僕が嫌いだった祖父母
僕は母方の祖父母が嫌いだった。
祖父母の家には、ハイチュウもなければポテチもない。あるのは、おせんべい。
祖父母の家には、ファンタグレープもカルピスもない。あるのは、濃縮還元の果汁100%の超酸っぱいオレンジジュースか野菜ジュースである。にんじンジュースはその中でもダントツで嫌い。
せめて、バヤリースオレンジジュースでもあれば良いのにな。
ゲームをしていると祖父に
「はると!そんなゲームばっかりしてやんと、散歩行くぞ。」
祖父の前では、ゲームはできない。
祖父にいやいや外に連れられて散歩に行くのだが、祖父の散歩はちびまる子ちゃんと友蔵のような散歩ではない。散歩というよりは競歩に近いだろう。保育園児くらいの子供の歩くペースには全く合わせず、約1時間歩き続ける。家にたどり着く頃にはヘトヘトだった。
祖母の前では、好き嫌いはできない。
祖母の作る料理は僕の好き嫌いがはっきり出る。半分くらい上手いが、半分くらい家の味と違って苦手だった。正月の鯖寿司は酢が効きすぎて食べたくない。「かます」という謎の漬物みたいな料理も嫌い。朝には、
「はるくん。美味しいバナナジュースできたで!」
喜んで、ゴクッと一口。
「苦い」
なんで、バナナジュースが苦いねん。普通ゴーヤはバナナジュースに入れへんやろ。
「何が苦いのよ。美味しいやん。」
祖母は美味しそうに僕の分まで飲んだ。
だから、幼少期の僕は母方の祖父母の家に行くことは嫌いだった。正月の1月2日に家にいく事だけは恒例行事だったので、仕方なく行った。でも、はやく家に帰りたいという気持ちしかなかった。
中学生が終わる頃くらいから、ジュースとかゲームとかどうでも良くなってきた頃くらいから祖父母のことは嫌いではなくなってきた。今では本当に祖父母のことが好きである。
👨🦳
おじいさんは山へ芝刈りにではなく、僕のおじいさんは1時間の散歩に出かけ、新聞を読み、テニスをしに出かける。また、自分でお味噌汁を作って美味しそうに飲む。
超健康な老人である。御年72歳くらい。おじいさんとは小学5年生くらいまで毎年マラソン大会で争った。おじいさんは大変元気で、僕が小学5年生になるまで対等な戦いを演じてきた。小さい頃はよく
「はると!ダッシュしたり歩いたりすんな!一定のリズムで走り続けるんや!ほら、走れ!」
鬼教官さながらのおじいさんに尻をたたかれながら走った。当時の僕はぽっちゃり系男子で運動は超苦手、おじいさんが行くぞって強引に毎年マラソン大会に参加させられていた。でも、マラソンを完走した後にもらえる甘いおしるこだけは楽しみだった。
僕も孫ができたら、小学6年生の孫にはマラソンに負けたくないなと思う。
おじいさんは超元気で、毎年冬になると長野にスキーに行く。
コロナになった去年はちょっとしか行ってないみたいだが、コロナになる前の大学1年生と2年生の冬はおじいさんと長野へスキーへ行った。
僕は高校までずっと野球部で活動をしていたものだから、スキーなんてしたことがなかった。大学生になってはじめて冬休みができたことと、大学ではどうやら、スノボーにみんなで行くらしいので雪に慣れとこうということで、おじいさんと二人でスキーに行った。
おじいさんは
「スキーなんか誰でも滑れるわ。あの運動音痴のおばあさんでも滑るし、こんなちっさい子でも上手にすべりよる。」
「ちゃんと、丁寧に教えてな?わかりやすく教えてや!」
おじいさんは人にものを教えるのが上手くない。
幼少期のテニスを教わっているときも
「こうや!もっとこうや!そんなんあかん。もっかいや!ちゃう。」
どうやねん!もっとこうって。ちゃうって。
おじいさんは運動はなんでもセンスがあって自分はできるけど人に教えるのは上手くない。名選手が名監督ではない。というようなものだろうか。
案の定スキーでも恐れていたことが起こった。
まず、雪の歩き方から教わるのだが、おじいさんは上へスタスタ歩いて行って
「ここまでこい。歩いてみろ。」
おいおい、丁寧に教えてくれる気持ちひとかけらもないやないか。
雪の上なんてスキー板で歩いたことがなかった僕が雪の上をスラスラ上っていけるはずもなく。ズルッと遙か下まですべってしまった。
ただ、だんだんおじいさんの丁寧な指導は何のヒントにもならないから、自分でおじいさんの歩く姿を見て、こう上ったら良いのか。こうするんかと自分で考えていると、だんだんできるようになった。半日がすぎてやっと一通りできるようになって滑る段階に移ったくらいである。
その後、弟もおじいさんと二人でスキーに行ったが、帰ってきておじいさんが、
「ふうたは、はるとと違ってすぐできるようになったわ。」
ちゃうねん。おじいさん家でぼくが弟に山に体を預けて、平行にのぼっていくんや。とか丁寧に教えといたんや。しかも、おじいちゃん教えるの下手やから見て学びやってアドバイスしといたんや。
👵
おばあさんは川へ洗濯へ行くのではなく。自称ランニングがてら山登りへ行き、昼の間はスイミングスクールに行き夕方帰ってくる。(おじいさんはばあさんは走ってない。あんなん歩きのレベルや。と言う)
こちらのおばあさんもスーパー元気である。
おばあさんはほとんど毎日スイミングスクールに通っている。でも、昔からずっと水泳をしているわけではない。5.6年前に急に水泳を始めた。おばあさんは水に顔をつけることができないレベルで泳ぐことが嫌いだった。でも、理由は分からないが水泳を始めて今では四泳法を全てできる。
また、おばあさんは山登りが趣味で、全国のほとんどの山を上ったという。死ぬまでに全国制覇できるらしい。ニュースで出てくる山や、気象予報で出てくる山の映像の山はだいたい登ったことがある。
おばあさんは高校受験の夏によくお世話になった。祖父母の家から塾が近いので約1ヶ月居候していた。毎日昼の弁当と、温かいできたての夜ご飯を塾までチャリで届けてくれた。おばあちゃんは料理がうまいが、半分くらい僕の舌に合わない味だった。でも、毎日作って届けてくれることがありがたく全部食べた。
おばあさんの弁当は風呂敷に包まれていた。これがよくドラマや本で見る。僕の弁当箱は友達の前では恥ずかしかった現象かと思った。少し恥ずかしかったけど、別に弁当箱でいじめられることもなかった。
23時くらいに家に帰るのだが、おばあさんは起きて待てくれていた。(布団をリビングに持ってきて、半目であったことが多かった。)
「おかえり。お風呂温め直すから。はよはいり。弁当箱洗うから出し。明日は何のご飯かいい?」
祖父母はいつも19時には就寝する。おじいさんは19時にさっさと寝てるが、おばあさんはいつも待っててくれた。おじいさんはトイレに23時くらいに起きてくる。寝ぼけて
「お。はると。帰ってきたか。ちゃんと勉強してきたんか?机に座ってただけやろ。座ってるだけやったら賢くならんねんぞ。」
真剣受験生に向かって、おもしろいジョークを飛ばしてくる。この年頃になってはじめて僕の祖父はユーモアがあると分かった。
ある日、おばあさんの弁当に変な味の野菜みたいなんが入っていたが非常にまずくて、帰ってきておばあさんに
「あの野菜変な味してんけど、なんて野菜?」
「あれは、庭に生えとった草やで。」
「なに?雑草?」
「いや、雑草じゃないけど、わからんねん。」
僕が、それから弁当に入っている野菜について
「これは、庭の雑草じゃないよな?」
といじるもんだから、おばあさんは、今では聞いてもないのに
「はるくん。これは食べられる草やからね。庭に生えてる草とちゃうから。食べられるで。」
後から聞いたのだが、お母さんに
「陽斗がおばあちゃんに庭の草かって聞くから。相当ショック受けてたらしいで」
おばあちゃんごめんね。
🧔🏼👵
祖父母は去年結婚50周年を迎えた。
でも、世に言う超円満な夫婦にはとても見えない。電話してもいつも二人は言い争いをしている。
「ばあさんそんな長電話すんな。いらんことせんでいい。」
いつもおじいさんがうるさい。おばあさんは頑固でやめない。僕から見たら二人はいつもケンカしているように見える。
「ケンカしなよ。」
二人が同時に
「ケンカなんかしてない!」
でも、たまには仲が良いと思う。
「おばあちゃん。それ何飲んでるん?」
「ん?苦い麦や。」
おじいさんと湯飲みみたいな器で乾杯して二人でビールを飲んでいた。珍しく一番搾りを飲んでいた。おじいちゃんが
「ばあさんはこれしか飲まんねん。」
おじいちゃんはアサヒスーパードライをいつも飲んでいるけど、その日はおばあちゃんに合わせて一番搾りを飲んでいた。おばあちゃんは普段お酒は飲まないけど上機嫌で飲んでいた。
二人の趣味は山登りで、全国のほとんどの山を制覇しているのに、絶対二人では山登りにいかない。昔はおばあちゃんもテニスに行っていたが今はテニスはしない。おじいちゃんはスイミングスクールにはいかない。スキーへは一人で行く。
この事例から結婚生活を長く続けるためには、一人で好きなことをできる関係であれることが一つの要因になっているのかと分析する。
🙎🏽♂️
僕は幼少期は母方の祖父母が嫌いだった。
でも、今では本当に好きである。なんやかんや愛情を持って接してくれていたことが分かったからだ。
僕も将来、母方の祖父母のようなかっこいい人生を送りたいと思う。75歳になってもスキーや山登り、水泳をする超元気な老人でありたいと思う。
好きなことを毎日自由にする素敵な人生を送りたい。自分の孫とずっと遊べるような健康体でありたい。自分が苦手だったことにチャレンジするようなチャレンジ精神をいつまでも持ち続ける人でありたい。でも、毎日お酒を飲んで痛風になることだけは勘弁である。
最後に最近あった僕と二人の会話で終わりたい。
僕は美容院に行った帰りに祖父母の家に寄った。コロナで大学に行くことがなくなったもんで、祖父母の家に寄ることがなくなっていた。正月にあった以来くらいで本当に久しぶりだった。
🙎🏽♂️「お、おじいちゃん久しぶり。」
👨🦳「お、はると。きたか。」
👵「はるくん。久しぶり」
👨🦳「ハッハッハ!はるとなんやそれ」
🙎🏽♂️「なんか顔に変なゴミ付いてます?」
👨🦳「おまえはオリンピックのアフリカ代表の選手か?」
👵「はるくん。その頭なんぼでしてきたん?」
🙎🏽♂️「カットとパーマで7000円かな。」
👵「え、そんなすんの。そんなんやったら、おばあちゃんがタダで短く刈り込んであげるのに。」
僕のおじいちゃんとおばあちゃんはとてもユーモアがあると思う。僕も将来こんな元気な老人になりたい。
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