50代身寄りのない私が家をみつけるまで#25出発の日♡準備している時に感じた社会の仕組み☆気合いは気愛で♡
出発にあたって、いろいろ準備をしていました。。先日、区役所で住民票をどうするかで話しをしていました
私は次、住むところは決まってません。。その間、郵便を受け取って頂くところもありません😆
で、他の方にも聞いてみたりしながら、住民票は抜いて出ることに決めていました。。
今の住まいは支援団体が借りている場所でもあるわけで。。
ところが、ま 当然と言えば、当然なんですが、次決まってない方のは抜くことができません!と言われてしまいました
そこから今までのことを話して、結局は抜いていくことに。。
これに関してはいろんなご意見があろうかとは思いますが。。
私がこの話し合いの中で感じたこと。。
それは身寄りがない、親がいない、親戚も繋がっていない。。実はそういう人はたくさんいるんじゃないかなというものでした
その後、今支援して頂いている方に報告しましたら、どっちにしても抜かないで行ったとしても後で抜くのが大変になるみたいだよ(住んでなかったのに何故?となるわけですよね)。。そう言っていました
その後の言葉にさらに衝撃を受けたと同時に、やっぱり。。と納得しました
今、住所不定の人たち、何十万人もいるみたいだよ。。と😵
で、何が言いたいのかと言うと、身寄りがないと保証人がいないと生きにくい社会の構造がそこにはあるんだな。。と、そう改めて思ったのです
生活保護にしても、保証人がいる。。
確かに、相手の方の立場になれば、何かあった時に誰が責任とるの?誰が面倒みるの?。。そんな思いがあって、仕組みとしてできているのは理解はできています
それでも、何だかしっくりこないのです。。
これでいいの?
仕方ないから。。どうしようもないから。。
それでいいの?。。と。
以前、児童養護施設を卒業した子が家をみつけられず、最終的には施設の先生が助けたという話を先生から聞いたことがありました
先生がいなかったら?
この答えを出すことは私にも今はできません。。誰もわからないかもしれません。。
それでも私がこのタイミングで自分の本当に望む、魂がリラックスする場所を、家を探す旅に出ることは何か大きな意味があるように感じています
うまく言えないけど、この旅が終わる頃には(答えとなるようなものが出るのかはわかりませんが。。)何かを手に掴んでいるような、そんな気がしています
長くなってしまいましたが、お読み頂きありがとうございました
それでは気愛でいってきま~す💖
ご視聴ありがとうございます✨
みんなに雪崩のごとく、たくさんの幸せが訪れますように
オリジナル即興お楽しみください
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