に信用するわけにはいかない。だから、新たな最高指導者は往々にして、中央警備局長をすげ替えるのだ。

 しかし、次期トップリーダーは通常、就任当日に中央警備局長を交代させることはしない。一つは、前任者がポストを引き継いだにもかかわらず、すぐに中央警備局長を交代させると、前任者間の相互不信を公然と示すことになり、前任者間の摩擦や対立を引き起こす可能性があること。

 もう一つは、前局長を交代させるためには、次期トップリーダーが新しい候補者を吟味し、信頼できる人物を見つけなければならないことである。 信頼できる人を見つけるには時間がかかるだろう。

 鄧小平は1989年の天安門事件ののち、自分は軍事委委員会主席を再任しないと言明したが、中央警備局は依然として、中央軍事委員会の管轄下に置いて、鄧小平の腹心の楊徳中に掌握させた。1992年に鄧小平が「改革せざるものは下ろすぞ」と警告した自信のほどはまさにここにあった。

 この時、名目上ただの一介の平民にすぎない鄧小平は、杨尚昆に軍隊を、楊徳中に警備局を式させ、保健局とあわせて三つの核心部門を掌握していた。

 だから平民の鄧小平が実際は、依然として名義上の総書記であり、軍事委員会主席であった江沢民の命運を握って、江沢民は唯々諾々と従うしかなかったのだ。

 江沢民は1989年に第3代最高指導者の地位に就いたが、真の権力を獲得する前は、依然として平民の鄧小平の「子供の皇帝」に過ぎなかった。

 1992年、鄧小平の南巡以後、江沢民は曽慶紅の助けを得て、陳雲、薄一波ら元老の支持のもとで、鄧小平に楊尚昆の軍権を剥奪するように説得し、それから鄧小平が病に倒れて執務不能になった1994年にやっと楊徳中から喜贵に交代させて、本当の最高指導者の地位を手にしたのだった。

 2002年に胡錦濤が政権を取った後も、状況はよく似ていた。 胡錦濤が最初の5年間で「トップ」になったのは、江沢民の腹心である喜贵が治安、諜報、医療の3つの中核部門を掌握していたからで、常にその地位は微妙な状態だった。 

 胡錦濤は、2006年に初めて中央警備局内で昇進した曹清を中央警備局常務副局長に昇格させたが、兪西桂を解任し曹清に交代させられたのは2007年のことである。

 ★習近平は中央安全局を信頼しているか?

 中共の歴史において、中央警備局の局長は常にトップリーダーから最も信頼されている「宮中内部」の保安責任者であり、新局長は常に内部から昇進してきた。「将は変えても兵は変えない」だった。だから警備局システム内部でも局長が変わっても動揺は起きなかった。

 しかし、今年、習近平はこれまでのやり方を破って、外部の候補者を使って中央保衛局を掌握した。これには2つの疑問がある。第一に、保安局システムの中で昇進してきた役人の出世コースを塞いでしまったので、当然、彼らの不満が募る。

 2つ目は、この措置が、外部の局長と副局長を起用したことで、将来的に「指揮官も兵士も交代させる」ことがあるかもしれないという明確なシグナルを与えていることだ。

 このような「子飼いの家来より、外部の人間を信頼する」のは、最高権力者の実権と統制を受け持つ中央警備局のシステムに確実に衝撃を与えるし、習近平にとって相当な危険がある。

 習近平は、そのようなリスクを冒してまで、なぜ衛視の新人登用を止めなければならないのか。中共の公式メディアである「多維ネットニュース」は、「長期間、中南海漬けになって、高層レベルの対立や闘争の影響を避けることができる」と本音を語っていた。この一文が、習近平の動きを理解する鍵となる。 そこからは、2つのメッセージが読み取れる。

 第一に、中央警備局の主要幹部の中には、共産党トップの権力闘争に巻き込まれた者が少なくない。 少なくとも、トップの権力闘争が再び活発化し、中央警備局内の主要幹部の習近平に対する「個人的な忠誠心」に対して習近平に疑念を抱いていることを示唆している。

  第20回共産党大会の前夜、習近平の支配を終わらせようとする勢力が上層部に少なからず存在することは明らかだ。習近平にとって、この勢力が効果的に連携して風土を形成できるかどうかは、上層部のメンバーを監視するツールである中央警備局を安心して利用できるかどうかにかかっている。

 その結果、習近平が現場の軍隊から人を異動させて中央保衛局をコントロールし、他の幹部の監視を強化することは、トップの権力闘争に対処する手段となっている。

 第二に、習近平は治安維持活動に精通した中央警備局系の幹部の中から「トップ」を選ぶことができず、野戦軍から抜擢した。習近平がこれらの幹部を信用するしかなかったのは、少なくとも彼らが首都のトップの人や出来事に精通しておらず、首都の人々や出来事に詳しくないから、権力闘争の渦に巻き込まれていないということからだ。

 記事では、「現場の部隊から『都』に引き抜くことは、中南海の複雑な利権のしがらみから解放されることだが、指揮機構のマネジメントを変革しなければ、そうした思いが実現しない可能性がある」と述べている。

 その意味するところは、中央警備局内の2人の新局長と副局長が、内部の「老兵たち」を必ずしも指揮することができないのではないかということのようだ。第20回共産党大会まで1年以上ある中で、中央警備局の「馬の入れ替え」を分析すると、いわゆる「中南海の動向」が見えてくる。(終わり)

程晓农:中共警卫局换马之壸奥

2021-07-18

【大纪元2021年07月18日讯】最近,“中南海保镖”易帅,中央警卫局局长由内部人换成外部人,中共官媒大肆报导。这样的报导不免引人猜想,换人之举意味着什么?官媒既透露这个消息,说明此举对中共至关重要;而官媒又为换马多方解释,唯恐外界多有猜测。猜测显然是不可避免的,关键是如何解读?这就要从中共高层警卫系统的运作说起了。

一、习近平调野战部队军官主掌中南海警卫

7月15日,执掌中共中枢警卫的中央警卫局“换帅”,习近平打破惯例,征调“外臣”入职中枢,而不是内部拔擢。官媒《多维新闻》的报导指出,其核心背景即力图确保中共20大前的政局平稳无虞。官媒说,中央警卫局由中共中央办公厅直接指挥,宿卫中央党政机关重地,其核心即中央警卫团,可以说,中共最高领导人的个人安危全系于此。

《多维新闻》还提到,2012年中央办公厅主任令计划违规调动中央警卫团、掩盖其子令谷的车祸案,当时中央警卫团介入到这场可能影响中央高层权力分配的偶然事件中,同时也令这一既有机制的合理性遭到了质疑⋯⋯历史上中央警卫局在逮捕“四人帮”中扮演了重要角色,而曹清本人更是亲身参与者。曹清就是上一任中央警卫局长王少军的前任。

王少军长期在中央警卫局工作,2009年升到警卫局副局长,2015年原局长曹清去职,由王少军接替,担任了警卫局局长。2018年驻福建漳州的陆军第31集团军91师政委陈登铝突然调任中央警卫局副局长兼中央警卫团政委。然后,王少军2019年底卸任中央警卫局局长职务。整个2020年和2021年上半年,中央警卫局一直没有局长,由副局长主持业务。直到中央警卫局长一职出缺一年半以后,最近才有北部战区陆军副参谋长周洪许调任中央警卫局局长,接替王少军一年半以前留下的局长空缺。

这种“中南海保镖”缺帅的现象,本身已经十分罕见,中共建立政权后到2019年,从来没发生过;而更少见的情形是,习近平不是从中央警卫局这个相对封闭的特殊系统内提拔局长,而是改从野战部队调人充填。中共的中央警卫局业务非常特殊,而且属于最高机密性质,通常都是从中央警卫局内部提拔熟悉警卫业务的人来担任这个要职。

但是,习近平最近这两年里居然让至关重要的中央警卫局局长职务空缺一年半,而且最后特地不再使用中央警卫局内部的候补人选,而是从野战部队直接抽人来担负这个责任。是因为这个职务不再重要了吗?要了解这个职务的特殊性,就需要了解中共高层领导人的警卫系统。

二、中共最高领导人的真实权力来源

中南海警卫系统的运作,不只是通常理解的高层警卫安全功能,它实际上是中共最高领导人的权力控制制度的落实方式。这里有两层意思:第一,中共哪怕是在集体领导的名义下,其最高领导人始终只有一个人。而这个真正掌握其他高层人员命运的最高领导人的个人权力,并非来自他名义上的党内最高职务;也就是说,谁才是中共真正的最高领导人,要看他是否掌握了对其他高层人员的实际控制能力。第二,最高领导人的真实权力,其实就落实在他掌控对其他高层人员日常监控的能力。这种能力靠的是直接掌握中央警卫局、机要部门和保健部门。最高领导人掌握了这三个部门,其他高层人员的个人安全就完全掌握在最高领导人的手心里了。

在毛泽东时代,中共的中央办公厅管三大业务:第一部分是秘书、机要业务,包括秘书局、机要通信局、机要交通局、档案局,人数多,业务量大,涉及文书处理、机要保密、档案管理、会议组织、来信来访等事物;第二部分是高层领导人的生活服务;第三部分是高层领导人的安全警卫。中央办公厅的秘书业务、档案业务虽然工作量大,人员很多,对最高领导人的实际权力来讲,并不那么重要;真正体现最高领导人个人权力地位的是中央警卫局、机要部门和保健局。

机要交通局负责传送机要文件,机要通信局则负责高层的两个电话系统。其一是保密电话系统,因使用红色外壳的电话,又被称为红机电话,主要安装在部长以上的办公室里,有单独的4位数电话号码。另一个电话系统直到上世纪80年代一直被称为“39”局,它的7位数电话号码的前2位数是39,主要安装在中南海、人民大会堂、钓鱼台宾馆和玉泉山招待所这几处。39局的电话虽然表面上属于民用电话,其实单独归中央办公厅机要通信局管控,该局对所有红机电话和39局系统的电话都监听。

保健局负责最高层少数几人的医疗保健,包括健康检查、日常药物服用和患病时的治疗方案。保健局直接对最高领导人个人负责,很多情况只许最高领导人自己掌握。比如,从现在已披露的消息来看,周恩来晚年患癌症,其病情不让他本人知道,而是报给毛泽东,是否需要做手术,也要毛泽东决定。周的早期癌症发现后,治疗手术却被毛泽东拖延下来,直到扩散成癌症晚期、再批准做手术时,已经无力回天了。

警卫局首先负责最高领导人的个人警卫和安全,同时也给其他高层成员指派贴身警卫,即警卫秘书;此外,毛时代的中央警卫局还负责安排高层的主要活动场所中南海、人民大会堂、钓鱼台宾馆和玉泉山招待所这几处的警卫,以及高层人员的随车警卫。

最高领导人通过直接掌握中央警卫局、机要部门和保健局来监控其他高层人员,从而维持他的个人权力。在这种监控制度下,那些一举一动都被控制的其他高层人员能不能另起炉灶,也就可想而知了。这是中共最高领导人掌控个人权力的毛式手段,与苏共斯大林之后的情形不同。

三、中央办公厅可虚可实

很多人以为,上述这三个部门一向由中央办公厅管,中共总书记是谁,他就可以掌控这几个部门。其实未必如此,胡耀邦和赵紫阳担任总书记的时代,上述三个部门就不归他们这两位总书记管,而是由邓小平管。

毛泽东活着的时候,让亲信汪东兴担任中央办公厅主任,替毛掌管中央办公厅的警卫局、机要部门和保健局这三个中共高层权力控制的核心组成部分。而邓小平掌握大权之后,大约在1981年,他把原来属于中央办公厅的警卫局、机要局和保健局改划到他自己掌控的中央军委,警卫局长由邓小平信任的周恩来亲信、原中央警卫局主管之一杨德中担任,杨还兼任中央办公厅副主任,以掌握中央办公厅的动态。通过这种手段,陈云、胡耀邦、赵紫阳、李先念这些高层人员的个人安全,就完全由邓小平掌握了。也正因为如此,任何其他高层人员都不敢挑战邓小平。

这种最高领导人的权力掌控制度之下,高层人员不方便私下会面,因为他们的警卫秘书随时了解这些高层人员的活动;最高领导人之外的其他高层人员也不能用保密电话互相私下沟通,因为对这些电话的监听让谈话内容完全透明,有了手机之后,高层人员个人也不允许私人使用手机。这种警卫体制属于最高领导人集权控制的一部分,警卫们不归他们保卫的首长管,而是听命于上级中央警卫局。从这个角度来看,这些警卫既是保卫人员,其实也是监视人员。

邓小平死后,由于军委主席和总书记重新由一个人担任,江泽民就把上述三个部门回归中央办公厅管,以后再也未变。由此可见,这三个部门由谁控制,不仅仅反映出中共的最高权力事实上在谁手里,也反映出中央办公厅处于实权还是虚权的状态;这三个部门不归中央办公厅管,中央办公厅就是虚权,总书记也没有最高领导人的地位;这三个部门回归中央办公厅,就意味着中央办公厅又成了实权。

四、中央警卫局长的更换

在中共历史上,中央警卫局大部分时间是中央办公厅的下属单位,但也有十几年(即邓小平时代)脱离了中央办公厅。对各任最高领导人来说,中央警卫局长的人选,直接关系到他能否实现对其他高层人员的控制。原任警卫局长是“老主子”的亲信,替“老主子”掌握着很多绝密的个人资讯,又通常与“老主子”有很深的关系,“新主子”无法完全信任。因此,新上任的最高领导人往往会更换中央警卫局长。

但是,新上任的最高领导人通常不会到任之日就撤换中央警卫局长,因为他们有两层考虑:其一,前任虽然交卸了,但如果立刻更换中央警卫局长,就会公开暴露前后任之间的相互不信任,可能因此引起两人的摩擦甚至冲突;其二,要撤换前任的警卫局长,新任最高领导人必得考察新任人选,找到自己可以信任的人,这需要一段时间。

邓小平1989年六四之后宣布,自己不再担任军委主席,但中央警卫局仍然留在中央军委管辖之下,由邓小平的亲信杨德中掌握。1992年邓小平警告江泽民的“谁不改革谁下台”这句话的底气就在这里。那时,名义上已是一介平民的邓小平,通过杨尚昆掌握军队,又有杨德中指挥警卫、机要和保健这三个最高权力的核心部门,所以“平民”邓小平实际上仍然掌握著名义上既担任总书记、又担任军委主席的江泽民的命运,江泽民只能对邓唯唯诺诺。


江泽民虽然1989年就上台了,但他夺得真正的权力之前,仍然是“平民”邓小平的“儿皇帝”。1992年邓南巡之后,江泽民通过曾庆红的帮助,在陈云、薄一波等元老的支持下,说服邓小平削掉了杨尚昆的军权。然后,一直等到邓小平病重到无法视事的1994年,江泽民才敢安排其亲信由喜贵来替换杨德中,自此真正掌握了最高领导人的权力。胡锦涛2002年上台后,情形也十分类似。胡锦涛前5年的“最高”领导人地位始终是十分脆弱的,因为掌控警卫、机要和保健这三个核心部门的仍然是江泽民的亲信由喜贵。胡锦涛先是在2006年提拔从中央警卫局内部逐级提拔上来的曹清,任命他担任中央警卫局常务副局长;直到2007年,胡锦涛才把中央警卫局长由喜贵撤掉,换上了曹清。

习近平上任时,中央警卫局长还是胡锦涛时代提拔起来的曹清。习近平也想换掉曹清,但为表示对胡锦涛的尊重,并未动作。习近平一直等到上任两年多以后,才利用中央警卫局用他的专机从非洲走私象牙这件事,通过透消息给《纽约时报》和BBC,借外媒的嘴曝光了这件事。然后曹清就被换掉了,中央警卫局局长这个要害职位由原警卫局副局长王少军接任。但是,习近平并未让王少军兼任中央办公厅副主任,这意味着,习近平仍然不十分信任王少军,因此要让自己的亲信、中央办公厅主任栗战书钳制着王少军。

五、习近平信任中央警卫局?

中共历史上,中央警卫局局长从来都是最高领导人最信任的“大内”安全主管,而新任中央警卫局局长都由内部升迁产生,每次换新局长都是“换将不换兵”,所以警卫局系统内部不会因为局长换人而出现震动。但今年习近平打破惯例,改用外部人选掌控中央警卫局系统,这就产生了两个问题。第一,他阻断了警卫局系统内部逐级升迁官员们的仕途,自然会让这些官员心生不满;第二,他的这一安排给出了明确的信号,那就是外部调人任职局长、副局长之后,今后可能会“换将也换兵”,虽然可能只是“掺沙子”,那也会引起中央警卫局系统内部的人心浮动。毫无疑问,这种“宁信外人、不信家奴”的做法,在主掌最高领导人实际权力控制要津的中央警卫局系统内肯定会引起震动,而这种震动对习近平而言,有相当大的风险。

为什么习近平宁肯冒着这样的风险,也一定不再从警卫局系统内提拔新人?中共官媒《多维新闻》倒是说了一句实话:“可避免长期浸淫在中南海内受高层矛盾斗争的影响。”这句话就是理解习近平此举的钥匙。其中可以解读出两个信息。

第一,中央警卫局系统内的主要干部有不少人卷入了中共高层的权力斗争。这起码说明,高层权力斗争现在又活跃起来了,而中央警卫局系统内主要干部对习近平的“个人忠诚度”让习近平心怀疑虑。显然,中共“二十”大前夕,高层存在着一股结束习近平统治的不算弱小的势力;而对习近平来说,这股势力能不能有效串联、形成气候,就看中央警卫局这个监控高层成员的工具是否可以运用自如。于是,通过从野战军调人来掌控中央警卫局,加紧对高层成员的监控,就成了习近平的一种应对高层权力斗争的手段。

第二,虽然习近平无法从熟悉警卫业务的中央警卫局系统干部中选拔出中央警卫局的“掌门人”,而从野战军调来的军事干部完全不熟悉高层警卫业务,习近平也只能信任这些野战军干部,至少他们不熟悉京城高层的人和事,不敢卷进权力斗争的漩涡。《多维新闻》的文章表示:“从野战部队抽调‘入京’,自然有利于使其摆脱中南海复杂的高层利益纠葛,但若从管理指挥机制上没有改变,恐怕高层的初衷未必能够实现。”这话的意思似乎是,这两个新任中央警卫局正副局长未必能指挥得动中央警卫局里面的“老油条们”。

距离中共“二十”大开会还有一年多,分析中共警卫局换马之壸奥,可以从中多少看出一些所谓的“中南海动向”。

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