コーチングってなに?「千と千尋」
コーチングのことばっかり書いてもな、と思って色んなことが下書きに溜まったまま数日経ってしまった。書きたいこと書こう、コーチングが大好きなんだった。
握りしめているガラクタに気が付く
もちろんセッションの中ではいろんな話をしますが、キーになるのは「あなたがどうしたいか」ということ。なぜそんなことをわざわざ…?と思うかもしれませんが「本当のところ」は色んなものに埋れてしまって自分でもよくわかっていない、ということはよくあること。赤ちゃんは生まれてからしばらくは育ててもらわなきゃ死んでしまいますが、育ってゆく、日々を過ごす中でその家族の「常識」も一緒に与えられています。「家族が悪い」と言いたいのではなくて、多かれ少なかれわたしたちが生まれつき持っている考え方や在り方に対して影響しているということ。学校に行って社会に揉まれて、いろんな人と出会うと更にその場所に合った「当たり前」をどんどんインストールせざるを得なくなる。適応、適合していく、生きていくために!そうすると、本当は何が好きでどう生きたいか?がぼんやり、見えにくくなっていきます。見えていたとしても、幻想だったりすることもある。「大学行かないとだめだ」とか「お金たくさん稼がないと」とか。この幻想を今日はヘドロと呼んでいますが、そのまとわりついてしまったヘドロをひとつずつ剥がしていくことをコーチングのセッションでは行っています。
わたしは千尋、という名前のためか(?)よくこの河の神さまのことを思い出します。
自分がコーチングを受けて始めてしばらく、ずっとこのドロドロをまとった状態だった。取っても、洗っても沸き出てくるヘドロ。「どこかにあるひっかかりが取れればうまく行く気がする。気がするのにいいいい。」と悶絶しながらも、愚直によく向き合ってきたな…と思い返します。1人じゃどうやるのかわからなかったし、絶対出来なかった。というかやりたくなかった!何がヘドロなのかも、もうわからなくなっていたから。自分の一部、だと信じ切っているヘドロ。。。怖い!
十数年、握りしめて生きてきた「大切なもの」が、ガラクタだったと気がついた時の虚しさや悲しさ、怒りみたいなものもあったな。ひとつ言いたいのは、ガラクタを選んでしまった自分がいるのではなくて、その時とても大切に思っていたから、その時絶対に必要だったから、握り締めているのです。だから、今も必要なのか?古くなっていないか?はいつも見直していたいなと思います。だって毎日新しい自分だもんね。更新されているから。
古くなっていたことに気がついて、手を放せた時はK点越え。この開いた手で、新しいものを、好きなものを掴んでいいんだ!と思えたときには涙が止まらなくなります。自分はもっと、なんでもできるんだ!と思えるのです、心から。
神さまも千も、自分
でも残念なことに、コーチはヘドロを退かしてくれる便利な人ではありません。「あなたは河の神さまなんだよ!ヘドロマンじゃないんだよ!だから頑張って、絶対できる!」とあらゆる方法で伝えてくれる人。コーチングを始めたばかりの時は「手伝ってよ!教えてよ!やり方知ってるんでしょ?」と正直半ばキレそうな、泣きそうな感情をもったこともありましたが…それでも、優秀なコーチであればあるほど助けてはくれないのです。なぜなら、コーチは「あなたは何でもやってのけるパワフルな存在だ」と誰よりも信じているから。誰かの助けは必要ない。信じている、というか知っています。
赤ちゃんがハイハイして歩けるようになっていつの間にか歩き出し、自転車に乗れるようになるように。転んでも泣いても、いつかはできるようになることを知っている人。「誰よりも応援して、信じてくれる人」がコーチです。ここに一滴でも嘘や疑念があったらコーチングは成立しない。この力強さは、もうぜひとも体験していただきたい!!!自分の中にある信じられない力をすべての人に知ってほしい!元々持っている底力。あなたの唯一無二のユニークさも。
うすうすは気がついているヘドロ、ありませんか?その中から、空を飛ぶ、神さまが出てくるかもしれません。ヘドロがデフォルトの人はいない。これは確信で、真実です。
よきかな〜!