【3分で読める】経営者の強い遺志(木戸)
*博報堂時代の『心・技・体』…心㉑
こんにちは、HDAの木戸です。
先週は、あまり投稿できなかったので、今週は張り切っていきます。
僕は自身のミッションの1つとして、「障がい者雇用」に取り組んでいます。微力ながら、株式会社D&Iの一員(契約社員)として、障がい者と企業のマッチングに取組んでいます。
株式会社D&Iは、「誰もが挑戦できる社会」というスローガンのもと、障がいのある方が挑戦するお手伝いをしています。
これは、「できないをできた!に変える」というスローガンのもと活動する僕が代表を務めるNPO、須磨ユニバーサルビーチプロジェクトの「チャレンジ」に共通する価値観でもあり、強く共感し、共に歩むことになりました。
ただ、先月、D&Iの創業者であり、代表取締役の杉本大祐さんが45歳という若さで急逝されました。
先週、創業者で経営者である杉本さんの「お別れの会」に出席させていただきました。
本当に残念でなりませんが、杉本さんの分も、残された我々が力強く前進すべきだと思うので、自身の目の前の1分、1秒を大切に生きようと決心しています。
先週、開かれた創業者である杉本氏との「お別れ会」に参加させていただきました。
その中で、今日のタイトルにあるように、創業者である杉本さんの遺志を強く感じたポイントがありました。
会社というのは、よっぽどの大企業でなければ、創業者の考え、価値観というのが非常に強く反映されます。ほぼニアリーイコールと言えます。
会社の心は創業者の心であり、企業の理念に色濃く表れます。
それを随所に感じた、杉本さんらしい最後(お別れの会)でした。
●1つ目は、社員の皆さんが「こんなとき、杉本さんなら・・・」と口をそろえ、すでに前を向いていることです。
「杉本さんならこんな時、泣いているより、必ず笑ってるハズ。」
「杉本さんなら私たちが泣いてるより、笑って見送った方が喜んでくれるハズ。」
「杉本さんならこんな時歯を食いしばって前を向いてるハズ。だから僕たちも前に進もう」というコメントばかりでした。
確かに、杉本さんは、いつ会っても笑顔で、どーんと構えたふところの深い笑顔で迎えてくれました。
笑顔の背中を見せて、仲間を引っ張っていかれる姿が浮かびました。創業者の想い、パッションを受け継ぐ仲間がいる。素晴らしいそれが何より杉本氏の生きた証だと思います。
●2つ目に、社外の人がD&Iのスローガンを引用されていたこと。
古くからの友人、業界の仲間、色んな方の送るコトバの中に、D&Iの「誰もが挑戦できる社会」というスローガンが引用されていることが印象的でした。
そのスローガンに触れながら、杉本さんの生き様を熱く語っていらっしゃいました。
これほどまでにこのコトバが浸透しているということは、杉本氏自身が日常に落とし込んで体現していたんだと思います。
また、周囲に夢や大志を語り、浸透していた証拠だと思います。
夢を語り、日常に落とし込む。
言葉で言うのは簡単ですが、やるのは簡単なことではありません。だいたい、夢と現実(日常)とのギャップにメンタルやられて、目指すことを諦める人が大半です。
それを実行し、継続し、カタチにされた杉本さんを心からリスペクトします。
以上、2点が創業者であり、経営者である杉本氏の強い遺志を感じた点です。
追伸)
個人的には、杉本さんの多くを語るには、人生を共にする時間が短すぎました。
もっと近く、もっと深く、泣いて、笑い合えるような時間や経験を共有できたらなと、残念な思いがほとんどです。
でも、どなたかの言葉の中で、「杉本さんの体が無くなっただけ。これからもみんなの中にいますよ」と話していた方がいました。
まだまださびしい時間は続きます。でも、杉本さんが近くにいると思いながら、今、自分にできる全力で進もうと思います。
杉本さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。そしてそして、僕も負けないように頑張ります。
心より、ご冥福をお祈りしています。
このnoteでは、★色んな働き方、生き方があるということをシェアして、結果的に、多くの人が目の前の仕事に忙殺されるだけの人生ではなく、自分の意志で取捨選択した人生やキャリアを歩める世の中になることを願って書こうと思います。僕にとっては、博報堂時代のサラリーマン人生も、その後のフリーの木戸俊介としての経験も、どちらも欠かすことはできません。両方あるから、今の木戸俊介がいると思っています。そういう意味では、特に、今後の将来に対する期待と不安が入り混じる同世代、★29歳~35歳の企業マンに向けて話すつもりで書けたら良いなと思っています。