ヤングケアラーだった君に。
小学生の頃からの苦悩のため30代に統合失調症を発症するまで、私の人生の主役は、『両親を支え、家庭内でのみ密やかに生きる、長女という名の物言えぬ弱き人』であった。
ヒバクシャとしての申請をせずに、大病で手術を繰り返す母に悩まされ、とうとう父は、生活の為にある団体に洗脳される事を選んだという事実が、その苦悩の源である。
最近の私は皮肉なことに、統合失調症になった事から私の人生の主役は私になったと思っていた。
だが、本当のところはどうだろうか?という疑念が湧く。私はいつから病的に大人びた子供を演じ、自分育てをやめていただろう・・・。その苦悩する私を支えてくれていたのは何だったか?誰だったか?
それは、私の人生において一番近くにいた弟なのでは?と考えた結果、全ての弟の発言に合点がいった。病弱な母と、転職を繰り返す短気な父との・・・この蟻地獄のような負のループから救い出そうと苦言をくれたのは弟だったのかもしれないのだ。だが、私は・・・弟だけは幸せになって欲しいと自己犠牲にせっせと時間を費やし弱り果てていった。死ぬために息をしていた。だが生きていられた。
幼い頃からずっと希死念慮を誤魔化し、老人の様な私の心を宥めていてくれたのは絵を描く事だけではなかった。私を支えていたのはいつも傍にいた弟の笑顔だったのだ。
私が視力を失いかけた母を支えられていたのは無口な弟の頑張りにある。母の腸閉塞の危機に君の伴侶が支えてくれていたのが何より嬉しかったよ。
父の無茶苦茶な会計処理を徹夜で尻拭いしていられたのも、弟が頑張って笑顔でいてくれたおかげだった。
今日の私の苦しみは、病が治らないこと。社会的リカバリーに至らないこと。到底絵本に収まらない苦悩の連続であった事。何より、病気に走った私を悲しく見つめる弟とその家族の眼差しにある。それでも、神は私に生き続ける事を強いる。私には伴侶が存在するし、夫の家族はこの上なくあたたかく見守ってくれ感謝の気持ちが溢れる。
だが、なお私は苦悩することになる。これでもか??というほどに。この新しいあたたかな家族ともいずれ死に別れる事になるのだ。
出会いと別れを繰り返す。それが人の世である。だとしたらなんて苦しいのだろうか!!
弟よ!君は幸せですか?私を恨んでいませんか?君がいつもあたたかく見守ってくれたから、私は苦悩しながらも生きていられたよ。
とてもとても耐えられないくらい、か弱き両親を支えてくれる君を置いて死んでしまいたい私を恨んでくれたまえ。ただ一つ良かったのは、国が母の被爆者申請を認めてくれた時に私にも役割があったくらいでしょうか。
これからも母を痛ぶった父の無茶苦茶な親戚を許す気になれないし、私の苦しみをせせら笑ったあの人達には近づきたくない。何より弱り切った私のこの想いを君に打ち明ける日が来ると思うとどうにかなってしまいそうです。本当は淡々と強くしなやかに生きていたかった。こんなにボロボロになって生きている私を支えてくれる夫に感謝しながらも、辛くて苦しくて溢してしまわないか、どうしようもない想いでいる。
神は私に生き続けることを強いることだろう。神とやらを恨みながら生きる今日である。