見出し画像

王様になりたい

近頃観測範囲内インターネットでインターネット日記が流行っていた。捻くれオタクとしての人生が長いのだが、最近は面白そうなことには乗っかるのも悪くないかな、という風に思うようになってきている。流行っていることには一定の「力」がある。ということで何日続くのかわからないがわたしも日記というものをつけてみることにする。

ところで、どうにも自分の昔からあるこの消極的さは一部ある性質から来ているように思う。わたしは完璧主義……というとずいぶんと聞こえが良くなってしまう気がするが、物事を極端に判断する癖があって、例えば日記をつけ始めたとすると多分そのうち書かなくなるだろうな……という悪い想像をしてしまったりする。そうすると中途半端に途切れた日記は日記として完璧でないのでどうにも気持ちが悪い。ならば最初からゼロのままのほうがスッキリする……というようなロジックがあったりするわけだ。
しかし最近はそんな風に神経質に白黒つけたがるのはナンセンスだなと思うようにもなってきた。その時々の行動に何かしらの真実があったなら、そこには意味があるのではないか。まあ本当にこんなことを思っていたというよりは、書いている内に自分の感情を想像した、という風な方が近いが。

今日もアニメを見た。『白猫プロジェクト ZERO CHRONICLE』#8、ショッキングなエピソードだった。あまりに面白い今期アニメの王。やはり白か黒かではなく曖昧さを受容できるようになりたいものだ。
『プリンセスコネクト! Re:Dive』#8、非常に楽しい作品。同日にソシャゲ原作アニメがこうして並んでいる縁に今期アニメの楽しみというものを見出している。これもまた、一つの王。
『邪神ちゃんドロップキック'』#8、ギャグだけでなくいよいよ愛着で溢れてきたキャラクターたちが寄り添う話をされてしまうとたまらなくなってしまう。白と黒が寄り添う話に心を動かされる。これもまた、今期アニメの王。

王というのは絶対的な存在を指し示すものだけれど、最近(2月ぐらいから)なにかを王と褒めることに若干ハマってどんどん多くの王を即位させてしまっている。これはけして酔狂で王認定しているわけではなく、その時々でやはり絶対的なものを崇めている気持ちがあるわけで、そこに嘘偽りはない。とすればわたしもなにかの王になれるのかもしれない。インターネットの王……は流石に荷が重すぎるし、アニメの王……と呼べるほどの凄みはないし、労働の王……は願い下げである。
そこで今日ふと思ったのだが、やはりわたしはわたしにとっての生活の王になりたい。一軒家を建てるひとのことを一国一城の主などと言ったりするが、六畳間の賃貸ONE ROOMで快適に過ごせるならばそれは実質わたしにとっての城ということには間違えがない。ということで健康真人間になるべく今日は炭水化物を控えて珍しく野菜を炒めて夕食とした。自粛生活で得たものはそれほどない(家は最高なので有意義ではある)が、料理の腕がマシ、あくまでマシだが――になっているように感じている。
これこそ王の第一歩、さすが生活の王。臣下も一人なので健気に自画自賛をしている。

2020/05/25



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?