『明治乙女物語』執筆裏話④山川二葉

女高師の舎監・山川二葉(やまかわ・ふたば)は実在の人物。
意外に資料が豊富で、面白いエピソードがたくさんありました。ただ、ストーリーに関係ないので書く機会がなかったり、一度は書いたものの松本清張賞の規定枚数におさめるために泣く泣く削ったりしたエピソードが多々あります。
今回は山川二葉について解説します。

・旧会津藩の家老職の家柄。戊辰戦争の会津籠城戦を生き抜いた女傑。
・謹厳実直な武家の女。生徒から恐れられている。
・女高師の舎監を約30年もつとめた。
・明治21年当時、高等師範学校の校長は弟の山川浩将軍。

山川二葉が亡くなった翌年、ゆかりの人々が『山川二葉先生』という追悼文集を編んでいます。
その中でさまざまな立場の人たちが山川二葉の思い出を語っているのですが、だいたいみんな同じことを書いています。要は、「めちゃくちゃこわかった」「近寄りがたい人だった」と。
しかしそれだけでは終わらず、「実はこんなに優しく温かい一面があったのだ」と、それぞれに自分だけが知っている山川先生の思い出を語っています。
印象的だったのは、病気のときに親身に看病してもらったという元生徒の回想です。自分はもう駄目だと弱音を吐いたら、学費をいただいているご恩も返さず死ぬとは何事かと叱られたそうです(『山川二葉先生』ではなく別の雑誌に載ってた回想だったかも?)

「この人はいつも同じ姿勢で机に向かっている」という、ある登場人物が山川二葉を評した言葉は、実際に女高師で彼女を見かけた人の感想です。

山川二葉が鹿鳴館に赴く生徒たちにかけた言葉は、彼女が卒業生に語った言葉を大幅に改変したものです。「山川二葉は二度と会いませぬよ」という言い方がかっこよくて使ってみたかったのです。

ほかにこんなエピソードもあります。
・体が弱いので生徒と一緒に体操の授業に参加していた。
・自分は学が足りないので本来は最高学府の生徒を教える器ではないとよく語っていた。
・そのためか、生徒の後ろで授業を聴いていることがあった。
・辞書を引きながら英語の本を読んで勉強していた。
・トランプが好きで、土曜日の午後など生徒とよくやっていた。かなりの負けず嫌いだったという。

なお、「フタ婆」というあだ名はフィクションです。でも、絶対にそう呼んでる生徒はいたと思う……。


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