見出し画像

【番外編】自分を作ってくれた曲④:ポルノグラフィティ『パレット』

私はJ-POPの歌詞が好きで、歌詞には力が宿ってると思うし、メロディを乗せることでその力はより強く人の心を動かすものになると思う。

ポルノグラフィティのギタリストでありソングライターの新藤晴一は、無類の本好きで小説家を志していたほどらしい。そのためか歌詞の言葉の使い方が巧みで、なるほど歌詞に拘っているんだなと感じる曲が多い。

そんな晴一氏が、

物事を何かで表現するのには限界がある。
何かで表現するんじゃなくて、ありのままを感じろ。


というメッセージを込めた曲、2002年リリースのアルバム『雲をも掴む民』のキラーチューン『パレット』である。

月は決して泣いていないし、
鳥は歌を忘れてはいない。
変わらずそこにあるものを歪めて見るのは失礼だ。

だって知っている言葉はほんのちょっとで
感じれることはそれよりも多くて
無理やり窮屈な服着せてるみたい。
『パレット』より

言葉を尽くして、言葉の無力さを語るという面白い構成だ。でも、自分自身の考え方はこの歌詞にとても影響を受けてるような気がする。
私も小説が好きでよく読む。これは持論やけど、小説とは「言葉を尽くして、まだ言葉になっていない、あるいは言葉で表現できない何かを語るもの」だと思っている。
なぜなら言葉で語れるものであれば、端的に言い表してしまえばいいから。「つまり何が言いたいのか」がすぐに言える小説は、それはそれで面白ければ充分なんだけど、私の小説の定義からは外れてしまう。
小説が伝えようとしていることは、新たな言葉が与えられないかぎりは、「小説そのもの」でしかないと思う。つまり、あるがまま、ということだ。

小説に限らず、人はつい、人や物事を分類したり言葉でレッテルを貼ったりしてしまう。
そうじゃなくて、あるがままを見つめることが大事なんとちゃうかなぁ。
なんつって!

パレットの上の青色じゃとても
描けそうにない、この晴れた空を
ただちゃんと見つめていて。
ありのままがいい。
『パレット』より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?