まどマギみたいな新星和歌、現る
その星は赤かったか…
いや、なんでもない。
昨日、記念すべき第一回目のWAKA NOVAが開催されました。「ワロタ」というお題をもとに、それぞれが異なる切り口で和歌を持参。あっという間の2時間でした。いや、楽しかった!
和歌は詠み手と読み手の共作だ!
「ぽさ」が出やすい文学だ!
と連呼してきました。
それが、改めて実証されました。
昨日、WAKA NOVAで発表された和歌の一部を紹介したい。今日はそのうちの一つ。
ワロタって 言うけどあんまり ワロテナイ
ありのままでも 笑えたならば
さて、この和歌を見て、あなたは主語が「だれ」だとイメージしましたか?
ある人は、これは高校生の心情を詠んだと捉えました。ちょっとカッコつけてなのか、「それオモロいやん」って口には出すんだけど、本心は面白くもなんともない。大人ぶらずに、面白いものを素直に面白いって言えたらいいのに。そんなイメージをもたれたそうです。
またある人は、これは学生時代の自分だと捉えました。クラスに馴染めなくて、なんとなく周りの雰囲気に合わせて、よくわかっていないけど「ワロタ」と言っている。え、どこが笑えるの?全然ワラエナイ、と。
ちなみにわたしは、これはほむほむ先生だと捉えました。まどマギと同じループ再生の世界観がイメージとして浮かんできたんです。
「ワロタって 言うけどあんまり ワロテナイ ありのままでも 笑えたならば」でこの和歌は終わらないんですね。最後の五句目「笑えたならば」の「ならば」は前の文脈を断定する文脈を引っ張り出す仮定の接続助詞。「笑えた」という感情より時間的に先に起きた事象を読み手に探させます。そして、その言葉とは初句「ワロた」。つまり
ワロタって 言うけどあんまり ワロテナイ ありのままでも 笑えたならば
↓
ありのままでも 笑えたならば ワロタって 言うけど
↓
ワロタって 言うけどあんまり ワロテナイ ありのままでも 笑えたならば
これが延々と続くんです。まさに永久機関。この和歌に触れれば触れるほど、ワラエナイ現実に打ちのめされていきます。最後は悪魔になるしかない!
ちなみにこの和歌を作ったご本人によると、「ワロタ」がネットスラングだったので、ネット民を主語にその心情を代弁してみた、とのことでした。補足ですが、この和歌のすごいところは、すべて口語で5、7、5、7、7に無理なく収めた点です。普通は字余りとか、ちょっとはみ出たりするものなんですけど。これが、このかたの「ぽさ」なんでしょうね。
たった一つの和歌。
でも、その解釈は人様々。
次はもう一首、ご紹介いたします。
ごちそうさまです。