悲しさを乗り越えて育む作品
今日は、、、
次回作を楽しみにしてくださっている方にお会いできてとても嬉しかったです
先月亡くなられた恩人のご家族も同じように私達夫婦を応援してくださっていました
実は思う事があって
頭の中が言葉でいっぱいです
こんな具合に、、、。
(ごめんなさい長文になります)
先人の気づきに道を問う人が“学者”だとするなら
先んじて道を解く人は“教師”であり
私自身そのどちらにも属さない事に気づく
『道なき道を行く“愚者”』かもしれないと
何故この様に生きる?と漠然とした苦しみの中で
絵に道を問い続けています
ある意味洗脳装置の一種であるテレビをバカ真面目に見て育ち
とある思想に気づき病を負って
合わぬ向精神薬にてセルフスティグマをスクスク育ててきた
これまで自分自身の病を言い訳に数々の納得いかない作品を生み出したに過ぎない私は
それに気づく事で
過ぎた時間の辻褄合わせをしてる気がして心が痛い
歴史の渦の中で頼りなく風向きに翻弄される木の葉のように
亡き人への涙のオブジェと共に覚醒と衰弱する事を繰り返すうち
混沌とした歪んだ達観の中で
己の本質を生真面目さのみ残して生きてきました
生きることへの自責の念と
他者へのリスペクトの間で
小さく呼吸を続けて
できる事をモタモタと行ってきました
家族の笑顔と
友人のあたたかい思いやりに感謝する心だけは忘れたくないと
それだけを守ることが私の使命の様であり
何を成しうる事もないと大人の振りをして諦めたはずであったのですが
ですが、、、
どうやら私はどうしても私に回帰するようです
何故なら自分自身が誰よりも“愚かでいたい事”を改めて知ったからです
人の道の真実を求めて絵に問い続ける旅を始め
これから先も答えの無い混沌の泥沼の中で前に進もうとしている
ただただ苦しい呼吸を続ける
この命は特に独自の意味なんて無く何も成しえないけれど
生かされてきた私のほぼ全てが
あらゆる争いを生み出して行く思想を心の底から憎んでいる
顔を歪めたままニュースを受け流す事ができないどうしようもない怒りの中耐えられず情報を遮断して心を守ってきた20年でした
ですが、ここ数年世の中に納得いかないまま作品を放り込みながら
生涯をかけた一点に辿り着くまで命があるならと思う
綺羅星の如く沢山の愛の唄へのオマージュは、我人生の断片を少し茶化して皆さんをクスりと笑わせてみようか?とか思うと発想はいくらか膨らんできます
何色で?
どんな形で?
独りよがりな筆跡にならぬ様
飾らず真摯に向き合っていられるか?
キャンバスをただの中古品にしないように
人の心をあたたかくできるものに育てていけるか?
これからの踏ん張りにかかっています
天よ我に力を!!
などと言ってみます
長文をお読みいただきありがとうございます
皆さんこんな私ですが、今後ともどうぞよろしくお願い致します