閃光のハサウェイ
機動戦士ガンダムの小説を読んだのは、中学の時だった。テレビアニメには描かれないアムロとセーラの関係に何か大人の世界を感じた。
そして、「逆襲のシャア」では、時代に翻弄されながら個人の主義を貫こうとする主人公たちの物語にひどく惹かれた。
その中で1年戦争時代の二世として描かれたハサウェイはまさに反抗期を迎えたころの青年そのもののように稚拙でわがままな少年として表現されていた。
だからか、その後「閃光のハサウェイ」と題された小説を何度となく本屋で目にしたはずだが手に取ろうとしなかった。「逆襲のシャア」以降、ハサウェイというキャラクターに好意をもてなかった。すぐにその小説のことは自分の記憶からすっかり消えた。
あれから、33年。
映画化された「閃光のハサウェイ」を巷で評判になっているからという理由で観に行った。ハサウェイに対する不快な記憶だけはずっと持っていた。
しかし、そこで表現されているハサウェイは大きな覚悟をもった立派な大人に成長していた。
映画を観た後に立ち寄った本屋では、「閃光のハサウェイ」の小説が店頭に陳列されていた。
「小説が出ていたんだ...」程度の感覚で手に取り、ページをめくった。
「初版1989年」
一瞬、頭が混乱した。
「今回の映画って、新作じゃぁ...」
そう思った瞬間、どこからか眠っていた記憶が一気によみがえってきた。
そうだ...
「閃光のハサウェイ」
今まで何度となく目にして、ずっと手に取らなかったあの小説だ。
それに気づくと、何か忘れていた大事なものを見つけたかのような感覚で全巻を手に取りまっすぐレジに向かっていた。
買った本を手にすぐそばの喫茶店に入った。
アイスコーヒーを片手に本を開きながら、中学時代の自分のことを考えた。
どうしてあの頃、あれほどハサウェイというキャラクターに嫌悪感を抱いていたのか。
映画のハサウェイと今の自分を重ねたとき、はっきり理解できた。
「逆襲のシャア」で表現されたハサウェイ、あれは自分そのものだったんだ。
わがままなのに力もない、周りをみる視野もない。
まさにあの頃の自分そのものだ。
だから嫌いだったのだ。
今だとよくわかる。
「閃光のハサウェイ」
とても素敵な映画だ。
富野さん、自分もちょっとは大人になって富野さんの物語が理解できるようになったのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?