2024年5月読書記録 ポストモダン、太宰、女太宰、文フリ
鴻巣友希子『文学は予言する』(新潮選書)
鴻巣さんの文章は新聞や雑誌などでよく拝読していて、自分とは考え方が近い方だと思っています。ただ、考え方が近い分、著作を読むと共感や同意が溢れてしまいそうで、読むのをためらっていました。ノンフィクションの場合、心地よい読書が自分のためになるのかどうかわからない、批判したくなる文章の方が自分の思考を深めるのに役立つのではないかなどと思っていたからです。しかし、実際に読んでみると、当然ですが、鴻巣さんと私とでは教養や知識量がかけ離れているので、非常に刺激的な読書体験になりました。特に第3章では、言及される作品も視点も未知のものが多く、今後の読書に生かせそうです。国内外の現代小説に興味がある方が読めば、間違いなく読書の幅が広がると思います。多くの作品が登場しますが、作品を読む際に気が削がれるようなネタバレはありません。
デイヴィッド・マークソン『ウィトゲンシュタインの愛人』(木原善彦訳・図書刊行会)
1988年に出版された小説です。何らかの理由で地球に残るただ1人の人間となった語り手が、タイプライターに向かってとりとめもない思いを記す、という体になっています。とはいえ、SF小説ではありません(人々がいなくなった理由や、語り手のサバイバルについては何も語られません)。
この作品は、タイトルにあるウィトゲンシュタインの哲学を小説にしてみた、というある種の実験小説なのでしょう。世界と言葉の関係について、哲学が苦手な私でも、ウィトゲンシュタインはこんなことを言っているらしいと小説を通じて理解できるようになりました。その意味では、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』と同じ位置づけの作品だと言えそうです。ギリシア古典文学のネタが多いので、そのあたりを知らないと、少し難しく感じるかもしれませんが、ネットで調べながらでも読む価値がある、知的な刺激を与えてくれる小説だと思います。
『翼〜李箱作品集〜』(斎藤真理子訳・光文社古典新訳文庫)
李箱は、戦前、日本の植民地だった時期の朝鮮の作家です。日本の近代文学は明治期に始まりますが、朝鮮では、李箱の時代に近代文学が確立されたようです。母国の言葉=朝鮮語も使えるけど、学校では日本語を習う時代に。時代背景が重すぎて、適切な言葉が見つからないですが、作品集の中では、短編が特によかったです(詩は、私には難しすぎました)。日本の作家だと、横光利一に影響を受けているのがよくわかります。
横光利一の小説が大好きなのですが、後継者のいない孤高の作家か? と思っていたので、嬉しくなりました(ネットで検索したところ、朝鮮・台湾では横光利一の影響が大きかったようで、論文がずらっと出てきました)。
青空文庫
太宰治『竹青』『惜別』
『竹青』は前に感想を書いた『清貧譚』同様、中国の短編集『聊齋志異』の一篇を翻案した作品です。『惜別』の方は、中国人作家魯迅が仙台に留学していた時の友人が思い出話を語るという体の長編小説です。
どちらも、中国の小説に対する太宰の深い愛と尊敬を感じる作品です。特に『惜別』の方は大東亜共同宣言に基づく作品であり、国策的な意味合いもあるのですが、そうした事情から離れて、太宰が魯迅に強いシンパシーを抱いていたことがわかります。ただし、太宰が誰かについて書く時は大体そうなりがちですが、魯迅を自分と一体化させすぎているので、魯迅に詳しい人が読むと、違和感があるかもしれません。魯迅が好きな私としては、この小説がきっかけで魯迅に興味を持つ方がいればいいなと思いました。
久坂葉子『灰色の記憶』
SNSで教えていただいた作家です。1952年に21歳で命を断った方ということで、女太宰治という呼び名もあったようです。富裕層の出身、その気になれば人に好かれ、人気者にもなれる、芸術的な才能にも恵まれるなど、太宰との共通点も多いです。感情の波が激しく、何かに打ち込める時期もあるのですが、生きづらさを抱えて、死ぬことばかり考えてしまう時期もある。そうした感情の波が、ストレートな文章で書かれているので、読んでいる私までが苦しくなるほどでした。
終戦後も富裕層として戦前のままに生きようとする家族との間の軋轢も、彼女の生きづらさに拍車をかけていた気がします。そのあたりは、太宰の『斜陽』とかぶる部分もありますね。ただし、『斜陽』のモデルになった太田静子の実家は普通の開業医なので、旧華族でもなく、そもそもそんなに没落はしていなさそう。その点、久坂葉子の父親は川崎財閥に連なる人なので、財閥解体の影響で本当に没落しています。母親も子爵岡部氏の娘、こちらは旧大名家の家系なので、旧華族です。リアル『斜陽』としても読めそうな作品でした。
文学フリマ
『汀心』『桃踏』『ペンシルビバップ』
文学フリマで購入した本のうち、アンソロジー3冊。公募界の有名人が集う『汀心』はプロ作家の作品と遜色ない読み応えでしたが、他の2冊も楽しく読むことができました。次号も購入したいし、もっと他のアンソロジーも読みたいです。収録されているのが短編ばかりなので、手軽に読めて、好みの作家さんと巡り会うこともできました。個人的には、同世代の作家よりも、村上さんや大江健三郎のような上の世代の作家の方が好きなので、年上作家の小説の方が自分には合うのだろうと思っていたのですが、若い方の小説を楽しく読めたのも大きな発見でした。
『紅の笑み アンドレーエフ短編集』(ハロートーク訳)
これも文フリで購入した本。翻訳者のハロートークさんはXでフォローしている方です。アンドレーエフは戦前の日本では大人気だったみたいで、『それから』の代助や『彼岸過迄』の須永が小説を読んでいたり、魯迅も日本滞在中に知って影響を受けたりと、日本近代文学を読んでいると、よく名前を見かける作家なんですね。ところが、今では日本語で読める作品がほぼない。ドイツ人作家のハウプトマンなどと並んで幻の作家だなと思っていたところに、文フリで売りますというポストを見たので、購入してみました。
ホラー小説、心理サスペンス小説、SF風のパニック小説、それにもちろん純文学的な要素もあり、とても面白かったです。商業出版の翻訳書がないのが不思議なぐらい。戦前の小説とは思えぬ雰囲気なので、同時期にアンドレーエフを読んでいた夏目漱石、彼の作品を訳した森鷗外・上田敏・二葉亭四迷などは、小説の読み手としても時代を超えた人たちだったのだとも思いました。