何でもかんでも間違ってるわけではない。「よろしかったですか?」も、一つの日本語なんだよな。
言葉は生き物です。
よく、「よろしかったですか?」という言葉に対して批判の声があがりますね。
私は、批判している人たちを、どうかと思っています。
なぜなら結論から申しますと、私自身はこの、「よろしかったですか?」は、一つのきちんとした言葉だと思っているからです。
これだけ世で、「その言葉遣いは間違っている!正しくは、よろしいでしょうか、だ!!」
といわれつつも、「よろしかったですか?」を使う人が絶えないのには、意味があると思うんですよね。
実を言うと、わたしも「よろしかったですか?」をよく使います。
更に言いますと、使い分けています。
「よろしかったでしょうか?」と、
「よろしいですか?」を。
あくまで私の感覚になりますが、
「よろしいですか?」は、今この瞬間に責任を求めるような、極端に言えば圧迫感や脅迫感のようなものに近い印象があります。
逆に、「よろしかったですか?」は、今この瞬間に責任を問わず、万が一何か相手に不備があっても、
「あくまで過去のことなのであなたを攻撃しているつもりはありませんよ」というニュアンスがあります。
相手を気遣うからこそ生まれた言い回しなんではないでしょうか。
しこも、「これで大丈夫でしたか?」という言葉が使われるように、「よろしかったですか?」は、この「大丈夫」が「良い」になっただけのことなんだと思っています。
例えば仕事で上司に、過去に提出したレポートのことを聞くとき、「あのレポートあれで大丈夫でしたか?」って言ったりしますよね。
言い換えれば、「あのレポートあれでよかったですか?」になります。
「あのレポートあれで大丈夫ですか?」は、現在進行形の問題を抱えてるニュアンスを含みます。
まだ続いているような問題であれば、「〜大丈夫ですか?」と言いますけれど、
もう過去のことだし念のため、あれで良かったのか確認したいみたいな時は「〜大丈夫でしたか?」と過去形で使ったりもします。
そのほうが、ニュアンスがお互いしっくりくるんですよね。
私たちが今現在話している言葉は、平安時代の人にはきっと伝わりません。
それは、言葉が変化してきたからです。
〜そうろう。とかも今、言わないですよね。
しかし当時のご年配方は、「〜そうろう」と若者が言わなくなったことに対して嘆いていたかもしれません。
今と同じでしょう。
世代が変わると言葉も変わる。
文法は変わらなくても、100年後にはまた日常の言葉も変わっているかもしれませんね。
ということでまとめますが、
「よろしかったですか?」と言うのは私は大賛成です。