武林唯七から兄への書状(意訳)
兄上が源五(大高源五)に送った書状を拝見しました。
まず、父上のご病状が重くなられたとのこと。目もお見えにならず、お元気もなく、ご快復は難しいとの旨を承り、ひとしお胸が痛んでおります。しかし、一儀(仇討ち)も近いためどうにか堪え忍んでおります。
本来ならば見舞いに帰るべきですが、大石殿より用事を申し付けられているため、本日出立しなければなりません。
母上もご病気とのことで、私がいなくなった後のことを思うと心配で、安心して死ぬに死ねません。ともかく、大石殿も来月までは出立なさらないようなので、兄上にはゆっくりと諸事を片付けていただければと思います。
私の願うところを申し上げます。兄上はまだ部屋住みの御身、内匠頭様にもご奉公をなさっておられませんでした。それゆえ、どうか一儀に参ずるのは思いとどまっていただきたいのです。
父上が亡くなられたら、母上のことは丹右衛門(母方の伯父?)にお預けください。諸道具を売り払い、その金をお持たせになればよろしいでしょう。おなつ(不明)はしかるべき時が来たら、奉公なりともさせてください。
そのうえで、我々の死後のことをお考えいただきたいのです。兄弟のうち一人は孝のために残り、事の始末を見届けるべきです。それが兄上のお心に叶わないのであれば、心に懸かることがなくなったとき、切腹なさってください。そうすれば兄上も同志と同然になります。
私が残って父母を看病したいのはやまやまですが、私は年少の時分より内匠頭様にご奉公し、重恩をたまわった身です。どうか、わかってください。
父上が死去なされたら、母上はお一人になられます。母上を捨て置き、兄弟二人ともが忠義に殉じたら、世間はなんと申すでしょう。忠義は立てたが親不孝な兄弟だと申す者も出てくるのではないでしょうか。
せめて母上がお元気であればと思いますが、明日をも知れぬ老いた親を見捨てたとあっては、世間の評判は「不孝」に定まりましょう。ご病気が快癒されればともかく、そうでなければ、是非是非、兄上には思いとどまっていただきたいのです。憚りながら、それこそが道理に叶うものと考えます。
このたびの父上のご病気は、我ら兄弟にとってじつに因果なことです。一儀までにはまだ日があり、おそらく九、十月以降になるでしょう。それまでよくお考えのうえ、どうかご理解ください。
その時が来て、まだ父上がご存命でしたら、よろしくお伝えください。母上にはお気を落とされぬようにとお伝えください。恐惶謹言。
閏八月十一日
武林唯七
(花押)
渡辺半右衛門様
追伸
繰り返しになりますが、母上を丹右衛門にお預けになり、お心に懸かることがなくなれば、我らの死の知らせが届きしだい切腹なさればよいのです。
我らの死後、もしも公儀から親類縁者におとがめがあったら、そのときは母上を刺し殺し申し上げてください。よくよくお考えのうえ、どうかご理解くださいますよう。
(原文は赤穂市・市史編さん室『忠臣蔵』第三巻より)