【3分で読める】「結果が手段」で「過程が目的」(木戸)
*博報堂時代の『心・技・体』…心⑳
おはようございます。HDAの木戸です。
今週も、よろしくお願いします。
今朝、昨晩の「ドラゴン桜」をTverで見ていて、改めて思ったことが、今日のタイトルです。
これはドラマなので、、、、東大受験に受かった子と受からなかった子の人生が今後も続くわけではないのですが、もし続くとしたら、受かった子、受からなかった子の将来を勝手に気になってしまいました。
もし、結果だけが目的だとすると、受かったから成功。逆に、受からなかったら失敗。ということになります。
受験生たちは、受験失敗=この世の終わりくらいに人生の成否を表すように思えてしまいますが、そこからさらに15年くらい生きた僕たちからすると、、
「その経験も糧になる」と思えます。
おそらく、さらに目上の方からすると、僕ら世代の事業の失敗や人間関係の失敗も、良い「教訓」としてとらえます。
人生を長い目で見ると、人間としての成長や学びがゴールとした場合、その成果は結果ではなく過程でこそ見えてくる。
そう思います。
博報堂を辞めて約4年ほど経ちました。
今でも、当時一緒にお仕事した方とは定期的に集まって、語らう機会があります。近況報告をして、お互いの今を語らいます。コロナでここ2年は中止になっていますが。
でも、いつも話題になるのは、過去の「過程」の話です。
それも決まって、成功体験ではなく、失敗体験です。僕の新人時代の数々の失態、クライアントさんに怒られチームがピンチに陥った時、タレント事務所さんに謝りにいったこと。。。などなど
その時間が、なんとも言えないほど、大好きです。
「結果が手段」で「過程が目的」、というのは、受験も、就活も、仕事も、スポーツも僕にとっては全て同じです。
普段からnoteでも書いていますが、僕は、「1年の最後にクライアントやチームとみんなで泣いて笑えるため」に仕事をしています。それが目的です。
当然、結果=業績という結果を目指して仕事をします。ただ、結果は未来なので、今できることは常に100%、120%出すことを目指して目の前の業務に打ち込むのみです。その業務は、結果から振り返った時、その積み重ねが「過程」で、その過程こそ僕が働く目的になっているので、「過程が目的」というのはそういう意味です。
毎日を120%出すモチベーションは、「業績」を目指すからこそなので、「結果が手段」というのはそういう意味です。
これは、大学時代からも同じで、「シーズン終わりにみんなで泣いて笑い合うため」に部活、サッカーをしていました。
当然、結果=勝利という結果を目指してサッカーをします。ただ、結果は未来なので、今できることは常に100%、120%出すことを目指して目の前のトレーニングに打ち込むのみです。その競技は、結果から振り返った時、その積み重ねが「過程」で、その過程こそ僕が競技をする目的になっているので、「過程が目的」というのはそういう意味です。
毎日を120%出すモチベーションは、「勝利」を目指すからこそなので、「結果が手段」というのはそういう意味です。
僕は、こんな風にとらえて、結果にこだわりつつ、過程をつくる「今」この瞬間に全力で臨むよう心がけています。
では、今日はこのへんで。
このnoteでは、★色んな働き方、生き方があるということをシェアして、結果的に、多くの人が目の前の仕事に忙殺されるだけの人生ではなく、自分の意志で取捨選択した人生やキャリアを歩める世の中になることを願って書こうと思います。僕にとっては、博報堂時代のサラリーマン人生も、その後のフリーの木戸俊介としての経験も、どちらも欠かすことはできません。両方あるから、今の木戸俊介がいると思っています。そういう意味では、特に、今後の将来に対する期待と不安が入り混じる同世代、★29歳~35歳の企業マンに向けて話すつもりで書けたら良いなと思っています。