一人でこそ、楽しいことが、ちゃんと楽しい
私は、これまでの友人関係を一切解消して、今は一人のびのびと生きている一人です。
なので、以前から、「ソロ活」について書こうと、胸に秘めておりました。
そんな折、ドラマ「ソロ活女子のススメ」を観て、こういった生き方がドラマ化されるくらいには、広まりつつあるのかな、と内心嬉しくなり、今回キーボードを叩くこととしました。
誰かと食べる飯の方が、寧ろ味がしなくないですか
私は実は、発達障害の傾向があります。
あくまで傾向、というだけで、いわゆる「グレーゾーン」です。
なので、人といると、とにかく、相手の気を感じ取ることに懸命になってしまい、折角の娯楽を、何一つしっかりと楽しむことはできていませんでした。
例えば、とてもありふれたことでいえば、食事。
私は拘り気質で、お店は必ず、リーズナブル過ぎず一定のクオリティを保っているお店に行くことにしています。
それも、通勤時間を使って前日までに、これだと思うお店が見つかるまで、徹底的にスマホで調べ上げ、必ず予約もします。
そこまで拘って選んだお店だというのに、やはりどうしても、相手がいると、
・相手から目を背けて自分の好きなものにばかり目を向けてはいけない
・自分の話をしてはいけない、するとしても、会話を弾ませるエッセンスとして利用する程度に留めること
・相手が料理の写真を撮らないのであれば、自分も撮らない
(相手と共有できないことはしない)
こんなことに気を取られて、折角の美味しいご飯も、綺麗な内装も、一切記憶に残らないのです。
ただ、如何に相手に失礼な態度をしていないか、毅然とした態度でいられているか、こればかりに気を取られて帰り道はイライラしていることが多かったのが、今振り返ると、常でした。
それでも以前、そんな相手、それも、私から見れば、とてもいい加減な生き方をしているなと思う人に「貴方は気を遣えていない」と言われ、その言葉で「ああ、生き方も考え方も違う人と一緒にいても、意味がない」と、自分の中でスッと、「友達はいなくてはいけないもの」という縛りが解けてしまいました。
私はずっと「友達はいなくてはいけないもの」という考えに縛られていたのです。
勿論、誰かと食べる飯が美味いと、本当に感じる、人と一緒にいることが心から好きな方もいるでしょう。
ただ、その逆で、誰かといる方が、折角の美味しいご飯も無味に感じてしまうような人間もいる。
少なくとも、前者と後者は、同じ空間にはいられない。
人種が違えば、風習や環境から生活スタイルの違いがあり、海外の方は土足で家を歩き、日本人は素足で家を歩く。
家を素足で、汚さないように歩きたい日本人としては、土足で上がられてしまうと困る。
それくらいの違いが、前者と後者にはある。
よもや人間の区別は人種にはなくて、求める生き方の違いで分けた方がいいんじゃないかな、と思うほど。
同じ日本人だから、同じ感覚だと思った?
同じように、誰かとワイワイ、安い居酒屋で騒ぐのが楽しいはず、と思った?
残念ながら、そうでもないんだよね。
私は後者だっただけのこと。
一人で食べるお店の料理は、じっくり見て、じっくり味わって、写真も集中して撮れて、ちゃんと心と記憶に残る、そういう人間だっただけのこと。
前者には前者の生き方があるように、後者には後者の生き方がある。
だからこそ、私は前者から離れなくては、私らしく楽しく生きることはできない、と思った。
いつも、人付き合いにただ疲れを感じるだけで、本当にこれが自分に必要なことなのか、疑問に感じている方。
是非、自分の奥底の「嫌だ!」という叫びに耳を傾けてあげて下さい。
そしてどうか、一度思い切って、ソロ活に踏み込んでみて下さい。
勿論、これからずっとそのスタイルを貫く、と意気込む必要はありません。
まずは一日。
一人で、これまで行ってみたかったけど、友達とは趣味が合わなくて誘えず機会を逃していたような場所やイベント、ありませんか?
そんな場所を、なんの気兼ねなく、自分だけの、自分の為の予定を立てて、行ってみませんか?
それでソロ活が楽しすぎて、たまらなくハマってしまえば、続ける。
やっぱりどうしても、周りの目が気になって、疲れてしまったのなら、少しお休みしても良いですし、例えば、仕事終わりの夕飯の数時間だけ、一人で行ってみる、とか、規模を小さくしてみることもできるのです。
だって一人なんですから。
なにをどうしようと、自分がどうか、でしかないのです。
あまり気を詰めないで。「ソロ活」は決して他者を拒絶するものではないのです。
「ソロ活」は合わない人同士で付き合って、無用なストレスをお互いに生み出さないように、ちゃんと線引きをして、「棲み分け」をするためのもの。
あくまで、自分が自分らしく楽しく生きるための活動だと私は思います。
だから、「これまでの友達全員ブロック!!!これで私は自由になるのだ!!!」なんて過激なことは、しなくて大丈夫です笑
多分、貴方自身が、これまでの友達に対してそのようなことをすることに、罪悪感とか色んなものを感じて苦しくなってしまうのではないですか。
まず、この考えを自分の中心軸から、ずらしてみて下さい。
・友達がいないことは、人としてダメなのではないか
逆に、なぜ、友達がいることが、人として出来ているということになるのでしょうか。
極端な話ですが、いつどこでも友達と一緒で、逆に友達がいないと、一人ではいけない、なんて人。
「誰かと一緒じゃなきゃ、自分一人では行けない人」なのか、と私は思ってしまいます。
トイレに一人で行けないのか、みたいな感じ。
「人は一人では生きていけない」から。
不可能と言い切ることは出来ないですが、確かに、凡そ、一人では生きていけないですね。
でも、繋がる相手は、家族や友達だけなのでしょうか。
お店の店員さんは、例えレジの間の数分間としても、少なくともレジに店員さんがいなくては商品を購入することは出来ませんし、誰かがお店に商品を入荷したり、そもそも、その商品を作ってくれる人もいて…。
これも「一人では生きていけないからこその繋がり」の一つではないでしょうか。
逆に言えば、そういうライフラインの繋がりさえちゃんとあるなら、それ以上は必須ではないと思うのです。
だから、ポイントは「他者に執着しない」。それだけ。
誰がどこで、どう生きてどう死のうと、私の人生とは関係ないし、これから先の長い歴史と、この無数の人の中で、たった一人ごときの人生など、語るにすら及ばないものでしかない。
そう思うと、途端に、プツリと、見えない何者かと自分の間の糸が切れるのです。
突き放す必要はなくて、ただ、執着を失くすだけでいい。
自分からは連絡しないけど、もし相手から連絡があれば、応じる。
でも、あるものとして期待することはしない。
ない、と思って、自分の時間を思い切り過ごす。
それで本当に今後一生、一切の友達付き合いが無くなったとしても、それでいい、と思って私は過ごしています。
自分から行かないのは、その人に興味がないから。
もし相手が自分と繋がっていたいなら、それなりのアクションが要求されるのはその相手で、それがなく事切れるような関係なら、相手に合わせること以外に、お互いを繋ぐもののない、それだけの関係だったということ。
確かに、人と話して得られる情報やチャンスも沢山あり、正直、ソロ活を本格的に始めた今、時代についていけていないな、自身のアップデートがあまり出来ていないなと薄々感じています。
でも、流行りに則った情報も、全ては友達付き合いに必要なアイテムでしかなくて、それが無いなら、正直いらない。
そんなことより、自分の関心のあるコンテンツに集中した方が、自分の人生の充実度は遥かに高いです。
友達とは「嗜好品」
友達、はある種、お菓子やお酒といった嗜好品のようなものと考えています。
「嗜好品」
ネットで意味を改めて見てみたら、こんな風に書いてありました。
栄養をとるためでなく、その人の好みによって味わい楽しむ飲食物。
引用元はこちらです。
https://kotobank.jp/word/%E5%97%9C%E5%A5%BD%E5%93%81-73023
その人の好みによって味わい楽しむものなんですよ。
美味しくないもの、好きじゃないものを、何故わざわざお金を払って我慢して食べようとするのですか。
嗜好品もこの世に沢山溢れていて、色んな種類や味がある。
それなのに、好きじゃないものをずっと食べ続けるなんて、ただ勿体無いだけだし、折角どこかにはあるはずの、本当に好きなものの味を知る機会をどんどん失っていることになる。
だから、これから私は
勿論相手も人なので、自分の好みと同じような人とそのまま友達になれるわけではありません。
だからこそ、自分と合いそうな人探しは、私なりの角度から、積極的に行っていこうと考えています。
まずは自分自身を充実させること、そんな自分を、「秘める美学」なんてクソ食らえと言わんばかりに、臆さず発信していく。
私がnoteを始めた理由の一つが、ここにあります。
だって、言わなきゃ伝わらないもの。
言わなくてもわかる、なんてことは絶対にありえない。
エスパーなんて、この世にはいないもの。
寧ろ、SNSじゃ発信したことだけが、相手から見る「私」でしかないから、発信しなければ下手をすると「何もしてない人」になってしまう。
発信することで、どんどん「自分」を知ってもらう。
そうすることで、純粋に関心を持ってくれた人は、少なくとも合う部分がゼロなんてことはない。
発達障害の一面ともいえるのですが、やはり行動に踏み切ることに異様に臆してしまうのがこれまでの私でした。
今も克服が出来ているとは言えません、が、一人になった今、自分自身とじっくり向き合って、私は何が好きで、何がしたいのか、をしっかり見つめてあげようとしている最中です。
だから、趣味や関心は山のようにあるのに、全く世に発信することもなく、今やSNSでどこにいても繋がれる時代だというのに、自分の好きなことで繋がる機会を逃していました。
「ソロ活」は、自分とじっくり向き合い、労わる為の活動です。
そうして自分をちゃんと知ることで、本当に気の合う人との繋がりの可能性が広がるのかもしれない。
だからこそ、ずっとちゃんとやりたくてもやれずにいたことを、今少しずつ、周りの目に敏感になり過ぎず、適度に受け流し、自分を何より大切にしながら、始めています。
やっぱり、自分の好きなことや胸に抱えていることを、形にして、世に投げ込むのは、心の底から本当に楽しい。
これが、私の「楽しい」。
だから、そういう「楽しい」で生きている方と、いつか繋がれたらな、という思いも秘めながら、「ソロ活」していきます。
でも、正直「ソロ活」が受け入れられにくい場面もある
これもまた、悲しいかな、事実です。
分かりやすいところでいえば、カラオケ。
ヒトカラ専用料金って、一人辺りの値段がちょっとお高めの設定のお店も出てきましたよね。
確かに、経営側からすれば、本来は友達と、最低二人で一つの部屋を使うところを、一人で使っているのです。
一部屋の利益が、半減してしまうということですよね。
ざっくりな話ですが。
私は先日、一人でコスプレ撮影をしにスタジオに入ったのですが、「今度から、一人の時は予約時にご連絡下さい。一人の為にスタジオを貸すわけにもいかないので…」との注意がありました。
(規約の読み逃しなどありましたら、大変申し訳ございません。勿論、今後の注意点としてしっかり意識していきます。他のスタジオを利用する際も、なるべく一人であることは積極的に伝えた方が、スタジオ側の負担も減らせると思うので、注意点はしっかり心に留めていきます)
訪れたスタジオはシェア型で、一人で貸し切りをするような考えは持っていませんでした。スタジオを貸し切りにするような財力が流石にないこともありますので…。
以前から一人でコスプレ撮影することはよくしていたこともあり、一人で機材の設置、構図や色味などの確認、撮影、とやっていると、やはり本来二人でやることを一人で行っているので、二倍、とまではいきませんが、それなりの時間がかかってしまいます。
一度に沢山のことに、一人で意識を向けなくてはいけないので、どんなにしっかり注意しようとしても、どこかでうっかりミスをしてしまうこともあります。
(先日は、更衣室での靴の着用は不可のルールが頭から抜けてしまっていました。更衣室の汚れ防止等の観点もあるかと思います。大変失礼致しました。)
これらのこともあり、「一人」は危うい面がありますし、
他者からは確実に不安な存在に映るのです。
折角なので、私が一人撮影の時に意識していることを書き並べてみます。
・事前にブースの目星や、構図などを計画しておく
・あまり人気の無さそうなブースを使う
・なるべく長時間占有せず、開始するときは開始時間をチェックし、今自分はどれくらいこのブースに留まっているかを意識する
・使いたくて待っている方がいないか
・一人であることや自身のクオリティについて不安そうな態度を自らしない。スタジオに入って、一人のレイヤーとして立っている以上は、毅然とした姿勢でいること
こんな具合に、「ソロ」であることのデメリットや注意点を意識した上での利用だった為、少々、心に重いものを感じてしまいました。
「ソロ活」は寧ろ経済を回す説
取り敢えず、友達と来る人を二人グループと仮定した上でざっくりいえば、お一人様は、店側の利益の半分、ということになる。
それが、お店が「ソロ活」を嫌厭する理由かなと思います。
ただ、ちょっと視点を変えてみると、こんな考え方も出来ないでしょうか。
今まで、一人だからと行かずにいたけど、最近「ソロ活」の考え方が広まってきて、一人で行くハードルが下がったから、行くようになった。
つまり、二人だったのが一人になったのではなく、
元々お店に行くのをためらっていた人が行くようになり、
ゼロ人から一人になったのだと。
二人で行っていた人は、変わらず二人のままで、そこに更に一人プラスされたとしたら、
これはもう、ただの利益じゃないですか。
私自身が、元々がインドアで外出に消極的な人間だったところから、「ソロ活」に踏み込んで、少しづつ外のお店を利用するようになった身なので、どうしてもその考え方を見逃さずにはいられないのです。
勿論、一つのテーブルを一人で使うので、こちらとしても、混雑しているタイミングに行かない、等の配慮は必要だなと思いますが(私が人混みが非常に苦手なので、寧ろ空いているタイミングにしか行けなかったりするのですが…なんていうか、丁度いいのかな)、ぜひ、お店の方も、「ソロ活」を損益と一蹴せず、寧ろ家に引きこもっているお財布を引っ張り出すような気持ちで笑
盛り上げて下さったら、嬉しいなと思います。