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愛を渡せる

なにか言葉にしないと、という衝動に駆られてファンレターを書きました。言葉にするということをあまりにもサボっていて、サボり続けて、気づけば前回のnote更新から1年半くらい経ってた。過去にわたしが書いてきたnoteの文章、読み返すと下手だな〜とか、この表現やめて!とか自分で思ったりもするのだけど、細かな表現はさておき、その真ん中にあるわたしの“好き”って、変わらないなというか、どれもまごうことなき本物だなと思って救われたりしている。自分の言葉が何よりの解釈一致だから、わたしはわたしの言葉が、文章が好き。どんなときも、自らの手で遺した言葉たちが、味方してくれるなと思う。りゅうがくんの初主演舞台を観劇してから、むくむくと大きくなり続けているさとうりゅうがさんへの“好き”の気持ちを、今ここに残したくて書きます。



りゅうがくん、初主演舞台本当にお疲れ様でした。とにかく歌声に衝撃を受け、感動をもらい続けてた。さとうりゅうがさん、本当にすごくないですか??!!??りゅ担以外の美担にも見てほしいくらい、世界がこのさとうりゅうがさんを知らないのが勿体ないくらい、素晴らしかった。ブログでも、稽古がんばっています!くらいしか言及してなかったから、どんな感じだろ〜とワクワクして観劇したら歌声に度肝を抜かれた。とんでもないものを隠し持ってた、隠し持ってたというより、たくさんたくさん努力して準備したんだよね。ひしひしと伝わってきて心が震えた。嬉しかった。他人の努力を感じて嬉しいって言ってしまうの、なんなんだろうな。正直、初めてBEASTARSを見て、舞台の上に立っているのがりゅうがくんだってこと、どこかで信じられないくらいの歌声だった。これまで見てきた、わたしの知っているりゅうがくんと、一瞬では繋がらない感覚。目に、耳に、届いてくるものは確かにさとうりゅうがさんのそれなのだけど、脳で理解するのには時間がかかった。これって、Gates+で初めてりゅうがくんのソロ曲を聴いたときと同じ感覚だった。今年のりゅうがくんは、胸に秘めたその美学がとてもよく光っているなと思う。努力をひけらかさず、ステージの上で表現し、伝えること。本当に本当にかっこいいことだ。BEASTARSのりゅうがくんを見た感想、本当にあなたはすごい!!!に尽きるのだけど、だって内緒でソロ曲作ってピアノ演奏しちゃうアイドルだもんね〜〜〜!と思うと、本当に腑に落ちる。演出家の方々が、りゅうがくんの努力を〝並外れた努力〟だとか、〝不断の努力〟だとか、評してくれたことが本当に嬉しくて、りゅうがくんのことが誇らしくなった。吉澤嘉代子さんの「ミューズ」という曲に、〝かがやきは傷の数だけ いびつな傷跡が乱反射した 戦っている貴方はうつくしい〟という歌詞があるのだけど、BEASTARSのりゅうがくんを見ているとこの歌詞が頭によぎって離れなくなった。りゅうがくんの輝きが、傷によって生まれてるなんて思わないし、むしろその逆で、輝きを生まれもった子だな〜と思ってるのだけど、BEASTARSのりゅうがくんの輝きってこれだなぁと思った。凄まじい輝きの、その光のもとにはどれほどの努力があったのだろう。なんかほんとに信念だなぁと思う。りゅうがくんの、強くて逞しくてうつくしい信念、それがより一層まぶしく光っている。



社会人になってから、自担のことをリアルタイムで追えないことも増えて、(あと少クラ、ISLAND TV、諸々の供給が失くなって)、一時はこのままゆるりとおたくできるのかも… 社会人人生はこの感じのペースでおたく続けていくのかも… なんて思ってたけど、さとうりゅうがさんのこと、全然人生だと思ってしまう。むしろ、日々の仕事や日常をがんばるために現場を入れるようになったし、なんやかんやでめちゃくちゃ現場に行っている(平日でも土日でも休みが取りやすくてありがとうと思う)。自分の人生を生きているようで、まったくもってそうではない。りゅうがくんのステージを見るために日々を生きているし、りゅうがくんの光のもとに行けるから大丈夫だな〜〜と思って生きられている。これまでも、自担を生きがいにしていたけれど、社会人になってますますその生きがいとしての色を濃くしている気がする。そう思うと、わたしの人生大丈夫かな〜どうなるんだろ〜という気持ちはなくはないけど、人生のモットーが「今のうち」なので、光を浴びられるだけ浴びたいし、好きを伝えられるだけ伝えていたいし、熱量を燃やせるだけ燃やしていたい。現実的に叶えられるかという話は置いておいて、ステージの上のさとうりゅうがさんの光、全部わたしがもらいますの気持ち。変わらないな。



そうそう、タイトルにつけた〝愛を渡せる〟の話します。りゅうがくんへの好きが昂ってたまらなくなって、超ひさしぶりにファンレターを出しました。ファンレターって、わたしは、書いたこと(出したこと)に自己満足するものだと思っていて。と言うと、あまりにも諦めすぎていないかって思われるかもしれないけど、もちろん、読まれる可能性のあることは頭に置きつつ書いてても、読んでもらえるとはあまり思っていなくて。じゃあ、なんで出すのかって、自分が言葉にしたいとか、こんなことを伝えたくて書いたんだ、出したんだ、って自分で満足したくて出すのかも。だから、結論、出した時点で完結してしまってもよくて。これって、なんというエゴなんだろうと思うけど、でも、書きながら、嫌でもいろんなことが(いいことだけでなく悪いことも)目に入ってしまうこんな世の中で、確かにあなたを好きな人間がいて、その人間の文字で、宛名を、あなたの名前を書いて、ここまで届いたってこと、それだけでも伝わればいいなって思った。ファンレター、中身を読んでもらえなくても、もしも本人の手に渡ったなら、あなたを好きでいる人間が確かにいるというその事実だけでも伝わればいいなと思う。もし、ファンレターを手にすることがあって、書いた名前を目にすることがあって、ただそれだけでも何かプラスに影響することがあればいいなって思う。
そうやってりゅうがくんに、愛を渡す。りゅうがくんのこと、好きになればなるほど、その人間性(と表現するのはいまいち納得できないのだけどいちばん近い言葉ってこれくらいしかないので)に惹かれるものだから、さとうりゅうがさんのことを好きなこの気持ちが恋だったらどうしよう、という不安が、実はここ1年くらいあった。でも、改めてりゅうがくんへの“好き”を見つめ直して、恋ではないなと分かった。よかった。なんて言えばいいか難しいけれど、その言葉でまとめられるような簡単なものではなかった。こんなの恐れ多いけど、ここまできてやっとりゅうがくんに愛を渡せるようになってきた気がする。そう思えたことが嬉しかった。少なくとも一年前の夏のあの頃のわたしが抱いていた、脆い “好き” ではもうない。あの夏、あんなに揺らいでいた “好き” が、今ではこれほどに、わたしを強く支えてくれるものになっている。ときに悪意に満ちた言葉を投げかけられようとも、わたしの信じるべきものは、そして信じたいものは、わたしの中にしかない。わたしの “好き” をわたしが信じられないなんてどれほど悔しいことかと思う。信じたいものはそこにはないよ、と思えば、本物は、わたしが見たもの、感じたこと、ステージの光、りゅうがくんの輝き、そういうものでしかなくて、何より強くて絶対的なのだ。りゅうがくんのことを好きなわたしも、りゅうがくんへの好きを抱いて生きていられるわたしも絶対幸せだし、って胸を張って言える。あの夏を越えて、今ここに辿り着いて、自分の《好き》を揺るがず持っていられるってこんなに幸せなのだと知らなかった。本当に本当に、さとうりゅうがさんのことが好き。そして、さとうりゅうがさんへの好きを、愛を、抱いて生きていられるわたしは幸せなのです。わたしが肯定していられる。だから大丈夫。


人生ってタイミングだと思っているから、わたしの人生でりゅうがくんに出逢えたことも、そのタイミングも、大正解の運命だと思ってる。りゅうがくんはわたしの人生に転がってきた運命だから、わたしはその運命を正解にしていくだけ。そして、記念すべき初主演舞台を自分の誕生日に観劇できたことも、りゅうがくんのくれた運命だと思っている。というかりゅ担人生、あまりにも運命と思うことが多くて、思想が強くなってしまうなと思う。


また光のもとに行けるまでわたしはわたしの日常をがんばります。だからどうか健康で元気でいてね。
りゅうがくん、人生でスポットライトの当たる宝物の想い出を本当にありがとう。そして本当にお疲れ様でした。これからも応援しています。大好きだよ!



p.s.
次に美 少年のステージでりゅうがくんの歌声を聴くのが、ほんとうにほんとうに楽しみでたまらなくて、はやくフォロワーにも聴いてほしい!!待ち遠しいよ〜〜〜!!!の気持ちでいっぱい。

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