GLAY第18曲『ここではない、どこかへ』とグロリアスの関係
「グロリアス」も
「ここではない、どこかへ」も、
青春讃歌なんやけど、
その2曲がとても対照的でオモロい。
Teenage memoriesが、永遠の日々で輝いてて
いつまでも愛しくて忘れないのが
グロリアスなんやけど、
そんな青春の輝きすらありのままの「ここ」に
背を向けてでも、
まだ見ぬ場所に胸を焦がす決別の意志が
「ここではない、どこかへ」にはある。
「グロリアス」が懐古的なのに対して、
「ここではない、どこかへ」は、
その逆で、青春からの脱却である。
つまり、
誰ひとり別々のゴールに向かうことやサヨナラを言葉にできずはしゃいどる間にも、
「ひとつひとつ仕組み(モノ)を知れば、子どものままでは生きていけない」と、変わりゆく他人を遠くに見て、時代の息吹に身をさらしとる奴がおるんや。
アルバムを開いて照れとる間にも、
履き古しの靴飛ばしとるんや。
まさに、憂いの夜や。
でも、ひとつだけ言っとく。
「ここではない、どこかへ」のサビの歌詞は、当初、こんなんやった。
どういうことやねん!