『明治乙女物語』執筆裏話②主人公2人
『明治乙女物語』の主人公は、高等師範学校女子部(女高師)に在学する野原咲と駒井夏。
架空のキャラクターですが、それぞれ史実のモデルがいます。
それぞれ一人だけではないのですが、主に、野原咲のモデルは野口幽香(のぐち・ゆか)、駒井夏のモデルは安井哲(やすい・てつ)です。
ともに教育者として名を残しています。
具体的に何をした人たちなのかは、微妙にネタバレになるので興味のある方はググっていただくとして、二人は女高師の同級生でした。小説の中でいえば、野原咲と同級です。
野原咲と駒井夏は2歳違いですが、史実の野口幽香と安井哲は4歳違い。
野口幽香と安井哲の友情は、生涯にわたって続いたようです。
以下、2人の主人公と、モデルにした人たちについて解説します。
野原咲
・勉強が断トツにでき、身体能力が断トツに高く、美人で性格も良い。完璧すぎる満20歳。
・やや「天然」とも思えるおおらかで嫌味のない性格で、人望も厚い。
・文部大臣・森有礼からは「女子教育の理想形」とまで讃えられる。
・感情が昂ぶるとバットを振り回す(暴力にあらず)。
・怒りをためこむタイプ。
主なモデルは野口幽香。ほかに若松賤子、大山捨松など。
野口幽香はある時、路上に字を書いて遊ぶ貧しい子供たちを見かけます。そこで思うところがあったようです。召使いを何人も引き連れて学校に通う裕福な子供たちとの落差。これが後の彼女の事業につながります。
野原咲もシチュエーションは違いますが、「路上に字を書く子供たち」と出会う場面があります。
咲がクリスチャンという設定も、野口幽香がクリスチャンだったところから借りています。ただし、野原咲は子供の頃に改宗していますが、野口幽香が改宗したのは女高師に在学中のことです。
学校の近所に海老名弾正が開いた教会(現在の弓町本郷教会)があり、在学中にここに通って改宗する生徒が結構いたようです。
咲の出身校は横浜山手の「風車の学校」、当時はフェリス・セミナリーという名称だった現在のフェリス女学院。英語教育が徹底していたそうで、咲が英語ペラペラなのはここで学んだためです。
この頃のフェリスでは、『小公子』の翻訳で知られる若松賤子も教壇に立っていました。若松賤子は会津出身。女高師で舎監の山川二葉と出会う前に、野原咲には会津出身者との接点があったことになります。
「咲」という名前は、岩倉使節団とともに米国に留学し、現地の大学を卒業して帰国した大山(旧姓:山川)捨松の幼名でもあります。
大山捨松は帰国後に教育者への道を希望していましたが、さまざまな事情からそれは叶いませんでした。
「咲」という名前には、大山捨松が生きられなかった人生を生きる人というイメージも込めています。
駒井夏
・寄宿舎では野原咲と同室。
・勉強しか取り柄がないと思っていたのに、野原咲にあっさり上を行かれた気の毒な(もうすぐ)満18歳。
・咲がおおらかな性格なので、後輩に口うるさく説教する役割は夏が引き受けることになってしまう。
・咲に対しての感情は複雑だが、妙に信頼されていることもわかっており、悪い気はしていない。複雑である。
・母親との折り合いが悪い。
主なモデルは安井哲。ほかに樋口一葉。
女高師の講堂でクリスマスパーティーが開かれたとき、安井哲は寄宿舎にひきこもって級友と欧化主義を嘆きあいました。このエピソードはそのまま駒井夏の回想として使用しています。
女講師の講堂で舞踏会が開かれていたというのは史実です。野口幽香も女高師に入学してすぐ、講堂での舞踏会を目撃しています。
安井哲の口癖だったという「たとえば、たとえば、たとえばですねー」も、作中で一度使わせてもらいました。
夏のもう一人のモデルは樋口一葉。夏という名前は樋口一葉の本名からもらっています。
子供の頃のエピソードや家庭環境などは、樋口一葉にかなり寄せています。
樋口一葉は母親に反対されて進学を断念し、それを死ぬほど辛かったと日記に書き残しています。『明治乙女物語』の夏も母親に進学を反対されますが、そこで死に物狂いで反抗して進学をもぎ取りました。
駒井夏というキャラクターには、樋口一葉が生きられなかった人生を生きる人というイメージも込めています。
樋口一葉の小説の主人公は、クライマックスで突然「いやだ」と叫ぶことが多いです(田中優子『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』など参照)。
駒井夏も、作中で「嫌だ」を連呼する場面があります。
樋口一葉の小説のヒロインは、「いやだ」と叫びつつも、抗えない運命を受け入れます。受け入れる以外の選択肢を持ちません。
しかし、駒井夏の場合はちょっと違います。抗えない運命を感じて「嫌だ」と叫んだら、「一緒にこんな世の中ぶちこわそうぜ!」とばかりに手を差しのべる人物が現れます。
ちなみに、近眼であることや『太平記』が好きなところも、樋口一葉から借りています。