死にたくなった。だから書くことにした。
希死念慮がこれでもかというくらい存在を主張してくる。
今までの毎日元気に過ごしていた自分は、一体どこに消えてしまったのだろうか。
ああ、死にたい。
というより、存在そのものを消したい。
誰からも忘れ去られたい。
そんな感情が日を追うごとに強くなっていく一方で、
もう1人の”生きる理由探しをする自分”が、この状況はひとまずなんとかした方がいい、このままじゃ自殺の道もあり得ると冷静に考えている。
過去にも死にたくなることはあった。それでもいろんな方法で心の延命措置をしながら生きてきた。
今また”死にたい”という気持ちの波が強くなっている。
死をきめる決定的な瞬間がまだないのなら、慢性的な希死からどう逃れるか、緩和するかを考えた。
それが”書くこと”だ。
私の日々の傍らにはペンと紙がいつもそばにある。
頭に浮かんだ言葉や感情、留めたい風景。それらをすぐに書き留められるようにするためだ。
それに、中学から日記をつけていて、その日記には日々の振りかえりやこれからどうしたいかの目標設定、自分のことを、ただ自分のために、文字通り殴り書いている。マイナスなこともプラスなことも、いっしょくたになって記している日記は、私に起きている変化を克明に残している。
そう、言葉はそのまま、人生をかたちづくっている。
死にたくなってもなお、今この瞬間に書いているのも、
拙い言葉で日々を紡いでいるのも、人生の一部。
ならば、だ。
“描ききってから死のう。” そう思った。
自分が思っていること、日々の輝き、人生の傷、全部全部書ききっても、でも、それでも死にたい、そう思った時に死ねばいい。それまでは泥水すすってでも生きていよう。感受性が色を失わないうちには、描けるものがあるはずだと、そう信じて。
矛盾を愛した先にこそ、掴めるものがある。
それじゃあ、よーい、スタート。