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【4分で読める】生きた金Before⇒After(木戸)

*博報堂時代の『心・技・体』…心その⑲

皆さん、こんにちは、木戸です。

今日は、仕事とはまたちょっと違いますが、博報堂時代と、今のお金の使い方の違いについて振り返ってみます。

当時は、毎月、ほとんどの出費がいわゆる「接待交際費」でした。

今では時代や、コロナの影響もあって、そんなに交際費を使うご時世ではないと思いますが、当時の僕は、他の業界と比べると、かなり交際費でとられていました。うーん、なかなか金額で伝えづらいですが、独身時代は全く貯金できていなかったので、ほぼ交際費で飛んでました。

毎日、色んな人を接待してましたね。笑

クライアント、先輩、女性、、、色んな接待のカタチを知りました。

しかも、当時は会社が赤坂にあり、自宅は新宿だったので、神戸で生活するのとは、単価も違うので、毎日、食事に行くと約1万円、女の子たちと食事に行くと2万~3万飛んでいっていました。

結果、月末にはほとんど手残りなく、アップアップしてました。

その頃の口癖が、生きた金、生きた金。。。そう繰り返して浪費してました。今思えば、あれもこれも、アホみたいな使い方してたなぁとほろ苦い思い出です。

「木戸、お前の金は死んでないか?」と先輩に問いただされ、「生きた金」「生きた金」と言いながら、交際費を使いまくってました。

例えば、後輩と一緒に行けば、奢ることが生きた金の使い方。後輩と割り勘しようもんなら、その金は死んでると思ってました。

女の子と食事に行けばもちろん奢りますし。相手がどこに住んでいようが終電逃せばタクシーで送るのが生きた金の使い方だと思っていました。

でも、自分自身では、必ず後から自分にかえってくるハズと思ってました。賛否あるかもしれませんが、それは今でもそう思ってます。

今でもよく覚えてるのが、営業時代にすごくお世話になった先輩がいて、その方がジョブローテーションで部署異動になることが決まり、異動まであと1か月あると聞いて、、、

「異動まで毎晩僕に時間ください!僕が全部おごります!」と豪語して、毎晩先輩と飲み歩いていました。

結局、当時持ってたカードが2枚とも止まって使えなくなる、という事態になりました。今振り返ると、あの時はホントにアホだったなぁと思います。苦笑

繰り返しますが、僕は全く後悔していません。なぜなら、僕にとって、それが働く1つの目的だからです。お金を無駄遣いすることが、、、とは言いませんが、「仕事の成功談や失敗談を語らいながら、会社やクライアントの仲間と笑って泣く」のが仕事の意義だと思っています。

もちろん、仕事での時間も大切ですが、それを酒のつまみに語らう時間が多かった仲間ほど、今でも連絡をとり、近況報告し合っています。

生きた金が、こうして自分の人生に生きている証だと、自分に言い聞かせています。苦笑

今、博報堂退職してまる3年が経ちました。

最近、「生きた金」というコトバが頭によぎったのは、HDAの活動を通してです。

HDAでは、学生、特に僕らが卒業した筑波大学の学生さんの知恵やマンパワーを借りて事業活動を進行しています。

僕や三上がオススメしたい本は、積極的に彼らにシェアして、希望者がいれば本は僕からプレゼントします。もちろんお金はとりません。

本を贈り、しかもそれをプレゼントできるなんて、以前のお金の使い方からすると、めちゃくちゃ有意義です。誰がどう考えたって有意義でしょ。笑

何冊贈ったって、数千円。赤坂で1杯お酒飲んだくらいのお金です。

また、筑波に行った際には、色んな学生を誘って食事に行きます。もちろん、お代は僕が持ちます。

なんか、自分で書いていて、「俺が払ってやってる」感を主張してるようで気持ち悪いですが、僕からしたら嬉しくて仕方ありません。

学生からの、若い考えや情報ももらえますし、何より刺激をもらえます。

ああ、コイツらに負けないように俺も頑張ろう、って必ず思えます。

今はコロナで大勢ではいけませんが、複数で行けば数万円になります。

学生はありがたがってくれますが、僕からすると、これ以上に嬉しいことはありません。後輩に感謝され、血となり肉となり、また学生が強く、熱くなってもらえるなら。

ふと、思うんです。

当時、僕が女の子にタクシー代として渡した数万円を思えば、比べ物にならないくらいの「生きた金」だな、と。笑

いえいえ、お金の使い方は違えど、BeforeもAfterも、僕にとってはどちらも「生きた金」です。

では、今日はこのへんで☆

このnoteでは、★色んな働き方、生き方があるということをシェアして、結果的に、多くの人が目の前の仕事に忙殺されるだけの人生ではなく、自分の意志で取捨選択した人生やキャリアを歩める世の中になることを願って書こうと思います。僕にとっては、博報堂時代のサラリーマン人生も、その後のフリーの木戸俊介としての経験も、どちらも欠かすことはできません。両方あるから、今の木戸俊介がいると思っています。そういう意味では、特に、今後の将来に対する期待と不安が入り混じる同世代、★29歳~38歳の企業マンに向けて話すつもりで書けたら良いなと思っています。

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