現代社会のこれからを創造する全ての人へ
「なされるべきは対話です。」それを伝えるためだけに思いを綴ります。
「対話なくして繁栄はありません。」
長崎において、新聞の記事に被爆に関する記事を目にしない日がない8月・・・正直なところ私は残念ながら記事を直視できないことがほとんどでした。
私には様々な方とのご縁で、精神疾患を持つイラストレーターを名乗り(去年の9月10日)実名で全国テレビのLive newsイット!の自殺予防週間の特集に出演した経験があります。
ネットでは「被爆2世 精神疾患」と検索すれば真っ先に私の文章に当たります。漫画「ブラックジャックによろしく」に出てくる医師のモデルでもある被爆2世の精神科医・西脇氏を差し置いて・・私が精神疾患を抱える一人の人間としての言葉を5000字の制限の中に閉じ込めた文章がそれです。
(それは、株式会社パパゲーノさんのホームページに寄せた「被爆2世として、痛みと共に生きて〜涙に虹がかかるまで株式会社パパゲーノ」です。)
ですがごく最近、私は子どもの頃「問題の切り分けに大失敗」してきた事に気づきました。
私は10歳の夏、原爆犠牲者の写真を学校で一人きりで見てショックで倒れてしまいました。それからの身の回りのどうにもならない出来事は誰かと対話することをせずに、「歴史の渦のせい」「戦争のせい」にしていたかもしれないです。
何かの腹いせに親に部屋から閉め出されたトラウマが、何度もよみがえりました。ですが「それも歴史のせいだったのでしょうか?」
対話することから逃げて“戦争のせい”にすることすら私の人生においては大罪だったと感じています。
「戦争の記事の見出しを引き金に湧き起こる激しい希死念慮に似た苦しみが何なのか?」改めて突き当たって自分自身に問いました。
誰を責める訳ではなく「悲しみに暮れる無力感」が、私をますます無気力にさせていました。これまで人生は、ことごとく思うままになりませんでした。家族や自分の病など試練は次から次と怖い程に訪れて身動きができなくなって精神科にお世話になるまで我慢してきました。
それでも追い詰められる気持ちを何度も立て直して明るく振る舞ってきました。
しかし、「私の人生はことごとく“ボタンので掛け違えの連続”だった事」に気づいたのです。
悲しみの血の涙を流す油絵を描きながら、嗚咽を噛み殺す苦しみを封印した私は「前を向く為に“対話”を始めました。
この“対話“は等身大の平和の為に他なりません。“平和の為に立ち上がる誰かを待ってはいけない”
“誰かに自分がなれば良い”のです。
ゆっくりずつ自分のペースではありますが私も世の中の方々のお役に立てるよう前を向いてまいります。
あなたもあなた自身と誰かの為に“等身大の対話”始めませんか?一人一人の本気の対話が、やがて世界を救うかもしれないと信じて。
「昨日まで無力感で泣き崩れていた私の中の小さな女の子」より
2024/08/03 片岡洋子