僕のピアノ修行ハンガリー珍道中1989No3
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40分くらい経ったのだろう、拳銃に弾丸を装填するような音がした。
驚いて、横になった体を捻って音の方を見た。
さっきとは違うCAが銀色のカートを押して後ろで何かをしていた。初めて国際線の飛行機に乗った僕は、機内での色々な儀式がまったく分かっていなかった。
CAは僕の2つ後ろの席の乗客にプラスティック製のトレーを配っていた。
それが食事だなんて、
自分が手に取るまで分からなかった。
空のコーヒーカップと2種類のパン、あとハムとサラミ。付け合わせに小さなサラダがすまなそうにのっていた。バター。塩と胡椒が砂糖と同じようにスティックタイプだった。プラスティックのフォークとナイフ、そしてスプーン。
小さいパックのオレンジジュースが狭いトレーの中で縦列駐車のように並んでいた。
再び飛行機の窓がカタカタと鳴り響いていた。飛行機の窓はこのようにカタカタとなるものなのか?
トレーに乗せて出された食事は元々存在していないと思われるぐらい綺麗に食べつくした。
コーヒーを頼んだわけでも無いのに、先ほどプレートを渡してくれたCAは勝手にコーヒーを注ぎ込んだ。
「Can you give me two sugars?」
と言ってみた。
普通にスティック状の砂糖を2個手渡してくれた。
このジェットエンジン音の中で僕の言葉が彼女に届いたとは思えない。
僕から少し離れた席で横になっていた専攻楽器ホルンのツトムが何か言っていた。
「練習したいな」
僕たちは2人とも横になるために席を離していた。
彼の声はまったく聞こえない。
読唇術に心得は無いが浪人時代を含めて5年の付き合いになる彼のボキャブラリーと我々が置かれている状況から、何を言っているかは容易に想像できた。
「青春したいな」とかは絶対に言わない。
ここまで相方のツトムの事を言わなかったのは、彼のことが嫌いで登場させるのを拒んでいたわけでは無い。むしろ彼は無二の親友と呼べる相手である。
だが彼が登場すると話を綺麗にまとめる自信がない。
そしてこの飛行機の中では、
僕たちは2人とも目の前の未来が見えなくなっていた。
今までになく僕たちにまとわりついた雰囲気は最悪だった。
こういうのをギクシャクしていると言うんだ....。
親友というよりもライバル関係に陥っていたのだ。
「楽譜を見れば練習になるのでは?」
とまぁまぁ大きな声で伝えたが、
エンジン音のBGMのせいで僕の声は彼の所までも届かなかった。
10時間以上機内にいると、ここではコミュニケーションとかは出来ない。いや、しないのが常識なんだと思えて来た。
成田空港から一緒にいてコミュニケーションを取ってない。
こんなことは初めての経験であった。
To be continued