【エッセイ】「お互い様を考えられず相手の粗ばかり指摘する可哀想な人」の話
いい子はやめやめ、本音のコーナー。
しかしね、言い方を選べない人は可哀想だと思いますよ(私を含めてね)
本当に思慮深い人は「その発言が何をもたらすかを潜在的に推し量ってから話せる」のでしょうが、まぁそれは稀な訳で、しかしそこをできないなりに目指すべきでしょう?
こと進歩主義を採る私は「留まりあまつさえ後退する人」を見ては「(尊大な事に勝手に)私には救えないな」と思う訳です。
(その人が救って欲しいとは思ってなかったとしても)
無論万人が私と同じような価値観な訳がないとはわかってますよ。
酒・タバコにうつつを抜かす快楽主義的であったり、他者を顧みず自らの利益を求める功利主義であったりね。
いいですよ、他者に害を与えない限りにおいてその人の権利は守られますからね。
でもを自らの権利を行使してる風で他者を侵害して、その他者に『これは私の権利だ』と言っている様子」を見ると(あぁ〜こいつはダメだな)と思うでしょう?
この話の通じなさ、そこに可哀想にと思う訳です。
そしてそう言う人は自分がすごい様に思ってて、他者を見下すでしょう?
(何でわかるのかって、私もそうだからなんですけど)
でも第三者の視点から俯瞰すると両者にある差は微々たるものでをどんぐりの背比べ」にしか見えなくてね、「また可愛い小競り合いをしてるな」と思えるものでしょう。
けど一番可哀想なのは「その人がその構図に気づいてない」って事で、「自分は違うって思い込んでるところ」にある。
プライドや成功・失敗体験、教えが構成してるそれはアイデンティティとして蓄積されるほど高く強く固くなって変えづらくなる。
そして自らのとは反する言葉や行動はダメージになってその人にぶつかって、その程度が大きくなるとアイデンティティはへし折られて自信を喪失させるから、他者の意見を聞かない様になっていく。
自らを守ろうとする芯の靭性のなさが、私が崇める「成長の為に多くを得るべし」とする進歩主義と対立するから、私は彼を憐れみ忌避するのでしょうね。
要は「お互い様を考えられず、相手の粗ばかり指摘するあなたは可哀想だ」と言う事です。
多角的に物を見れず偏った物言いしかできないあなたに、幸在らんことを🤷♂️