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『IT/イット"それ"が見えたら、終わり。』怖がりな大人たちへ

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』を観た感想。

 2019年11月1日に公開の『IT』2作目ですが、今回私が観たのは2017年に公開された1作目のほうです。公開以来気になっていましたが、「殺人ピエロがハイジョージィするだけだろ」と思って放置していました。

 しかし、このあいだ自宅にTSUTAYAカード更新のお知らせが届き、特典で無料レンタルできるということで『IT』を手に取った次第です。

 原作はスティーブンキングの同名の小説です。デリーという町で、人間の恐怖心を餌にする殺人ピエロとそれに立ち向かう少年たちを描きます。ピエロというのがその名も「ペニーワイズ」で、作中では「IT」と呼ばれています。

 感想ですが、この映画はかなり怖いです。

 まず、襲われる理由が因果応報ならば納得できますが『IT』は違います。昼間だろうが自分の部屋だろうが赤い風船と共にピエロが現れます。そしてめちゃめちゃ積極的に殺しにきます。

 一方でその習性は基本的に罠をはるというもので、引くときは引いたり、選択肢を出してくれたりする案外知的で紳士的な怪異でもあります。異論は認めます。

 さらに怖いと思った点は、「IT」はどんな姿にも変わるということです。
ペニーワイズは相手が怖いと感じるものに変化して、相手を襲います。

 私は怖がりだし、ストレス耐性がメダカ(小さめのやつ)ぐらいしかないので即死すると思います。
 デリーに生れなくてよかった。

 作中で明らかにされているわけではありませんが、彼は不死身だと思います。だって、誰しもが持っている「怖いもの」こそが彼そのものなんだから。「THE END」と銘打たれた今作ですが、本当に彼を葬ることができるのかとても気になります。

 

 少し話題を変えます。

 もっとメタ的に見た時、ペニーワイズつまり《IT》は、対象の恐怖を喰らう《変化の悪魔》ではなく、《抑圧された根源的な恐怖そのもの》なのではないかと考えました。

 私は子どもの頃、「線路」を怖がっていました。その時は説明できなかったけれど、あの茶色い石とレールがずっと続いていて「お前なんて簡単にひき殺せるぞ」とでも言っているようなけたたましい警報機の音と、絶対的な重さと大きさと速さで目の前を走り抜けていく電車の音が本当に怖いと思っていました。

 恐らく、自分の手に負えない質量と速度に対する本能的な恐怖と、線路=轢かれる=死というイメージから、幼い私は線路を怖がっていたのでしょう。ですが私はそれを怖いと言語化できたし、いまでは克服もしています。

 しかし、世の中には、克服されることのない恐怖もあります。

 作中で特に感じたのは、この町の住人たちは、常に何かを恐れているということです。この映画に出てくる大人はどこか病んでしまっています。

 例えば羊を殺せなかった少年に対して、屠殺業を営む大人は「大人になれ。殺さなければ、殺される側になる。お前はどっちだ。」と少年を責め立てます。彼らは差別を受けていて、業種からもマイノリティであることがわかります。

 教会の神父は、自分の子供の思春期の複雑な心情を無視して、無理やり神父としての道を歩まそうとしています。結局お披露目会のような場面で息子が途中でバックレるので、父親は恥をかくことになります。

 ある母親は、子供に過剰に依存し、嘘の病気までこしらえて自分の手もとにおこうとしていました。しかし病気や薬が嘘であることがばれ、「一番大切なのは友達だ」と言ってのけた少年に、母親はひとり取り残されることになります。

 ヒロインの少女の父親は、娘に対して「お前はまだ俺のものだよな」と脅し、依存し、自分の支配下に置こうとしますが、結局父親はほかでもなく娘に殺されてしまいます。

 作中の大人たちは、ほとんどクズしかいません。しかし彼らをクズだと言い切れるのだろうかとも思います。彼らはすべて、自身の恐怖を見ないふりをして、心の奥底に抑圧し、他人に転嫁して生きている存在です。これを「アダルトチルドレン」ともいいます。自分の中に傷ついて大人になれない子どもを隠している大人のことです。

 そしてその内なる子どもは、彼らを常に苦しめるし、常に脅威であり続けます。さらに悪いことに彼らにとって自身が子供であることがばれるのが最も恐ろしいため、彼らは必死で大人のふりをするしかなくなります。そして子供に「大人になれ」と言います。そして気づかないうちにその恐怖を忘れてしまえば、彼らにとってそれは大人になったということです。

 その忘れられた恐怖こそが、《IT》です。

 その恐怖は、見えないふりをしているだけで克服したわけではありません。逆に言えば、見ようとしていないから見えない、のであって、大人になるということは、見ようとしなかったものがついには見えなくなってしまうことだ、とも言えます。実際この作品では大人はペニーワイズに対抗する手段を全く持っていません。大人たちにはペニーワイズの姿が見えないからです。

 そう解釈すると、子供の頃に必ず持っていた《それ》への恐怖を忘れてしまうことが大人になることですが、その恐怖自体は無くならず、周期的によみがえったり、無意識のうちに自身や周りの人に影響を与えたりします。

 この《恐怖》に対してどうすればよいか。それは、日本的なホラーの原点にある「成仏させる」という考え方が近いような気がします。本来、悪霊は退治するのではなくて、向き合い、供養し、成仏させるものです。悪霊に優しい言葉をかけるのが最も効くこともあります。これについては日本版エクソシストであるところの陰陽師に詳しく書かれています。漫画も映画もあるのでお勧めです。

 アダルトチルドレンについての詳細は、私は専門家ではないので省略します。恐怖を食べるという意味では意外とペニーワイズは現代の大人にとって、カウンセラーに適しているかもしれないな、とも思いました。(ただし死にます。)

 そんなことを、『IT』を観ながら考えました。

 今回、11月1日に公開される『IT/イット“それ”が見えたら、終わり。THE END』は“大人になった”主人公たちが登場することになります。彼らはどう成長したのか、そしてどんな終わりが用意されているのか、とても楽しみです。

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